14 祖父の見舞いと一人旅

 前回のエッセイで僕に祖父が出来たという話をしました。
 その祖父が病床に()し、母は看病のために長崎の佐世保(させぼ)へ向かったのですが、それからしばらくして母から一本の電話がありました。

 

「お見舞いに来てほしい」

 

 母は淡々とそう言いました。
 どうやら、祖父の容体は思ったよりも良くなかったようで、最後に会いに来てやって欲しいということなのでしょう。

 

 当時コント活動をしていた28歳の僕はすぐに佐世保へと向かいました。目的は勿論(もちろん)祖父の見舞いですが、どうせ九州へ行くのだから、ついでに一人旅をしようと思ったのです。

 

 季節は五月に入ったばかりで、気候はかなり暖かくなっていました。

 

 生まれて初めて訪れた、僕の田舎(いなか)になるかもしれなかった佐世保という町は、思ったよりも都会でほんの少し拍子抜けしましたが、それでも祖父の家の(そば)の辺りは、右を向けば山が、左を向けば海が見え、家々の隙間(すきま)から見える大きな造船所の赤茶けた屋根と巨大なクレーンを(なが)めるだけで、望郷の念、とは少し違うのかもしれませんが、不思議と感慨深い気持ちが()き起こりました。

 

 祖父はだいぶ()せていましたが、それでも元気そうに顔に(しわ)を作って笑い、なんでもない、たいしたことはないというような素振りをしてくれました。

 

 折角(せつかく)なので近所を散歩しようと思っていると、看病に疲れたのか、それともただ暇だったのか、母が「自分も行く」と付いてくるのでした。

 

 祖父が暮らしている家は新しく借りた家だそうで、母の生家(今は別の人が住んでいる)を見に行ったり、母が通っていた高校などを案内され、ぽつりぽつりと話をしながら歩きます。
 僕は家族と昔話をすることなど(ほとん)どなかったので、その何もかもが新鮮で、少しこそばゆい気持ちでいました。

 

 翌日。
「今日はどうするの?」と母に言われた僕は「折角だから九州を見て回る」と答えました。
 祖父の家には三日ほど居る予定だったのですが、九州地方にある巨大な建造物を見て回ろうと計画していたのです。

 

 その頃の僕はどういうわけか巨大な建造物に心()かれていて、「出来るだけ大きなものを見たい!」という欲に()られていました。
 祖父の見舞いを出しに使っているようで多少気が引けましたが、元々出不精(でぶしよう)であった僕は、一人旅というのを殆どしたことがありませんでしたし、初めて訪れる九州地方に若干浮かれていたのも確かです。

 

 佐世保を離れた僕は、巨大な炭鉱島・()(しま)へ行くため、まずは長崎駅へ向かいました。
 長崎の港から端島へと向かう観光フェリーが出ていることは前もって調べていて、事前に予約も済ませていたからです。

 

 端島は別名『軍艦島』と言われる島で、炭鉱が盛んであった明治から昭和の時代に栄えていた島です。一時期は五千人を超える人たちがそこで暮らしていたらしく、中には神社やお寺、学校や映画館まであったようです。

 

 僕が訪れた当時は、まだ上陸は出来ず、船で島の周りをぐるっと回る程度の観光しか出来ませんでしたが、島全体がまるで要塞のような様相を呈しているその姿を見られただけで、随分と興奮したことを覚えています。

 

 余談ですが、僕が埼玉に戻った後に上陸が出来るようになったらしく、かなり(くや)しい思いをしました。無人の建物群ですし、長年海風に(さら)されていることもあり、近年は老朽化が進み、崩壊の危機にあるそうです。

 

 その後、グラバー園や眼鏡(めがね)(ばし)出島(でじま)なんかをぼんやりと見終えた後、再び佐世保に戻ることにしました。

 

 次の日は佐世保市の南側にあるハウステンボス美術館へ。
 巨大な建造物はあまりなさそうですが、折角佐世保に行ったのだからと足を運んでみることにしました。すると、

 

「私も行く」

 

 母はまたそんなことを言い出しました。
 ハウステンボスに思い入れがあるのかと尋ねると、全くないとの返答です。
 断る理由も特に思いつかなかったので、母と一緒にハウステンボスを回り、その後、うず潮が見られると(うわさ)西海橋(さいかいばし)(おもむ)き「うず潮っぽい……かな?」などとかなり譲歩しながら、二人で瀬戸を眺めていました。

 

 翌日は佐世保最終日です。
 つまり、ここで僕と祖父とが今生(こんじよう)の別れとなることは、僕も母も、そして祖父も気が付いていたとは思いますが、しかし湿(しめ)っぽいことは何一つなく、やけにあっさりとお別れを済ませました。

