11 びっくり、僕が世界の最先端に?――「いつもの生活」が戻ってきたあとでダメになる人たちは放置されるだろう――緊急事態宣言おつかれさまでした

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 新型ウイルスの出現によって、世界のあり方は一変した。
 感染拡大をふせぐために各国は都市封鎖(ロックダウン)を決断し、日本政府も緊急事態宣言を発出したわけだが、
「変わらん……」
 僕にあるのは、あいかわらずの生活である。

 

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 4月某日
 食器を洗って洗濯機を回して、それから掃除機をかけようと思ったら、息子がべたべたくっついてきた。
「パパ、おなか空いた」
「さっき食べたばかりだろ」
「あのね、オムライスが食べたい」
 小学校はとっくの昔に休校になっていたので、朝から子供が家にいるというのは、緊急事態宣言がやってくる前から日常の光景だった。息子は小学2年生に進級したけれど学校には行けず、塾も休校中のため、毎日を自宅ですごしていた。
 僕は息子のリクエスト通り、オムライスを手早く作った。オムライスを手早く作れる自分がほんの少し誇らしかったが、これくらいできなければ在宅勤務なんてとても不可能だ。
 息子はオムライスを食べながら、
「ねえパパ、食べたら『どうぶつの森』やっていい?」
「うーん、ゲームしすぎじゃない?」
「だって、ほかにすることないんだよ。本も読んじゃったよ」
「外にも出られないしね」
「外は出たくない」
「勉強は終わったの?」
「終わったよ。漢字と、九九と、主語と述語も終わったよ」
「そりゃ完璧だね。文句も出ないよ。じゃあ、ゲームしていいよ」
「わかった。ママはどこ?」
「さっき仕事場に行っただろ。ママはいつだっていそがしいから」
「パパは?」
「家のことやってから、お仕事する」
 あいかわらずの生活である。
 僕は小説家という仕事を20年ほどつづけていた。
 自分で選んだ道なので文句はないが、それでも、世間の人たちが満員電車に乗ったり会社に行ったりしている中、たらたら起きてだらだら小説を書く暮らしは、あまり爽快ではなかった。またさらに、結婚して子供が生まれてからは仕事の時間を作れず、つい最近までほとんど育休状態だった。
 世間には僕の妻のように、家事と育児を両立させて働いている人がいるけれど、僕はとてもむりだったし、だからといって男が育休なんて云い出すと、なんだか妻が育児をしていないように聞こえてしまうのでだれにも話せなかったこともあり、僕はずっと、やり場のない不活発な感情に支配されていた。僕はなにもわからなかった。つねに混乱していて、自殺することばかり考えていた。
 だがここで、新型ウイルスがパンデミック。
 人は外に出ることを禁じられ、家の中でテレワークをやり、家事や育児と向き合い、パートナーや子供といっしょにいることが「クール」とされた。
 世界中の人々は、この新たな生活パターンに苦労しているようだったが、これまで長いこと自宅から出ずに、家事と育児と仕事しかやってこなかった僕にとって、そんなのは慣れ親しんだ日常だった。
 むろん、クリエイトとプライベートの両方を家庭内でやるのは大変だし、家族で四六時中べったりしているのも息苦しい。だとしても僕に云わせれば、そんなのはおなじみの苦労にすぎず、みんなが騒ぎ立てる愚痴に聞き耳を立てても、正直なところ、「今さら、そんなことで悩んでるの? いったいこれまで、なにをしていたの?」としか思えなかった。
 そして気づく。

 

 世界から取り残されたと思っていた自分が、いつのまにか、世界最先端の男となっていることに。

 

 そう、僕は今、世界のトップに立っていた。
 自宅作業なら俺にまかせろ!
 家事と育児も俺にやらせろ!
 僕はすべてを知っていた。
 この新型ウイルスについて、生活のガチのしんどさにかんする話から、カミュの『ペスト』なんかを引用して文学的な話までできた。
 緊急事態宣言に端を発するあらゆる問題をすでに理解し、とっくの昔に攻略していた。
 完璧である。
 はい! というわけでみなさん、ちょっとよろしいでしょうか。
 いったい、この新生活のどこがそんなに苦しいんですか?
 出社せず、満員電車にも乗らず、家族といっしょにすごす暮らし。
 自宅で働いて、残りの時間はパートナーとテレビを観たり、子供とご飯を作ったりする暮らし。
 それこそが「家庭の幸福」であると、だれもがそう云っていたはずなのに、どうして苦しんでいるのですか?
 ここ最近の報道やネットの広告で目につくのは、「がんばろう」「乗り切ろう」「負けるな」「今をがまん」という表現ばかりだが、それってひょっとして、新型ウイルスに対してではなく、自宅での生活について云っているのですか?
 ああそうか。
 とうとう白状したな。
 みなさんは、「家庭の幸福」がつらいんだな?

