05 三回目の

 こう言っては何だが、十歳上の私の兄貴は、かなりのシスコンである。そして、こんなことを言うのも恥ずかしいが、私もまた結構なブラコンである。
 だからといって実人生で困るほどのことは特にないので、要するに、仲良しなんだなあ、くらいに思って頂きたい。
 小学四年生の頃だったか、当時浪人生だった兄が学校まで迎えに来てくれたことがあった。ミッション系女子校の玄関前にどっかり座って待っていた兄を、警備員さんや先生がたはめちゃくちゃ警戒し、私に向かって、あれは誰ですか、ほんとうにお兄さんですかと何度も確かめた。あんまりな仕打ちである。膝に穴の開いたベルボトムのジーンズ、額にはバンダナ、下駄にくわえ煙草(たばこ)というヒッピースタイルは、時代から考えればまったくもって自然だったはずだ。
 中学に上がった私は、うっかり寝坊すると母には内緒で兄を揺り起こし、廃車まで半年のポンコツ車で送ってもらった。高校が休みの日に電話がかかってきて、「お祭りをやってるから出ておいで」と呼び出され、うきうきとバスで三十分もかかる町の神社まで出かけて行ってリンゴ(あめ)と小さなネックレスを買ってもらったのを覚えている。
「あの時のお祭り、ほんとは、一緒に行くはずの女の子にふられたんじゃないの?」
 と()いたのは、何十年もたってからのことだ。図星だった。
 今でも、会えば「よおぉぉ、久しぶりぃ〜」とハグし合うし、メールには「愛する妹へ」だの「可愛い妹より」だの(←どっちも私が得している)と臆面もなく書き合うようなキモチ悪いきょうだいなのだけれど──。
 ほんとうは、私たち二人の上には、もうひとり兄がいる。とある過去の遺恨が遠因となり、両親との仲がこじれて家を出て行ってしまったのが、彼が二十代前半の頃。しばらくの間はきょうだい三人で連絡を取り合うこともあったが、その後、まず兄同士がぶつかり、さらに何年かして二十歳を過ぎた私と長兄もまたぶつかって、それからはすっかり没交渉になった。
 我が家が特別変わっていたわけではないと思う。家族が、途中でひとりの欠員も出さずにずっと同じ家族をやっていられるというのは、じつはちっとも当たり前のことではなくて、奇跡に等しいことなのだ。
 今ふり返っても、上の兄には上の兄なりに、親たちに腹を立てても仕方がないような事情があったし、次兄にも、私にもそれぞれ、長兄に対して怒る理由があった。こういうことになるより他にどうしようもなかったのだ。
 誰かから「何人きょうだいですか」と訊かれれば「三人です」と答えるけれども、私にとって〈兄〉といえば、今は次兄ひとりである。

 その兄夫婦の家に、私と背の君がようやっと辿り着いたのは、四月六日の夕刻のことだった。某製薬会社を定年退職し、今は人工透析の患者さんをケアする仕事についている兄は、少ない休日をつぶして私たちを待っていてくれた。
 母の容態についての報告を済ませ、兄の娘夫婦とその幼い息子まで交えて、暇を見ては作っているというフライ・フィッシング用の毛鉤(けばり)コレクションなども披露してもらう。何かと()り性なのは、これはもう父も母もそうだったのであきらめるより仕方がない。
 夕食後、義姉(あね)がケーキを並べてくれるそばで、兄がいつものようにコーヒーを()れ始める。ようやくひと息ついたあたりで、私はかばんの中からファイルを取り出した。
「じつはね、ちょっとお願いがあるんだわ」
「え、なに」
 と戸惑う兄に、背の君が言う。
「すまん、兄貴! なんも訊かんと保証人になってくれへんか。黙ってここへサインしてくれるだけでええねん」
 一瞬きょとんとした兄は、目の前に差し出された届出書類を見るなり、大笑いを始めた。
「なんだよ、保証人って言うから何かと思ったら……」
 驚いて(のぞ)きにきた義姉や(めい)っ子たちも、一緒になって笑いだす。
「あらまあ、おめでとう」
 そもそもどちらから言いだしたかといえば、背の君だった。前回、二月の半ばにキミコさんに会いに行った帰り道、京葉(けいよう)道路を走っている時のことだ。ずっと黙ってハンドルを握っていた彼が、いきなり何の脈絡もなくこう(のたま)った。
〈そんで、いつ籍入れンねん〉
 助手席の私は、まるでお約束のようにペットボトルのお茶を噴き、盛大にむせた。てっきり冗談だと思った。これまで一度も話題に上らなかったわけではないけれど、いったいどうしてこのタイミングで急に……。
 ぽかんと隣を見やる私をよそに、彼は運転席の窓を少し下ろし、煙草に火をつけた。
〈一緒に暮らすようになって、もう丸四年たつやろ。そろそろ形の上でもきちっとケジメつけな、シロさんに申し訳が立たん思てな〉
 史郎(しろう)、という私の父の名前を、彼が敬愛をこめてそう呼ぶのはいつものことだが、改めてそれを聞いた時ようやく、ああ本気なんだな、とわかった。

「と、まあ、そういうわけなのよ」
 事のなりゆきを説明しながら、義姉が綺麗(きれい)に拭いてくれたテーブルに書類をひろげる。
「おう、するする。こんな嬉しいサインなら、いくらだってしてやるぞ」
「いや一回でいいんですけども」
 これを書くのは、私も背の君もそれぞれ三回目だが、書き方なんぞはとうに忘れていた。感慨深さから言ったら今回がいちばん、と思うのだって、もしかすると前のことを忘れているだけかもしれない。記憶なんてあてにならないものだ。
 それでもやっぱり、と思う。一回目の時は若くて、籍を入れることに疑問なんて抱きもしなかったし、二回目の時は、入れることで相手との関係性が少しは変わるんじゃないかと望みを託すような気持ちだった。それが今回は、あきれるくらい自然なのだ。入れても入れなくても、今日も明日も変わらない。互いの近さに変化もないし、親戚だってただの一人も増えない。でも、お互いがお互いに対して、またお互いの大切な人たちに対して、法的にもはっきりと責任を持てる立場になる。それが嬉しく、心強い。
 保証人ならぬ〈証人〉の欄の一方にはすでに、背の君の母親であり私の叔母であるひとのサインをもらってあった。
 兄の手もとにペンと印鑑を用意してくれた義姉が、
「ねえねえ、それでいつ提出するの?」
 と訊く。目が、キラキラを通り越してピカピカしている。
「今んとこ、来月の二十六日にしよか、て思てるんやけど」
 と背の君。
「あら、何かの記念日?」
「俺の誕生日だったら二十四日だよ」
 真顔でボケをかます兄に向かって、私は首を振ってみせた。
「五月二十六日はね。去年逝った〈もみじ〉の誕生日なんだわ」

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村山由佳(むらやま・ゆか)

 1964年東京都生まれ。立教大学卒業。 93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。『ミルク・アンド・ハニー』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『まつらひ』『もみじの言いぶん』『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』など著書多数。


本文写真 村山由佳
著者近影 山口真由子