08 『ジョーカー』を観に行く――阿南さんによるシリアルキラー講座地獄篇――「僕が励ましてもらいたいですけどね。むしろね」

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 僕は映画館が苦手だ。
 映画を鑑賞中に劇場で2時間じっとしていられなくて、スマートフォンをチェックしてしまう人が多いという記事をYahoo!ニュースで読んだが、僕が映画館を忌避している理由はまさにそこだ。自分勝手にスマホをつけたりとか、ひどく酔っていたりとか、おそろしい連中があの暗闇にまぎれこんでいるのではと不安で映画どころではないし、実際にその手の人間に遭遇したら、もう立ち直れない。そんなわけで、僕は映画館に近寄らず、子供を映画に連れて行くのはもっぱら妻の役割だった。
 僕にとって映画館で映画を観るという行為は、ビールとポップコーンをおともに座禅するのとおなじだった。
 そんなにいやなら、しなければいいじゃない。
 わかってますよそれくらい。
 ではなぜ、こんな話をしているかといえば、僕は今、新宿の映画館にきているからだ。
『ジョーカー』を観るんだよ。

 

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『バットマン』に登場する敵役、ジョーカーを主人公とした映画が公開され、どうもそれがやばいらしい。
 聞くところによれば、1人の善良な男が人生に追い詰められ、悪のカリスマ、ジョーカーへと変わっていくというストーリーに、鑑賞者の犯罪を助長する効能がふくまれているそうで、海外では厳戒態勢のもとで試写会がおこなわれたり、いくつもの映画館がセキュリティを強化したりしているとのことだった。
 これから39歳になる僕は、さすがにその手の「宣伝」に踊らされはしなかったが、『ジョーカー』で描かれる問題はひょっとしたらこの連載と共通しているのではという話になり、担当編集者の阿南(あなん)さんと鑑賞することになった。
 阿南さんもあまり映画館には足を運ばないらしく、チケット購入にまごついたり、すぐに開場するものだと思ってビールを買ったあとで、「開場までもうしばらくお待ちください」ともぎりに云われたりと出鼻をくじかれ、2人ともさっそく疲れきって、映画館の外でビールを飲みつつ、「システムがわからん」「ドライブインシアター復活しませんかねえ」などと云って時間をつぶした。

 

 そうして満席の中で観た『ジョーカー』は、安全な映画だった。

 

 社会に取り残された弱者が、大きな事件を起こしてしまうというのは、アメリカにかぎらず、令和になって出現したシリアルキラーおじさんにも通ずる問題だし、ドン底に落ちた人生を回復させるむずかしさも、この連載とテーマ性が近く、『ジョーカー』はそれらをみごとに描いていた。
 ただし、きわめて安全なかたちで。
(ここからネタバレ感想)主人公のジョーカーは、スタート時点から精神科に通い向精神薬を服用していて、こちらは中盤で明らかになるのだが、幼いころに受けた虐待のせいで脳にダメージを負っているという設定だった。つまり、ジョーカーのような悪のカリスマに、「だれでも」なってしまうわけではなく、ジョーカーは生まれながらの異端児なのだと思わせることで、観客を安心させる機能が組みこまれていたのだ。
 もちろん、虐待を受けてもまっとうに生きている人がほとんどだし、精神科に通院=犯罪者予備軍といったイメージを持つ人も今や少ないだろう。それでも、「精神科」「虐待」「障害」といった情報が通奏低音のように流れているため、観客はジョーカーの人生を追体験しながらも同時に、「彼はふつうの人生ではなかったのだ」という、ある意味、突き放した気持ちで鑑賞することになる。「同情」はさせても、「同調」はさせないようにしている。
 なにより最大の安全弁は、映画のラストで、これまで語られてきたストーリーが、ジョーカーの作り話かもしれないというエクスキューズを入れたところだろう。
 これによって観客はハシゴを外され、映画に侵食された自分の心を取り戻す。「なあんだ。みんな作り話の可能性があるのか……っていうかこれ、そもそも全部映画だし。夕飯はなに食べようかなあ」というふうに我に返って、映画館をあとにすることができるというわけだ。
 さらに、こうした構造は、原作ファンへのフォローにもなった。「メタ展開」や、「正史に干渉しないエピソードを描く」というのは、人気作品のスピンオフがよくやる手だ(僕もやったことがある)。映画の内容すべてがジョーカーのジョークだったとすれば、原作ファンによる、「こんなのジョーカーじゃない!」という批判も封印できる。まさに一石二鳥。
 こうしたさまざまな心遣いによって、映画『ジョーカー』は、「どこにでもいる人間が、屈辱と敗北によって悪へと転化していく様子を克明に描く」という、危ういストーリーを作らなくてもよくなり、だからこそ安全な映画だと僕は思ったのだ。
 調整された映像の中で、適切な暴走をつづける主人公を観ながら、僕はずっと彼に同情していた。人生がうまくいかないこと、人生がうまくいかない設定にされていることに同情していた。だから彼がとうとうジョーカーになってしまったとき、僕は深いため息を()いて、また1人、シリアルキラーおじさんが誕生したことを呪った。
 彼もまた、シリアルキラーという若者の特権を今さら行使して、それで人生を大逆転させようとした中年男性にすぎない。
 かわいそうなジョーカー。
 同情とは、かっこよくない人間が利用する感情だ(ネタバレ感想終わり)。