 

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 4月某日
 都市封鎖で通勤ができなくなったので、世界はテレワークなるシステムに活路を見出した。
 僕は勤め人ではないが、テレワーク導入にとてつもない困難がともなったことは容易に理解できる。だいたいテレワークなんてものは、これまでほとんどの企業が避けてきた、きわめて評判の悪い業務形態なのだから。
 たとえば、デジタルコンテンツの最前線で活躍しているYahoo! やチームラボといった大手企業でさえ、フェイス・トゥ・フェイスのコミュニケーションを重視し、テレワークの禁止をかねてから公言しているわけで、率直に云って、そんなことはどこもやりたくなかったわけだ。そうはいっても、ソーシャルワーカー以外の業種は、テレワークに移行するか休業を決めなければ世間が許さないという空気もあり、各企業は混乱しながらもそれぞれに対応した。
 それにしても……新型ウイルスによって大勢が亡くなっているとはいえ……先進各国が経済活動をあきらめ、都市封鎖を決断するとは思わなかった。今回の新型ウイルスに、それだけ多くの人々が脅威を感じているのだろう。
「新型ウイルスなんかより、インフルエンザや交通事故のほうが人を殺している。このていどの死亡率で都市封鎖するのは大げさだ」という指摘は知っているが、でもそれは本質ではない。
 新型ウイルスに人々が恐怖を抱くのは、致死率や感染率といった「数的実績」によるものではなく、巧妙に姿を隠したシリアルキラーのようなその性質にあった。
 まだはっきりしたことはわかっていないが、ウイルス感染者の多くは、せきや発熱と云った自覚症状が出ないらしい。このため、いったいだれが罹患(りかん)しているのか……もっと云えば、自分がウイルスにかかっているのかもわからないのだ。
 こうなると、ふくれあがるのが疑心暗鬼。
 現在、人と人とのあいだに適切な距離が作られ、マスクをつけること、ハグや握手をしないことが礼儀作法となった。つながりは悪とされ、差別と分断は当たり前のように広がり、今や、外でクシャミをするのも命がけ。
 世界中の人々は、そんな「見えないウィルス」とうっかり遭遇することをおそれて、家の中にひきこもっている。
 そんなわけではじまったテレワークだが、やはりというべきか、多くの業界がつまずいた。
 中でもダメージを受けたのが、エンターテインメント業界だろう。なにせ、撮影、収録、集客といった基本的活動が封じられている以上、まったく身動きが取れない。コンサートも舞台もテレビもイベントもできないわけだから、テレワークもなにもない。
 インターネットに人材が流れるのは、当たり前のことである。
 人前に出られないことに、危機感と欲求不満を抱いた業界人たちは、動画共有サービス大手、YouTubeに転進した。
 おかげで今は、有名ミュージシャンから一流芸能人までが、こぞってチャンネルを作り、「自宅でエクササイズ」とか、「『どうぶつの森』をプレイしてみた」とかいった動画が渋滞している。期せずして、エンターテインメント業界が、いよいよ動画共有サービスに本格参入したわけだ。
 この急展開によってYouTubeは、「炎上する素人の無法地帯」とか、「不祥事を起こしたお笑い芸人の末路」とかいった負のイメージがいつのまにやら薄まり、ツイッターやブログやインスタグラムとおなじような、「だれもが当たり前にやっているコンテンツ」となった。この流れが読めなかった人たちは、今ごろ大慌てでチャンネルを作っているだろう。
 さて、いっぽうの僕はといえば、小説なんてテレワークの王様みたいなものだから、外に出られなくても業務に支障はなかったし、今回のパンデミックとは関係なくYouTuberになりたかったので、去年のうちにYouTubeデビューを果たしていた。
 仕事をうしなうこともなく、すでにYouTubeもやっている僕はやはり、世界最先端の男なのである。

 

