1 ぼっちの生き方

 どうやら僕は『ぼっち』らしい——そう自覚したのは、多分大学を卒業したくらいのことだと思うので、かなり遅咲きのぼっちということになるでしょう。
 自室に()もりっきりであったあの頃に比べると、今は随分と華やかです。
 僕の肩書は作家ですが、ありがたいことに、それ以外にも色々と活動させてもらっています。

 

 例えばその一つは和太鼓。
 元々学生時代、和太鼓に触れる機会がありまして、そこで出会った同級生たちと『暁天(ぎようてん)』というグループを結成、毎年ロシアで行われる日本文化交流イベントにお呼ばれし、かの地で演奏させてもらっています。

 

 もう一つはゲーム実況。
『三人称』と呼ばれるグループで活動しているのですが、ゲームで遊んでいる(さま)を多くの人に見てもらう——という、説明してもあんまり理解されない不思議な活動です。

 

 こんな風に色々とやっているものだから、さぞや華やかな私生活を送っていることと思われるかもしれませんが、しかしどういうことか、誕生日(12月22日)もクリスマスも正月も一人で過ごしていました。
 年末ジェットストリームぼっちと名付けてみましたが、ぼっちなのでオルテガもマッシュも居ません。
 そんな悲しい一連星ですが、時折「お前は本当にぼっちなのか?」と問われることがあります。おそらく、様々な活動をするにあたって、周囲に誰かしら居る状態が多いからでしょう。

 

「お前に比べたら、俺の方が余程ぼっちだ!」

 

 世の中において、こんなにも悲しい主張はないと思うのですが、『ぼっち』だと自称するのもなかなか難しい時代なのです。
 ここで、自分の寂しい身の上話をぶつけることで『ぼっちマウント』を取ることも出来たのかもしれませんが、ぼっちの優劣を決めたところで得られるものとは何だろうと考えた途端、ひどく(むな)しくなってしまいました。
 ぼっち争いに勝利したところで、そこには勝ったぼっちと負けたぼっちが居るだけ。はたから見ればどちらも等しくぼっちであるし、むしろ負けた方が世間的には好印象かもしれません。

 

 世間といえば、数年前から、『ぼっち』の生き方を評価しよう、という風潮があるように思います。Webなどで記事になったものを読んでみましたが、学校や会社、果てはSNSなど、人との繋がりはどこにでもあるもので、それに疲れてしまう人がとても多く、だからこそ『ぼっち』になろう、ぼっちになってそんな疲れにサヨナラしよう! というような論調でした。
 僕はぼっちで良かった、と思ったことはあまりないのですが、確かに、人と接すると疲れを感じることは多いです。

 

 人と接するというと例えば飲み会になるのでしょうが、昨今では、会社などで部下を飲み会に誘うことも、度が過ぎるとハラスメント扱いになるそうで。
 僕は飲み会が好きではないので、この状況はありがたい限りです。
 しかし、誘う側も「これはハラスメントになるのだろうか……」と気を遣わねばならないのは大変だな、と思わなくもありません。
 一度でも「それパワハラです!」と言われたら、もう二度とその人を誘わないでしょう。しかし、良かれと思ってその人だけ除外し続けていると、今度は「自分だけ誘われないハラスメント、ソガハラ(疎外ハラスメント)です!」となりそうな気もします。
 また、「それは〇〇ハラスメント!」と何でもかんでも言われてしまうことによるハラスメント、『ハラスメント・ハラスメント』というものも存在しているとか。
 通称『ハラハラ』と言うらしく、真面目な話なのにネーミングが面白いのはちょっとどうにかして欲しいですね。
 一度『ハラ』というミサイルが落とされた職場では、もう飲み会は開催されないでしょう。第二・第三のハラが落とされる可能性に(おび)えて過ごさねばならないからです。
 そこはまさに焼野原。
 腹を割って話すという名目の飲み会が、ハラによって淘汰(とうた)されようとしています。

 

 ハラという言葉で遊ぶのも、何らかのハラに抵触しそうなのでこの辺にしておきますが、今はまだ、様々なモラルを再規定する過渡期にあるので、今後はこういった風潮も変わっていくのかもしれません。
 けれど、このままだと「誰とも交流しない方が平穏じゃないか」という流れから、全人類総ぼっち化が進んでいくことになるのではないでしょうか。
 昨今、ぼっちが評価されつつあるのも、その流れを汲んでいる可能性があります。
 ただ、ぼっちになりたいと願うのは良いと思いますが、注意すべきなのはその程度でしょう。
 先にも挙げましたが、一時期の僕などは、ずっと自室に籠もりっぱなしで、ただただパソコンの前に座り、一日中動画などを見て過ごし、その日に発した言葉が「んふ」と(わず)かに笑っただけ、なんてこともざらでした。
 たまに繁華街に出てみれば、人酔いはするわ、うまく喋ることが出来ないわで散々です。

 

 ぼっちも行き過ぎると、ろくなことはありません。何事もほどほどが良い。
 例えば天候で言うと、にわか雨のようなぼっち。
 基本的には晴れているが、ところによりぼっちくらいが丁度良いのです。
 このことにもう少し早く気が付けていれば……僕も今よりは、もう少しましなぼっちであったのかもしれません。

 

 僕のぼっちは遅咲きでしたが、思えば、ぼっちの種というものは幼少期から至るところに()かれていて、あるタイミングでそれが一斉に萌芽してしまったわけです。
 一体どこでどんな種を蒔いていたのか、これを機に振り返ってみるのも良いのかもしれません。
 ということで、この連載では僕のぼっちの種となった思い出を、近況も交えて書いていきたいと思います。
 皆様にもお付き合いいただければ幸いです。

 

 また、連載のイラストを、漫画家の山本さほさんに描いていただくことになりました。
 山本さほさんといえば、『岡崎に捧ぐ』や『いつもぼくをみてる』の作品で有名ですが、週刊ファミ通にて『無慈悲な8bit』というエッセイ漫画を連載されている無類のゲーム好きでもあります。僕も毎週読んでいます。サイン本も持っています。

 

 そちらも(あわ)せて楽しみにしていただければと思います。

 
 

教訓
『ぼっち』も『ハラ』もほどほどに──賽助

毎月第2、第4火曜日更新

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賽助プロフィール

賽助(さいすけ)
東京都出身、埼玉県さいたま市育ち。大学にて演劇を専攻。ゲーム実況グループ「三人称」のひとり、「鉄塔」名義でも活動中。また、和太鼓パフォーマンスグループ「暁天」に所属し、国内外で演奏活動を行っている。著書に『はるなつふゆと七福神』(第1回本のサナギ賞優秀賞)『君と夏が、鉄塔の上』がある。
●「三人称」チャンネル
ニコニコ動画 https://ch.nicovideo.jp/sanninshow
YouTube https://www.youtube.com/channel/UCtmXnwe5EYXUc52pq-S2RAg
●和太鼓グループ「暁天」
公式HP https://peraichi.com/landing_pages/view/gyo-ten



山本さほプロフィール

山本さほ(やまもと・さほ)
1985年岩手県生まれ。漫画家。2014年、幼馴染みとの思い出を綴った漫画『岡崎に捧ぐ』(ウェブサイト「note」掲載)が評判となり、会社を退職し漫画家に。同作(リニューアル版)は『ビッグコミックスペリオール』での連載後、単行本が2018年に全5巻で完結した。その他の著書に『無慈悲な8bit』『いつもぼくをみてる』等。Twitter上でも1頁エッセイ漫画『ひまつぶしまんが』を不定期に掲載。