 

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 映画が終わったあと、僕たちは歌舞伎町の居酒屋に入った。阿南さんの奥さんは今、仕事で海外に行っているらしく、家に帰って娘さんの面倒を見なければならないので30分ほどしか時間がなかったが、それでじゅうぶんだった。
「なんか、思ったより生々しくなかったですね」
 僕はレモンサワーを飲みながら云った。
「そうか? 大野一雄を想起させるダンスは生々しかったが」
「大野……」
「知らないならあとで動画でも観てくれ」
「ダンスよりスタンスですよ。ジョーカーのスタンスが納得いかない。あんなの、『自分の人生には青春がなくてつらい!』って叫んでるだけじゃないですか」
「あの映画では、そうしたわかりやすい不幸を描く必要があったのだろう」
「青春なんてべつに、何歳からでも取り戻せますよ。湘南の高校に通ってダンスとサッカーをやって、恋人をバイクに乗せて海を見ながら缶ビールを飲むことだけが青春じゃないんですから」
「以前、『35歳が青春の終わり』と、ある小説家に云われたことがあるよ」
「え、それだとこまる。僕、38歳ですけど!」
「それを云われたのは10年以上も前だから、今は38歳も青春なのかもしれないがな。まあ俺には、青春ということばの意味がいまだによくわからないんだが、それでも、きみが云っているのはきみ自身の問題についてだ」
 阿南さんは煙草(たばこ)に火をつけてから、
「今、グローバリズムに適応していく過程で、多くの国が社会的弱者への援助を切り捨てている。そのような問題だって事実として存在しているし、ジョーカーの半生をあのように描いたのは、そうした現状への批判として機能させるためだ」
「じゃあ阿南さんは、おもしろかったんですか?」
「まさか」
 阿南さんは目尻に力をこめて、
「少なくとも俺たちの映画ではなかった」
「ああ、まさにそれですね」
「すべてが自己責任と云われて、劣等感を募らせている連中には共感できないかもしれないが、たとえば現在、フランスではデモやストが尋常じゃないほど激化している」
 去年、ヨーロッパから日本に戻ってきた阿南さんはそう云ったあと、
「いずれ、ジョーカーのようなアンチヒーローが、本当に現れるかもしれない」
「えー。そんなことはないでしょう。だって現実のシリアルキラーは、『1人で死ね』とか、『さんざん痛めつけたあとで死刑にしろ』とか糾弾されまくってますよ」
「どうもきみはいつのまにか、2種類の殺人鬼を混同してしまったらしいな」
「混同?」
「殺人鬼には、2つのタイプが存在する」
「なんですそれ。近距離パワー型と遠隔操作型みたいな?」
 僕が茶化すと、阿南さんは大真面目な顔つきで、「まさしく、スタンドの性能のちがいだ」と答えてから、
「まず1つめのタイプは、原因はどうあれ自分の人生に敗北感を抱いた者が、社会に噛みつくために人を殺す連中だ。この手のタイプは突発的に、幸福そうな人間を大量に殺し、あわよくば自殺しようとする。FBIはそうした殺人者を、マスマーダー、またはスプリーキラーと分類しているよ。シリアルキラーとは、一定の冷却期間をおいて、連続(シリアル)の殺人をおこなう者を指す用語だからな」
「あ、そうでしたね。事件を1回起こしただけじゃ、連続殺人鬼じゃないですもんね」
「この、1つめのタイプの殺人鬼は、動機が身勝手で矮小(わいしょう)だから、あまり信奉者を生み出さない。まあ当然だ。すべてを奪われた者が、自分の尊厳を賭けて闘うために、最後に残された手段が殺人だったというだけの、せせこましい話にすぎないからな」
 阿南さんは短く煙草を吸いこんだあと、「そんなのより、重要なのはこっちだ」と前置きしてから、説明をつづけた。
「2つめのタイプ、つまり正真正銘のシリアルキラーは、この人間社会に居場所を持てない特殊な嗜好を持った者が社会にまぎれこんで、みずからの嗜好をひそかに満足させていくという連中だ。彼らはまさに人間に擬態して、社会の中で、こっそりと……」
