08 買い物

 最後の二人連れが館山(たてやま)駅でバスを降りると、乗客は私一人になった。
「時間の調整が必要ですので、すみませんが少々お待ち下さい」
 そう言って、運転士さんもまた降りてゆく。街灯の下、別の高速バスの同僚と談笑する様子を見るともなく眺めながら、雨粒の残る窓によりかかる。あれほど激しかった雨もいつのまにか上がり、開けっぱなしのドアから流れ込んでくる空気はまぎれもなく春の匂いがした。
 二十分もの調整を終えた後、貸し切りのバスが再び走りだす。何度も何度も車で通い慣れた道なのに、いつもより高い窓から見おろす()れた夜の景色は妙によそよそしく映る。

 東京に長く住んでいた父と母が、南房総(みなみぼうそう)に越してから、もう二十年以上が過ぎた。私と旦那さん一号の暮らしていた鴨川(かもがわ)に近いところに住みたい、でもあんまり近くでは嫌だろうからと、スープは冷めるくらいの距離にある千倉(ちくら)を選んだのだ。
 当時は二人ともまだまだ元気だった。ともに七十過ぎ、耳が遠くなったとか腰や膝が痛いとか物忘れがどうとか言いながらも、家の前の広い畑を借りて、近所の農家のおじさんに教わりながら自分たちが食べるほとんどすべての野菜を作り、ジャガイモやサツマイモ、スイカやメロンなどを親戚じゅうに宅配で送りまくり、毎週日曜日には電車で館山の教会へ通っていた。
 望んで選んだ田舎暮らしだったはずだが、都会の刺激が忘れられない母は、はじめのうち毎月のように一人で内房線の特急に乗って東京へ出て行き、両手に大丸やら三越やらの紙袋をさげて帰ってきたものだ。落ちつくのに数年はかかった。
 買物依存症というものがあることを知ったのは、かなり後になってからのことだ。認知症になり、施設に入った時、必要なものを届けなくてはと実家のタンスを開けてみたら、値札が付いたままのブランド服や、やたらセレブな雰囲気の帽子などが引き出し何杯ぶんも出てきた。さすがに今さらそれらを着てもらうわけにもいかないので、デザインは二の次、肌触りが良くてゆったりとした着心地のものを量販店で買い直して届けた。母はもう、それらに文句はつけなかった。

 

 たとえばあなたは、自分に贅沢(ぜいたく)を許すとして、いくらまでのものなら思いきって買えるだろうか。
 五千円? 一万円? それとも三万、五万、自分への特別なご褒美という言い訳までつけた上での十万円……?
 母にとってのその基準は、ふだんはだいたい五万円くらいのところで留まっていたようだが、ケチくさいことが何より嫌いで、いざ大きな買物をするとなったら選択肢の中でいちばんいいものを選ぶ。サラリーマンだった父は当時の平均からするとずいぶん頑張って稼いでくれていたはずなのだけれど、母の浪費のおかげで家にはいつもお金がなく、おまけにミッション系の私立に通う私の学費が家計を圧迫していた。
 と言っても、おこづかいがとても少なかったのは財政的な事情というより母の教育方針だった。かといってアルバイトは許してもらえない。当然、仲間と遊びに出かけると我慢することが増える。生まれて初めてみんなと某フライドチキン専門店に入った時は、一ピースの値段にびっくりして、お腹がすいていないからとかろうじてジュースだけ頼んだ。おごってあげるよと友人は言ってくれたが、後で返せない恩は(ほどこ)しと同じだ。たまらなく美味しそうな匂いを吸い込まないように口で息をしながら断った。
 一日も早く、自分でお金を稼ぎたかった。初めてのアルバイト代で買ったシャツは白地に青い薔薇(ばら)の模様が入っていて、あまりの思い入れに着られなくなってからもずっと捨てられなかった。今では、自作したパッチワークのベッドカバーの一部になっている。

 そんな私について、「いくらまでの贅沢なら自分に許すか」を正直に言うならば、十年ほど前、まだ本が今よりもずっとよく売れていた頃は、三万円の買い物ならあまり迷わなかった。五万円でもまあ何とかなった。
 年に一度か二度はもうちょっと思いきった買い物もしたし、海外などの旅先だったら一期一会(いちごいちえ)だと思って清水の舞台から飛び降りもした。さらに言うと、恋人や旦那さんのためともなれば東京タワーから飛び降りるくらいの馬鹿もしでかした。そうすることが喜びだったのだから、貢ぐのさえも結局は自分のためだったと言えるかもしれない。
 でも、今は、違う。目の前にこの先も大事に守っていきたい暮らしがあるからだ。
 誰に誇れなくても自分にだけは誇れる仕事があり、(つい)のパートナーだと信じられる相手がいて、猫たちをはじめとする生きものに囲まれ、ささやかな庭があり、毎日のごはんが美味(おい)しい。そういった生活を何より大切なものとして(いと)おしむ気持ちがあるから、身の丈を超えたものを欲しいとはまるで思わなくなった。

 軽井沢(かるいざわ)駅前にはせっかく大規模なアウトレットモールがあるというのに、めったに行くことはないし、行ったとしても以前なら高級ブランドの店へも足が向いたけれど、今やせいぜいフードコートとキッチン雑貨の店にしか用がない。その店で、何ヵ月も迷いに迷った末に思いきってそれぞれ選んだ色柄違いのお茶碗で、毎日向かい合わせに炊きたての土鍋ごはんを食べる……。
 臆面(おくめん)もなく言わせてもらうと、これまで生きてきた中で、今がいちばん幸せだ。というか、幸せというのはこういうことなのだと初めて実感できた気がする。
 最愛の父と、最愛の猫を、相次いで(うしな)うといった哀しみにも、たぶんその生活があったからこそ耐えることができた。そして今、最愛の、と呼ぶには難しい母をも亡くしたというわけだ。
 高速バスの運転手さんにお礼を言って、人けのない千倉駅前のロータリーに降り立つ。
 街灯に照らされた桜の木の下に、背の君が青いジープを停めて待っていた。濡れたボンネットにも地面にも、びっしりと花びらが貼りついていた。

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村山由佳(むらやま・ゆか)

 1964年東京都生まれ。立教大学卒業。 93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。『ミルク・アンド・ハニー』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『まつらひ』『もみじの言いぶん』『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』など著書多数。


本文写真 村山由佳
著者近影 山口真由子