04 父親と母親

 南房総(みなみぼうそう)の実家に滞在した残りの日々、私たちは毎日、ふだんは誰もいない実家のあちこちを片付けては掃除し、水拭きをし、窓を開け放って風を通した。
 母が施設に入って以来ひとりで暮らしていた父は、私たちが思う以上に目も耳も手足も衰えていたのだろう。溜まりに溜まって放置されていた汚れは、ちょっとやそっと雑巾掛けをしたところで簡単には落ちなかったけれど、不要なものを一つずつ処分し、大事に取っておきたいものを整理して並べ、父が定年直後の二年をかけて分厚い一枚板に彫った『最後の晩餐(ばんさん)』を磨いたりなどしているうちに、家の中に漂う空気は徐々に(すが)しくなっていった。

 何を伝えてもその場で忘れてしまう母がまだ家にいた頃、父は一日に同じことをどれだけくり返し口にしたのか──まだしも話の通じる猫の〈青磁(せいじ)〉にこっそりあれこれこぼしていたかもしれない。
 デスクの下に落ちていた手製の貼り紙には、懐かしい右肩上がりの字で、
〈散歩してきます〉
 という文言と、何度も何度も貼り直したセロハンテープのあとがあった。
 見つけたそれを背の君に手渡し、
「お父ちゃん、今も散歩行ったはんねんなあ。なんちゅう長い散歩」
 笑って言おうとしたのに、涙があふれた。ぽん、ぽん、と黙って私の頭を()でる彼の手が、父のそれのようで慕わしかった。

 幸い、お天気には恵まれていた。桜のつぼみが日に日にふくらみ、布団や洗濯ものはさっぱりとよく乾く。背の君が家の周りの草刈りをする間、相変わらず風邪気味の私はパソコンに向かって書きものをし、洗濯機がピーピー音をたてれば立っていって、洗いあがったシーツやタオルや作業着を干した。
 そうして毎日、午後には二人して母に会いに行った。
 もう何度目かでしみじみ思う。背の君がいてくれて助かった。一昨年、父を訪ねてみたら床に倒れて亡くなっていたあの時も、去年、愛猫の〈もみじ〉を闘病の末に看取(みと)ることとなった十ヶ月間も、彼がそばで支えてくれなかったら自分はどうなっていたかわからないと何度も思ったものだけれど、今回は、そういう心強さともまたちょっと異なるありがたさだった。
 だってふつうは、と思ってみる。
 親との別れがもうすぐそこに迫っているとわかっている時、ふつうは、もっと悲しい気持ちになるものなんじゃないだろうか。ふつうの娘なら、母親との限りある時間を惜しむ気持ちになるんじゃないだろうか。
 いま人生を終えようとしているのが父であったなら、私だってきっとそうなっていたはずだ。でも、いかんせん、母親に対しては何も感じないのだ。恨みも、憎しみも、恐怖も、もうほとんど残っていないはずなのに、人生の最晩年にある母の顔を見てもさっぱり感情が動かない。
 ここ一年ほどでようやく、笑っている彼女を〈かわいい〉と思える瞬間がほんの何度かあった。それだって、娘である私をまったく覚えていない母が、どこかよそのおばあちゃんみたいだったおかげであって、母が母のままだったならあり得ないことだ。
 施設に会いに行けば、優しくせざるを得ない。隣に座って言葉をかけたり、食事の介助をしたりしながらもやっぱり気持ちは動かなくて、そのぶん、自分の中の偽善と向き合わなくてはならない。
 子どもの頃からどうしても気持ち悪くてさわれなかった母の入れ歯に、今でもやっぱりさわれない自分。シミと(しわ)だらけの手や顔に触れる寸前、ぐっ、と腹に力をためて何かを飛び越さなくてはならない自分。そうしていちいち思いきって手を握り、薄くて冷たい皮膚をおそるおそる撫でたりしながら、思うのだ。
(さて……どうしたもんかなあ)
 心境を表す言葉としては、それがいちばん近い。現実的な責任の所在はともかく感情の上では、何もかもがひとごとみたいな感じだった。
 そんなふうだったから、もし私ひとりで実家に滞在していたとしたら、こんなに頻繁に母の顔を見に行くことはしなかったと思う。
「こっちにおる時ぐらい毎日会いに行ったろや」
 と、背の君がしごくもっともなことを言って私を引っぱって行ってくれなかったら、一週間の滞在の間に、たぶん最初と最後の二回くらいしか施設を訪れなかったんじゃないか。
「いや、それもようわかるねん。俺もおんなじやったからな」
 と彼は言うのだった。
 ちょうど私と母の間にあったような感情の行き違いが、彼と父親の間にもかつてあった。父親が長く入院していた間、弟や娘を車に乗せて連れて行くことはしても、自分自身は一度も見舞わなかったらしい。あのとき何をおいても行くべきだった、と、彼が言うのを聞いたことはないし、たぶん今だってそんなふうには思っていないだろうけれど、だからといって後悔が少しもないわけではない。

 ちなみにその、彼の父親であるヤスオというのが、私の母であるキミコの、年の離れた末弟にあたる。顔も性格もよく似た二人だが、不思議なことに、私は、叔父である〈ヤスオにいちゃん〉からめっぽう愛してもらった記憶しかないし、背の君もまた〈キミコおばちゃん〉には可愛がられた思い出しかないという。自身の子どもだと上手く愛せないところまで含めて、似たもの姉弟(きようだい)だった。
「親父がまだ生きとって、おばちゃんもハッキリしとったら、俺ら、こういうことにはなられへんかったかも知れんなあ」
 今でもお互いの間でよく話題にのぼるのがそれだ。私たち従姉弟(いとこ)同士が一緒に暮らすのを、いちばん血の濃いあの二人は決して許してくれなかったに違いない。
 残りの親戚はといえば、うちの父親や兄貴や、彼の母親や娘をはじめ、誰もかれも最初は驚き呆れたものの、それでもまあなし崩しといった感じで受け容れてくれた。数年前までなら信じられないくらい頻繁に親戚同士が行き来するようになっている現状を、今では喜んでくれてもいるようだ。
 そんなわけで──。
 南房総千倉(ちくら)の実家に一週間滞在し、
「次は五月のゴールデンウィークに来るからな、それまで元気でおりや。ええな、ほんま頼むで」
 キミコさんにそう言い含めて出発した私と背の君は、軽井沢(かるいざわ)の家へはまっすぐ帰らず、東京と神奈川の(さか)い目あたりに住んでいる我が兄夫婦の家に立ち寄ったのだった。
 とある頼みごとをするために。

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村山由佳(むらやま・ゆか)

 1964年東京都生まれ。立教大学卒業。 93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。『ミルク・アンド・ハニー』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『まつらひ』『もみじの言いぶん』『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』など著書多数。


本文写真 村山由佳
著者近影 山口真由子