「待ってください阿南さん。それってアレですか? 変態性欲とか、サイコパスとか、そういうアレな話ですか?」
「レクター博士のイメージが強烈だし、性的嗜好からくる特殊性というケースも多いとは思う。だが変態性そのものより、それを入り口として社会の枠組みから逸脱した自己に覚醒してしまうことのほうが重要だ。彼らは期せずして、自然人、宇宙人になってしまったというわけさ」
 またはじまった。
 なにを云っているのか全然理解できない。
 僕の顔色から、そのような情報を受け取ったのだろう、阿南さんは静かな口調で、「俺はべつに、神秘的な話をしてるんじゃない」と断ってから、
「たとえば『善悪』といった人間社会のルールは、時代や場所で変化する相対的なものだろ。きみがこだわっている『青春』もそうだ。しかし、物理法則や天体の動きは、時代や場所がどれだけ変わろうとけっして変化しない絶対的なものだ。このような、人間の暮らしの外側にある絶対的なルール、それだけが、社会から逸脱してしまったシリアルキラーの意識と対峙するようになる。つまり、社会の外に出て自然や宇宙と向き合ってこそ、シリアルキラーの崇高性はただしく発現するわけだ」
「お話のスケールが、ちょっと、大きくなってるように思いますけど」
「では、こう云ったらどうだ。燃え上がるローマを宮殿から見下ろすネロの姿や、人類が太刀打ちできないほどの巨大な自然災害を前にしたとき、思わず魅了されてしまうことはないか? むろん、嫌悪や恐怖はあるが、それよりも超越した力を感じて、なぜだかうっとりしたはずだ」
「そう……ですね。そこはそうかもしれない」
「なぜ魅了されるかといえば、そのような崇高性……人間社会の外側にある自然や、宇宙の存在感といったもの……を、本当はだれもが知っているからなんだ。だからこそ人は、シリアルキラーに魅了され、人間社会のモラルを破壊するアンチヒーローとして歓迎する」
「『おれたちにできない事を平然とやってのけるッ』ってやつですかね」
「まさしく」
「で、今回のジョーカーは、そっちのタイプじゃなかったと?」
「社会の内側から現れた、よくある殺人鬼だったと感じたよ。そして俺自身は、このタイプにはほとんど関心がない……。そろそろ時間だ。俺はもう行くよ。きみはゆっくりしてくれ」
 云いたいことはすべて云ったらしく、阿南さんは店を出た。
 はたして阿南さんは、まだそこまで大きくない自分の娘に、どんなふうに接しているのか気になった。「テストの点数が悪くて〜」とか、「友だちとケンカしちゃって〜」みたいな娘さんの悩みに、神や宇宙といった用語を使ってアドバイスしているのではないだろうか。
 数年前、14歳のシリアルキラーの町を2人で回ったときも、阿南さんはあの調子だった。14歳の殺人鬼が感じていたであろう孤独や、地方都市にただよう閉塞感よりも、なにかべつのものに注意を向けていた。そして阿南さんがなにを見ようとしていたのか、僕には最後までわからなかった。
 僕たちは目指すところはいっしょだが、見ている風景はちがう。それは「思想」のちがいというより、「青春」のちがいなのかもしれない。
 僕はわりと、阿南さんが全否定した、1つめのタイプの殺人鬼にも関心があった。
 なにせ僕は今のところ、「自分の人生に敗北」したと思いこみ、「社会に噛みつ」こうとして、「あわよくば自殺」することを願っているのだから。
 誤解されるようなことを書くけれど、僕はきっと、シリアルキラーにはなれない。僕がやれるのは、自分の尊厳を賭けて死に突き進むことだけ。そのとき、自分より弱い者を道連れにするつもりは毛頭ないけれど、1人で死ぬのがさみしいという感覚はよくわかる。心中だって似たようなものだろう。そういえば僕は一時期、心中にあこがれていた。
 レモンサワーを飲み干してから、僕も店を出た。
 外はすっかり日が暮れていた。
 秋の夜長が幕を開けた。
 こうして1人になった僕は、いつもであればそのまま家に帰って子供と遊び、幸福を感じながらも陰々滅々としていただろうが、今日は新宿に残った。
 用事があるんだよ。
 夜の新宿に用事があるというのは、生きているということだ。

