25 説明のつかないこと

 私たちより後にはもう患畜さんはいなかった。
〈お(きぬ)〉がおもらしをした私のスカートはすでに乾きかけ、ツンとくる臭いもいくらかましになっていた。
「ツイッター、読みましたよ」
 ひと息ついた院長先生は、目をきらきらさせて言った。
「こんなに不思議なめぐり合わせってあるんですねえ。きっと〈もみじ〉ちゃんが、何かしてくれたんじゃないかしら」
「やっぱりそう思います? 私たちも、なんだかそんな気がしてしょうがなくて」
 隣でミホちゃん先生もスタッフの皆さんも、笑ってうんうんと(うなず)いてくれる。
 こんなことを書くと、過剰にスピリチュアルな発言と誤解されてしまうかもしれないし、そういうのにはついていけないと思う人だっているかもしれない。
 でも、いわゆる〈そういうの〉とはちょっと違うんです、と言いたい。ただ、できるだけ傲慢になりたくないだけなのだ。
 相手が動物であれ人間であれ、医療の現場で日々いのちと向き合っている先生たちが必ずおっしゃることがある。生死を分けるようなぎりぎりの瞬間には、往々にして、何か途轍(とてつ)もなく不思議な力が働く場合がある、と。
 私自身がそれを実感したのは、まず、父が亡くなった時だった。三カ月以上も実家に帰っていなかったのに、たまたまその日の朝、東京から足を伸ばしてサプライズで里帰りしてみたらトイレで倒れていた。検死の結果、私と背の君が訪ねるほんの二、三時間前に息を引き取ったことがわかった。きっと呼ばれたんだよ、と皆が言った。
 もみじを見送った時もそうだ。容態が安定して、院長先生とミホちゃん先生が一旦その場を離れ、私ともみじと背の君の三にんだけになった隙に、両方に見守られ、ふーっと最期の息を吐いて逝ってしまった。親しい友人母子ですら一足違いで間に合わなかった。ほんとうに三にんきりの、ほんのわずかな間の出来事だった。
 たまたま、には違いないんだろう。でも私はあれらのことを、単なる偶然の結果だと切り捨てたくはない。偶然にせよ不思議な符合もあるものだなあ、と、そのままじんわり噛みしめていたい。
 この宇宙の何もかもすべてが理屈で割り切れるわけではなくて、最先端の科学をもってしてもいまだ説明のつかない物事がたくさんある。この世はこの世のものだけでできているわけではないのかもしれない、という基本的な態度は、人を(とりあえず必要最低限にせよ)謙虚にしてくれる気がするのだけれど、どうだろう。
 ともあれ──。
 院長先生の見立てでは、まだ最低二週間は生まれそうにないとのことだったので、私たちはお絹を連れ帰り、その夜はようやくほっとして眠った。指折り数えてみれば、母がいよいよ危なくなって以来、ほぼ一週間ぶりの深い眠りだった。

 頭の中がお花畑、とはこういう感じを言うのだろうか。お絹が来てからというもの、私の心境はものの見事に変わった。
 あまりの変わりように自分で自分にあきれ、それと同時にこの一年あまりどれほど暴力的に寂しかったか改めて身にしみた。よくもまあ耐えたものだと思った。
 目の前に、こちらをまっすぐ見つめ、ひたむきに私を求めてくれる子がいる。文字通り絹糸のようになめらかな毛並み、耳の先をそっとつまむだけで感じられる温かな血潮。愛おしいと思える小さな生きものがすぐそばにいて、手をのばせばちゃんと触れられるという、それだけのことに体が震えた。
「ああもう、かーわいいなあ、あんたは」
 抱きあげながらそう口にするたび、鼻の奥が水っぽくなり、性懲りもなく涙がこぼれる。でも、辛い涙ではない。思い出とともに懐かしさが突きあげてきて、悲しさが(かな)しさへと深まってゆくがゆえの涙だ。
 もみじがこの世を去って一年と二十一日目。
 早かったとも、遅かったとも思わない。お絹はただ、来るべくして我が家に来た、という気がしたし、彼女をどれだけ可愛(かわい)がっても、もみじに後ろめたい気持ちにはならなかった。
 ベッドの足もとにはもみじの骨壺と写真と生花が飾ってあって、毎朝必ず小さなグラスに()んだ白湯(さゆ)を供えるのだけれど、日中もその〈祭壇〉の前を通るたび、声に出して話しかけるのも変わらない。
 ただ、内容はかなり変わったと思う。
 この一年間はどうしても、
〈もみちゃん、()よ帰っといでよ。待ってんねんで〉
〈お着替えの服、まだ決まらんの?〉
〈早よせんと、とーちゃんもかーちゃんも年取ってまうで〉
 といった繰り言が多かったのだけれど、お絹が来てからは、
「もみちゃん、あんたはほんまに、たいした子やってんなぁ」
「おおきにやで。お絹に会わせてくれて」
 そんなふうな言葉へと自然に変化していったのだ。
 実家のある千倉(ちくら)で、お絹が初めて私の足もとに体をすりつけながら家までついてきた時のことを思い出す。
 ()でようと手を差し伸べると、彼女は後肢で立ち上がり、トン、とてのひらに頭突きをした。
 思わず声が出た。もみじそっくりのしぐさだったからだ。そういうふうにする猫はよそにももちろんいるけれど、我が家には、もみじ以外にいなかった。
 そんなわけで、私も背の君も、今では時々、お絹の耳もとに口をつけてこう()いてしまうのだ。
「なぁなぁ、いま中に、もみちゃん居てたやろ」

毎週金曜日更新

更新情報はTwitterでお知らせしています。

村山由佳(むらやま・ゆか)

 1964年東京都生まれ。立教大学卒業。 93年『天使の卵─エンジェルス・エッグ─』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。09年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。『ミルク・アンド・ハニー』『猫がいなけりゃ息もできない』『はつ恋』『まつらひ』『もみじの言いぶん』『晴れときどき猫背 そして、もみじへ』など著書多数。


本文写真 村山由佳
著者近影 山口真由子