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 世界最先端の男である僕は、Zoom飲み会もするのである。
 ねんのために説明しておくと、Zoom飲み会とは、テレワーク導入で脚光を浴びた、Zoomというビデオ会議サービスを使い、オンライン上で酒を酌み交わすことを指す新語なのである。そして世界最先端の男である僕は友人が少ないので、こんな非常時にかまってくれるのは、いつものバンドメンバーだけなのである。
 こうして僕は、ひさしく会っていなかったメンバーと、画面を介して再会した。
「こんちは」「おひさしぶりです」「あの、どうも」「なんか……どうも」という、妙にぎこちない挨拶をすませたあと、話題はテレビゲームのことに集中した。というのも、パンデミックにより娯楽が減ったことでテレビゲームが復権を果たし、世界的に売れまくっているのだ。任天堂は笑いが止まらないだなも。
 画面に映るキーボード担当が、ふだんは飲まない酒を飲みながら云った。
「自粛でひますぎて、ひさしぶりにゲームがしたくて本体をさがしているのですが、どこにも売っていないのですよ」
「でしょうねー。ネットで売ってるやつは、転売商品だから高いし」
 僕はビールを飲みながら云った。
 ちなみに世界最先端の男である僕は、ニンテンドースイッチもプレイステーション4も持っていた。
「ええ。転売商品に手を出したくはないのですが、それでも、めちゃめちゃ欲しくて。ここ10年くらいでもっとも物欲が燃え上がって。それで僕、いい方法はないかと、めちゃめちゃ瞑想したのです」
「ん? どっちの『めいそう』ですか?」
「メディテーションのほうです」
「ややこしい」
「瞑想のスキルレベルが上がると、欲しいものを引き寄せることができるようになります。それで、瞑想した結果、メルカリを……」
「はい?」
「メルカリです。フリマアプリです。いえその……安く売ってないかなと思いまして。そしたら激安商品を見つけて、買うことができました。これが瞑想の力です。それで、『ファイナルファンタジーⅦ REMAKE』を買いました!」
「僕も買いましたよー。もうクリアした!」
 それはかつて大流行したゲームタイトルで、今年ついにリメイクの第1弾が発売された。ゲームにくわしくない人にも、この衝撃がつたわるように説明すると、『マッドマックス』の新作が出たり、角田光代版の『源氏物語』が書かれたりするのといっしょで、興味も好悪もべつとして、とにかくチェックしておかねばならない1つの事件だった。
 キーボード担当が云った。
「僕はまだプレイの途中なのですけれど、ストーリーの流れが変わっているように感じました」
「あ、そうなんですよ。なんか、ちょこちょこ、オリジナル版とはちがう要素があって。変な新キャラも出てくるし……」
「ひょっとしたら今回、エアリスは死なないかもしれませんね」
 エアリスというのは本作のヒロインで……今さらネタバレもないから書いてしまうが……物語の途中、いきなり殺されてしまう。エアリス殺害は、当時のプレイヤーにとんでもない動揺と衝撃をもたらし、以後、エアリスというキャラクターは、悲劇のイコンとしてあつかわれるようになった。ようは、イアン・カーティスや、カート・コバーンのようなものである(そっちは自殺だけど)。
 キーボード担当はことばをつづけて、
「僕はですね、オリジナル版でエアリスが殺されたとき、ああもう終わったと思いました。エアリスが死んだせいで、その後、世界のエンターテインメントは暗くなってしまいました」
「うーん、大げさじゃないですか?」
「だってあのとき、世界中のプレイヤーが、エアリスの死を目撃したのですよ。その瞬間、プレイヤーの脳は破壊され、『死=感動』とか、『死=ゴール』みたいな、まちがった観念がインプットされてしまいました。実際、そのあと、ヒロインが病気で死んだり、事故にあったりするような、悪しき文化が流行りました」
「はあ」
「エアリスはあのとき、ちゃんと戦ったら勝てたはずです。なのに戦わず、死ぬことに甘んじた。これは、いけない。僕はですね、今回のエアリスにはがんばってほしいと思っています」
「なんとかなるんじゃないですか。リメイク版のエアリス、ちょっと健康的な雰囲気に変わってますから」
 僕の適当な受け答えに反応したらしく、キーボード担当はいきなり身を乗り出した。画面が大きく揺れた。
「やっぱり、そうですよね! 僕も、おなじことを感じました。生命線が太くなっていそうです!」
「な、なんか、手相って変わるらしいですからね」
「エアリスにはどうか、がんばってほしいです。令和の時代は、ヒロインの死なんて必要としませんから。そういうのはもう、ださいですから」
 キーボード担当ははっきり宣言した。
 外ではなく家にいることが正しいとされ、YouTubeの評価が変わり、ひきこもりの僕が世界の最先端に躍り出るように、価値というのはコインのごとく裏返る。前回は、死ぬことで価値を稼いだエアリスも、今回は生きることでそれを手にできるかもしれない。
 正直、僕はそこまでエアリスに思い入れはないけれど、それでも、できることなら、明るくて新しい場所に向かってほしいとは思う。ヒロインに死を要求するような物語は、もはや今となっては、感性が旧石器時代のやつらしか楽しまないのだから、そんな連中の期待に応える筋合いなどない。死ぬな。生きろ。

 