 

     ※

 

 新宿のはずれにある音楽スタジオの待合室には、バンドメンバーがすでに集まっていた。
「あ、どもですー」「どうもどうも」「今日はよろしくおねがいします」といった、平均年齢が40をすぎた中年バンドらしい挨拶をすませてから、僕たちは予約していたスタジオに入った。
 僕はこの夏、バンドを結成した(連載06回参照)。その後ほどなくして、作家でライターのPさん(ドラム)と、素性(すじょう)は明かせないが立派な社会人の某氏(ベース)という新メンバーがくわわり、今日は本格的に曲作りしようということになっていた。
 中年バンドなんて、若者から見れば寒いだけだろうし、こんなことをしていないで働けとでも思われているのだろうが、しかしこれは、僕自身を未来に進ませるための切実な努力だった。事実、すでに効果は現れている。バンド練習のために外に出るようになったし、Pさんや某氏という新しい友だちもできた。
 自分の人生の悲しみを歌うことは1人でもできる。
 でもどうせなら、みんなといっしょに歌ったほうがより深い響きを得られるし、また演奏して実際に歌えば、かならずだれかに届く。
「それではこれから、新曲を作っていきたいと思います」
 これまでずっとiPhoneでリズムを鳴らしていたiPhone担当は、ドラマーが加入したことで、キーボード担当に昇格した。
「んー。どんなのがいいですかね」
 僕はレンタルのギターをジャラジャラ鳴らした。
「プログレやりましょうよプログレ」
 大学時代にバンドを組んでいて、友人の多くがプロミュージシャンである某氏がとんでもない提案をした。
「プログレはちょっと……ウチのバンドには難易度が高すぎるかと」
 僕は苦笑しつつ、
「あ、そうだ。季節をテーマにした曲を作ってみるのはどうですか」
「ほう。季節とは?」
 前iPhone担当こと、キーボード担当が聞いた。
「たとえば卒業ソングとか、クリスマスソングとか、そういう定番曲を作るんですよ。つねに歌唱印税が入ってくるような曲をね、山下達郎のような曲をね、作ったらいいんじゃないかと」
「卒業ソング……」
「仰げば尊し……」
「想い出がいっぱい……」
「や、やめましょうか。やめる勇気! じゃあほら、応援ソングはどうです?」
「だれを応援しますか」
「労働者とか」
「それだとメーデー歌です」
「学生とか、OLさんは?」
「新生活応援ソング?」
 なるほど新生活。それは新社会人にかぎらず、僕にも関係のあることばだ。38歳の既婚者にも、新生活というものがあることを僕は知っている。いや、信じているといったほうがいいかもしれない。
「それじゃ、OLを癒やす曲を作りましょうかね。僕は学生よりOLを応援したいから!」
 僕はへらへらと笑いながら云った。
「わかりました。それでは、がんばっている女性を応援する歌を作りましょう」
 キーボード担当は真顔で云った。
「都会で疲れている女性が、思わず涙を流すような曲がいいなあ」
 Pさんがうなずいた。
「……まあ、でも」
 キーボード担当はあいかわらず真顔のまま、
「僕が励ましてもらいたいですけどね。むしろね」
 この発言が転機だった。
 キーボード担当は、シンセサイザーをいじって、
「こういうのはどうでしょう。『応援ソング』ではなく、『応援してもらいたいソング』を作るのです。つまりその、僕たちを応援してくれという曲です」
 そう云って、鍵盤で即興のコードを奏でつつ、とんでもないフレーズを歌った。
「疲れた僕をなぐさめてほしい♪」
「うわ!」
「疲れた僕を癒やしてほしい♪」
「なんだそれ!」
「Amazonの、ほしい物リストに入れたものを買ってほしい♪」
「ひっでえ!」
 そうは云ってもおもしろかったので、この流れで曲作りがはじまった。
 キーボード担当は、壮大なストリングスを響かせて歌い、それにみんなでツッコミを入れたり、ゲラゲラ爆笑したりしているうちに、なんとなく歌詞とメロディができあがる。