 

「元気で」

 

 別れ際に僕は祖父にそう伝えました。
 前日の晩から、何を伝えればいいかずっと考えていたのですが、それ以外の言葉が思いつかなかったのです。
 しかも、そう言って別れようとしたものの、その後すぐに家を離れることが出来なかったので、結局同じ言葉を二度言う羽目になってしまいました。

 

 なんでこんなに別れ方が下手(へた)なのだろう、と少し落ち込みました。

 

 祖父の家を離れた僕は、長崎から佐賀県に移動、佐賀県有田(ありた)町の陶器市、唐津(からつ)市の唐津城を巡り、福岡県へ。母は佐賀県まで付いてきましたが、そこで再び佐世保へと戻っていきました。福岡では志免(しめ)町にある志免鉱業所(たて)(こう)(やぐら)という不思議な造形の遺構を眺め、篠栗(ささぐり)町の南蔵院(なんぞういん)では世界一大きいとされる涅槃(ねはん)像を見物し、夜になって、日本で一番高い海浜タワー、福岡タワーへ登頂。

 

 福岡タワーにはカップルや友達と訪れている人が多く、外国人観光客の団体もちらほらおり、一人で観光に行っているのは僕くらいでした。
 展望台へと向かうエレベーターに乗り込むと、団体の韓国人観光客と一緒になりました。
 エレベーターのガイドさんは、初めは日本語で福岡の街並みを説明してくれていたのですが、同乗者が韓国の方だと分かるや(いな)や、急遽(きゆうきよ)日本語と韓国語を織り交ぜての説明に変更しました。

 

咄嗟(とつさ)に対応出来るなんて(すご)いじゃないか)

 

 ガイドさんのスキルに僕はいたく感心しましたし、同乗していた観光客も説明を聞いてふんふんと(うなず)いていました。

 

 しかし、いつしか日本語の説明は少なくなり、気が付けば全てが韓国語になっていたのです。

 

(なるほど……でもこれは仕方ない。だって、この中に一人日本人が紛れ込んでいるだなんて思わないもの)

 

 僕は一人苦笑いを浮かべ、エレベーターが最上部へとたどり着くのを待っていました。
 福岡タワーの展望台から見る夜景はとても綺麗(きれい)でしたが、カップルや友達同士の集団に囲まれながら見る景色は、不思議と(にじ)んで見えるのでした。

 

 翌日に博多(はかた)にて博多どんたくの(にぎ)わいをチラっと肌で感じた後に、ようやく埼玉へ戻り、僕の一人旅は終わりました。

 

 地元に戻ってからも、巨大建造物に対する憧れは()めず、近所でも何かないかと探して見つけたのが送電鉄塔で、そこから僕は鉄塔に関する知識を(たくわ)え、鉄塔名義で活動し、ついには鉄塔を題材とした小説まで執筆することになりました。

 

 全てはこの一人旅から、ひいては祖父の存在から始まったのだと言っても過言ではありません。

 

 改めて、祖父に感謝したいと思う今日この頃です。

 
 

教訓
旅の思い出には、人との出会いと別れが刻まれる──賽助

毎月第2、第4火曜日更新

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賽助プロフィール

賽助(さいすけ)
東京都出身、埼玉県さいたま市育ち。大学にて演劇を専攻。ゲーム実況グループ「三人称」のひとり、「鉄塔」名義でも活動中。また、和太鼓パフォーマンスグループ「暁天」に所属し、国内外で演奏活動を行っている。著書に『はるなつふゆと七福神』(第1回本のサナギ賞優秀賞)『君と夏が、鉄塔の上』がある。
●「三人称」チャンネル
ニコニコ動画 https://ch.nicovideo.jp/sanninshow
YouTube https://www.youtube.com/channel/UCtmXnwe5EYXUc52pq-S2RAg
●和太鼓グループ「暁天」
公式HP https://peraichi.com/landing_pages/view/gyo-ten



山本さほプロフィール

山本さほ(やまもと・さほ)
1985年岩手県生まれ。漫画家。2014年、幼馴染みとの思い出を綴った漫画『岡崎に捧ぐ』(ウェブサイト「note」掲載)が評判となり、会社を退職し漫画家に。同作(リニューアル版)は『ビッグコミックスペリオール』での連載後、単行本が2018年に全5巻で完結した。その他の著書に『無慈悲な8bit』『いつもぼくをみてる』等。Twitter上でも1頁エッセイ漫画『ひまつぶしまんが』を不定期に掲載。