7 連鎖理論
僕はとても頭がいい子供だったはずです。
あれは小学校5年生の頃。
同じクラスのS君が、隣のクラスのAさんと付き合い始めました。S君は運動も勉強もそこそこ出来る、学校ではそこそこモテる男の子でした。片やAさんも大人びた雰囲気のある、人気の高い女の子だったと思います。
そんな二人が付き合い始めたとあって、学校内では話題になっており、教室の隅っこにいた僕の耳にも入ってくるほどでした。
ある日の昼休み、どういうわけか僕はS君と一緒に校舎裏に居ました。
S君とはたいして仲が良かったわけではないので、どんな経緯かははっきりと覚えていないのですが、子供の頃は往々にして、あまり仲良くはないはずの人と共に行動をすることがあったように思います。
おそらくそこにたいした理屈などなく、なんとなく気が向いたから、とか、その時丁度近くに居たから、とかそんな程度の理由なのでしょう。
一体何の用事なのかと首を傾げている僕に向かって、S君は懐からおにぎりを二つ取り出しました。
「これはAに作ってもらったおにぎりなんだ」
彼は笑顔で僕にそう言ってきたのです。
おそらく、彼はAさんと付き合うことになって、とても浮かれていたのでしょう。だから、クラスの誰かを捕まえて、その幸せを見せびらかしたかったのだと思います。
本来ならば読書に時間を割きたい昼休みの貴重な時間に、あまり仲良くはない男子生徒に校舎裏まで呼び出され、恋仲の彼女から初めて作ってもらったらしきおにぎりを見せつけられる——地獄めぐりガイドブックに地獄の初級コースとして記載されてもおかしくはない所業です。
「ふざけんな!」と一蹴してもいい場面だと思うのですが、その時は『僕の人生でもそうそう訪れたことがないコイバナをしている』というドキドキ感が勝ってしまい、興奮気味に「すげーな!」と返事をしたような気がします。
その返答が良かったのでしょう。
彼は二つのおにぎりのうちの片方を僕に差し出しました。
なんだか昔話の一節みたいですが、しかしこれはAさんが彼のために作ったおにぎりです。「それはお前のモンだろ。責任持ってお前が食えよ!」と返すのがいい男の対応でしょう。
しかし、残念なことに当時の僕は、同年代の女の子が握ったおにぎりを食べたことがありませんでした。
(きっと、いつも母親が握ってくれるおにぎりとは違う味がするに違いない……)
おそらくは阿呆みたいな顔で「いいの!?」と声を上げ、僕は相手が首肯するよりも早くおにぎりを受け取りました。
ラップに包まれていたおにぎりは少し小さめでありましたが、とても可愛らしいおにぎりを早速とばかりに一口。
具材がなんであったかを覚えてはいないのですが、とても美味しかったことは今でもはっきりと記憶しています。
「美味いだろ」
そう言いながらS君は満足げにもう一つのおにぎりを食べ始めました。
「俺のおかげでおにぎりが食べられているんだぞ」とでも言いたげな顔です。
まるで強者が弱者に施しを与えているかのような上から目線に若干の苛立ちを覚えた僕は、彼と対等な立場になるべく、とっておきの理論を提唱しました。
「まあ、S君とAさんが付き合えたのはある意味僕のおかげだけどね」
この発言にS君は目を丸くします。
それはそうでしょう。僕は別にAさんにS君を紹介したわけでもないですし、「耳かっぽじってよく聞けよ」とS君に対するAさんの好感度の高さを教えてあげたりだとか、旬なデートスポットを伝えていたわけでもありません。
それなのにどうして僕のおかげなのかというと、これには当時の僕なりの考えがありました。
この考えに気が付いた時、僕は自分のことを「なんて頭がいいんだろう……まさに神童だ」とさえ思ったほどです。
僕はその頃、全ての事象は連鎖しており、全ての存在はその連鎖の中にあると思っていました。
確かに、S君とAさんが付き合う過程において、一見僕は無関係に思えます。
しかし、例えば僕がそもそも存在していなかったら?
S君の人生はどのようなものになっていたでしょう。
僕が存在している場合としていなかった場合では、S君の行動は少なからず違ってくるはずなのです。
小学生は背の順で並ぶことが多いですから、背の小さかった僕が居なくなることによって、S君の順番は必然的に前倒しになります。それによって、男女で整列した場合、隣に並ぶ女の子が変わるでしょう。もしかしたらその子はS君のことが好きになってしまうかもしれません。そしてその子とAさんは友達で、それによりAさんは「友達を裏切るわけにはいかないし……」とあえて身を引くかもしれません。
つまり、S君とAさんが恋仲にはならないのです。
その他にも、テストの成績……は常に僕の方が下だったので関係はなさそうですが、席替えやクラス替えでも影響が出るでしょう。運動会でのクラス対抗リレーでも、僕という足を引っ張る存在が居なくなることにより、巻き返しを図る場面そのものがなくなるので、S君の活躍の場が失われ、彼の魅力が発揮出来なくなります。
ひょっとしたらAさんは、運動会で活躍した別の誰かを好きになっていた可能性だってあるのです。
つまり、僕という存在が居ることにより、巡り巡ってS君とAさんは付き合えたのだと言えるでしょう。
これが当時、僕が提唱していた『全ての事象は連鎖しており、全ての存在はその連鎖の中にある理論』です。名称が長いのでここでは『連鎖理論』としておきましょう。
だから、S君が僕におにぎりをくれるのは当然の代償で、むしろもっと感謝して良い、と言いたかったのです。
しかし、そんな『連鎖理論』を聞いたS君は僕に向かって、
「いや、意味分かんない」
と言い放ちました。
どれだけ説明をしても彼は聞く耳を持ってくれません。むしろ少し苛立っているような印象すら受けます。
(S君は頭がいいはずなのに、どうして『連鎖理論』を理解してくれないんだろう……)
当時の僕は疑問に思ったものです。
しかし、今思えばS君の態度にも納得出来るというか、クラスの中で空気のような存在の男が「ただ存在しているだけでありがたく思え」と、まるで感謝しろみたいなことを言いながら、好きな女の子が作ったおにぎりをパクついているわけですから、これは立腹するのも当然でしょう。
大人になった今でこそ分かることですが、当時の僕の理論は『風が吹けば桶屋が儲かる』という諺に近しいものではありますが、こじつけ感が強すぎるというか、ほんの僅かな可能性を示唆しているだけであり、結果に対する原因を説明出来ないのです。
その時も結局、僕の『連鎖理論』は理解が得られぬまま、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴りました。
そしてその後、S君が僕にコイバナをすることはなくなりましたし、それどころか彼と会話をした記憶すらありません。また、僕も誰かに向かって『連鎖理論』を提唱したことはありません。
あの頃の僕は頭が良かったはずなのですが、学力は落ちる一方で、こういった様々な理論を提唱する研究者や哲学者にはなれませんでした。
あの時のS君とのやり取りが連鎖し、僕の人生に多大な影響を与えているのです。
全ては『連鎖理論』の中にあるのかもしれません。
教訓
たった一つのおにぎりが、人生を左右する──賽助(『連鎖理論』提唱者)