 

 僕に おカネを 送ってほしい
 僕に なにかを 送ってほしい
 僕に 図書カードを 送ってほしい
 僕に ビール券を 送ってほしい
 僕に やすらぎを 送ってほしい
 僕に 愛情を 送ってほしい
 僕に すべてを 送ってほしい

 

「うわー、だめな歌だなあ」
「あまりに情けなくてすごいです」
「ひどさが突き抜けて逆に清々(すがすが)しい」
 僕たちはキーボード担当の底知れぬ作詞能力に驚愕した。ただ、僕の方針としてはロックバンドをやりたいので、こういうコミックソングめいた曲はちょっと微妙だったのだが、才能があるので文句がつけられない。
「ま……これだけもらえれば満足じゃないですか」
 僕がまとめようとすると、キーボード担当は、さらなるおそろしいフレーズをつけくわえた。

 

 きみの力が 求められている
 きみの力が 求められている
 きみの力が 求められている
 きみの力が 今 求められている

 

「馬っ鹿じゃねえの! ぎゃははははは!」
 僕は思わず笑いながら、
「なんすかそれ。なにその上から目線! いつもおかしな上から目線くるよね! あと、なんかいきなり、べつのキャラが登場してきたけど、それ、だれ?」
 するとキーボード担当も、自分の歌詞に肩を震わせつつ、
「いえその、今まではずっと求めてばかりでしたけど、『きみが送ってくれなければいけない』というメッセージを、ここで入れておこうと思いまして……」
「あーそうか。画面の前の『あなた』に訴えてるわけだ!」
「そうです。頼まれていないと思ったら、送ってくれませんから。たとえば道端で人が倒れたとき、『だれか助けてください』では、人は動いてくれません。そういうときは個人を指定して、『あなた、救急車を呼んでください』とか、『あなた、人工呼吸してください』とか指示しないと。では、完成させましょうか。みなさん準備してください」
 ということでメンバーはそれぞれの楽器をかまえ、曲を作り上げた。

 

     ※

 

 僕に おカネを 送ってほしい
 僕に なにかを 送ってほしい
 僕に 「いいね!」を 送ってほしい
 僕に 応援を 送ってほしい
 僕に 地位と名誉を 送ってほしい
 僕に 図書カードを 送ってほしい
 僕に ビール券を 送ってほしい
 僕に ほしい物リストに入れたものを 送ってほしい
 僕に 地方の美味しいものを 送ってほしい
 僕に やすらぎを 送ってほしい
 僕に 愛情を 送ってほしい
 僕に すべてを 送ってほしい

 

 きみの力が 求められている
 きみの力が 求められている
 きみの力が 求められている
 きみの力が 今 求められている

 

 人は助け合いの気持ちで 生きていく 生き物
 人は助け合いの気持ちで 生きていく 生き物

 

 
 ああ 人は 人と助け合って
 ああ 生きていく 生き物だから
 きみは僕を助け
 僕はきみに感謝して
 きみは僕を助け
 僕はきみに感謝してるよ
 ありがとう
 ありがとう

 

「とんでもない傑作が完成しましたね。人間として大事な部分が歌われている曲です」
 キーボード担当は満足した顔つきだったが、僕はやはりこれはどうかと思った。
「そ、そうかなあ。人としてやっちゃいけないことがくり返された歌だと思うんだけど。だって、『モノよこせ』って云ってるわけでしょ? しかも、『きみの力が求められている』って、いきなり謎の上から目線で説教されて……」
「大丈夫です。最後に、『ありがとう』って云ったから大丈夫」 
 キーボード担当は自信満々だった。
 するとPさんも同意して、
「弱ってても助けを求められない人って、今はたくさんいるから、素直に云ってもいいんだよっていう勇気が出る歌ですね」
「あ、なるほど。云う勇気! 口に出す勇気を、僕たちはこの曲で示したわけだ」
「そうです。こまっているときは、助けてもらうしかないわけですから、おカネがほしいとか、愛がほしいとか、素直に口に出すべきなのです」
「うーん、でもなあ」
 するとキーボード担当は、まだ納得していない僕を説得するように、
「みなさん、変にがんばっていませんか? 変にがまんしていませんか? つらいときは、『プリーズ!』と心から唱える。そしてモノをいただいたら、感謝をする。それでいいのです。むろん、強くあることも大事かもしれませんが、ときには、『プリーズ!』と、ただ唱えるのも大事なのです」
「理屈はわかりますけど」
「僕はですね、現代は、モノをもらうということが大事だと思っていまして、もらうキャパシティとでも云いましょうか……『ほしい』と云って、ただもらうことが、人間の重要なスタンスとして、これからクローズアップされていくと考えています」
「とんでもないものがクローズアップされていくんですね」
「こういうの、男は苦手だと思うんですよ。弱みをさらけ出しているように感じますから。しかし、そこをあえてオープンにするわけです」
「まあたしかに、女性が強くなってきてますからね。素直に弱みを見せることは、われわれ男がやらねばならないことなのかもしれない……」
 だんだん洗脳されてきた。
「お坊さんは数千年も前から、お布施をもらうことで生きていますよね? お布施とは、『布を施す』と書くように、自分が所有するモノへの執着を手放し、惜しみなく人にあたえる行為そのものを指します。お布施は、サンスクリット語で『ダーナ』といい、それは、『旦那』や『ドナー』の語源となっています。もらうほうも、あたえるほうも、どちらもが幸福になり、どちらの未来も豊かになる。一方通行ではだめなのですよ」
 キーボード担当はここで、一旦ことばを区切ってから、
「Kivaって、ごぞんじですか?」
「さあ……牙?」
「マイクロファイナンスのサービス名称です。発展途上国で、畑やお店を開きたい人などに、少額融資するサービスがありまして」
「あ、貸すんですか。寄付じゃなくて」
「貸すのです。僕はそれをやってまして、20ドルとかそれくらいのカネを、いろんなプロジェクトに出資しています」
「じゃ、その人の仕事がうまくいったら、カネが戻ってくるんですね」
「デフォルトになって戻ってこないときもありますが、見返りを求めているわけではなく、応援の気持ちでやるわけです。僕はそれをやっていると、ほっこりした気持ちになるんですよ。地球人類とつながっていく感覚があります」
 その告白を聞いたとき、正直云って、ショックを受けた。いつもおかしなことばかり云うキーボード担当に、僕はほんの少し引いていたのだけれど、そんな彼がこのようなサービスの会員となって、世界とのつながりを感じていたなんて。
 そういえばドラムのPさんは、もともと、ひきこもりや無職の人を家に住まわせるという活動で有名になって、それを聞いた僕は、「僕には全然、他人のためになにかしようって気持ちがないからすごいですねー」とのんきなことを云っていた。ひょっとしてPさんのそれは、慈善事業という側面よりもむしろ、つながりを求めた結果ではないだろうか。
 そして僕は今、つながりを求めている。
「この曲の内容はどうかと思うけど、でも、これを聞いた人が本当になにか送ってくれたら、たしかにうれしいですね」
 そこはみとめるしかない。
「ええ。もしそんなことになったら、人生が……明るくなる気がする」
 キーボード担当はしみじみ云った。
 たしかに僕も、バンドがしたいと云ったら、このようにみんなが集まってくれた。僕自身は、バンドをしたいがための努力を一切していない。ただ、「プリーズ!」と叫んだ。それだけで、メンバーが集結してくれた。「求めよ、さらば与えられん」とは、よく云ったものだ。

 

     ※

 

 そして思う。
 ジョーカーは、「プリーズ!」と、そういう情けない叫びをちゃんと発しただろうか。
 そもそもジョーカーは、なにを「プリーズ!」していたのか。
 幸福? 喝采? それとも、つながり? だとすればジョーカーは、常識的な意味合いにおいては、それらをなにももらえていない。ならばあの映画は、バッドエンドということになる。しかし彼は笑っていた。「こうしてジョーカーは、悪のカリスマになりましたとさ。めでたしめでたし」という、暗黒のハッピーエンドを受け入れたのだ。それならそれでいい。笑えるのであればそれでいい。ジョーカー演じるホアキン・フェニックスは魅力的な役者だったが、とくに笑い声がよかった。若者と老人が同居したような独特の笑い声が発せられるたび、僕は震えた。
 だからこそ思う。ジョーカーは歌えばよかったのだ。
 自分の絶望の歌を。
 あんな犯罪に走らずに、自分のツイていない人生を歌えば、彼にはまたべつのエンディングが用意されただろう。
 そのときがあればぜひ、ヒップホップをやってほしい。今回のジョーカーはダンスが主体だったが、それよりもヒップホップのほうが相性がいいと、映画を観ながらずっと思っていた。ジョーカーが生きる都市、ゴッサムシティには、ダンスでもロックでもなく、ヒップホップがよく似合う。
 14歳のシリアルキラーの事件現場を歩いたときも、僕の頭の中にはヒップホップが流れていた。単調なビートと切ないライムがよく映える彼の故郷を歩きながら、僕と阿南さんはそこで、自分たちの苦しみを見つけることができた。
 ジョーカーとはちがい、結婚して子供もいる僕たちを、しかしジョーカーとおなじく苦悩させているのは、言語化できない「なにか」と闘っているからだ。
 劇中のジョーカーは、わが身の不運にばかりブチギレていたが、重要なのはそこではないとやはり思うし、その「なにか」の正体をつかみたくて、僕はこの連載をつづけている。そろそろ結論がほしい。
 すべての中年男性とおなじく、僕だって残り時間は少ないのだから。

 
(つづく)

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佐藤友哉(さとうゆうや)プロフィール

佐藤友哉(さとうゆうや)1980年北海道生まれ。2001年『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』でメフィスト賞受賞。2007年『1000の小説とバックベアード』で三島由紀夫賞を最年少で受賞。他の著書に『クリスマス・テロル invisible×inventor』『世界の終わりの終わり』『デンデラ』『ナイン・ストーリーズ』『転生! 太宰治 転生して、すみません』等がある。