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 5月某日
 4月の自殺統計が発表された。
 全国の自殺者数は、前年の同月にくらべて359人少ない1455人で、約19・8%減。
 パンデミックに端を発する経済難により、自殺者が急増するだろうという大方の予測に反して、自殺率はこの5年間で最大の減少幅となった。
 自殺者数が減った要因については、会社や学校に行かなくてすむようになったからとか、自宅にひきこもることへの罪悪感が薄れたからとか、線路や屋上に行く機会が減ったからとか、さまざまな推測がなされたし、経済的打撃と自殺者数にはタイムラグがあるという慎重論もあったが、はっきりした結論はまだ出ていない。
 さて。
 ここ数日の感染状況を見るかぎり、緊急事態宣言はまもなく解除されるだろう。
 しかも日本は諸外国とくらべて死者数が少ないので、わりと早い段階で、いつもの生活に戻ることができそうだ。めでたしめでたしというわけだ。
 そのような中で、僕が心配しているのは、じゃあその、「いつもの生活」が戻ってきたあとで、ダメになってしまう人が出てくるのではないかということ。
 いつもの生活が戻ってくるというのは、いつもの生活に帰るということだ。
 たゆまずに動く人間社会の中で、自分の人生と正しく向き合うということだ。
 これまでずっと、一時停止状態だったのに、いきなり再生ボタンが押されて日常がふたたび動き出したとき、そのスピードに耐えきれない人たちが出てくる可能性はかなり高い。そして、そのような人たちに向けたケアはなく、放置される可能性もまたかなり高い。
 で、これは、ものすごく悲観的な仮説なのだが……そうなったとき、その人たちは、世界から取り残されたような気持ちになったりはしないか? 自分の死や他人の死を求めるようになったりはしないか?
「新型ウイルスを経験したことで人類は激変したから、これまでとおなじ生活なんてありえない」とか、「ビジネスからファッションまで、今後はすべて新しい生活様式が生み出され、気分はもうシンギュラリティ」とかいった未来予測はたまに耳にするけれど、僕にはちょっと疑問だった。たとえ生活が変わったとしても、買い溜めが推奨されるようになるとか、ワクチン接種への抵抗感が薄れるとかいったくらいで、大変革なんてものはきっと起こらない。
 なぜなら、これまでずっとそうだったから。
 疫病やテロや災害や放射性物質といった大厄災……「デカイ1発」は、大体、10年か20年おきくらいに不定期でやってきて、その親玉が戦争で、そして人間は、それらにさんざん痛めつけられて、もうこんなのは二度とごめんだと反省と改善を誓っても、いつのまにやらそのときの痛みを忘れ、おなじことをくり返す。どんなに大変な目に遭っても、それが終わったとたんにすべてを忘れる。

 

 この「忘れる」といった作用こそが、古来からつづく、「人間の生活様式」なのだ。
 これが人間の力強さであり、生活のおぞましさなのだ。

 

 だから緊急事態宣言が解除されたら、みなさんの多くは、いつもの日常に戻るだろう。最初のうちはそれをしんどいと感じるが、いつしかそうした気分も消え、マスクも手洗いも忘れるだろう。自宅から出なかったこと、パートナーや子供と密にすごしたこと、ベランダで花やハーブを育てたこと、そのときにいつもは気にもとめなかった景色が見えたこと、それらすべてを忘れるだろう。そうして仕事や勉学やにはげみ、イベントやらコンサートやらに突撃し、カネと時間をどっさり注ぎこむだろう。
 はい! というわけでみなさん、ちょっとよろしいでしょうか。
 これからみなさんが戻るであろう、そのような生活って、本当に「生活」なんですか?
 皮肉を云ったわけじゃない。
 わからないから聞いているんだ。
 最近また、以前のように、なにもわからなくなってきている。
 もうそろそろ、僕が最先端の時代は終わるのだろう。

 

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 5月某日
 僕がずっと執着している、当時14歳の少年が起こした猟奇殺人事件から、今日で23年が経ったという報道が流れた。
 去年の今ごろは、また事件現場の取材をしようなどとぼんやり計画していたが、パンデミックの到来でそれどころではなくなり、取材のことなんて、今の今まで完全に忘れていた。
 当時14歳だった事件の犯人は、その年齢にも助けられて、今は一般社会の中で暮らしているが、ならば彼もまた僕たちとおなじように、この非常時を体験したということになる。はたして彼は、どのような日々をすごしたのだろうか。
 マスクはつけた?
 ティッシュペーパーは買い溜めした?
 新型ウイルスには恐怖した?
 といっても、そんなことはべつに、本人に確認するまでもなくわかる。彼はまちがいなく、僕たちとそう変わらない暮らしをしていた。どうせマスクはつけたし、買い溜めもしたし、新型ウイルスにも恐怖した。そうに決まっている。

 

 非常時とは、自分の暮らしが日常ではなくなること。
 自分の生活が、自分の生活ではなくなること。

 

 そうなると個人の特性、ひいては個人の苦悩すらもみんな消えて、だれもが似たようなことだけを感じ、似たような反応だけをするようになる。バスケ大好きの男子も、学級委員長の女子も、動物虐待が趣味の先生も、みんなそろって、「ウイルス怖いな」「いつ終わるんだろ」「不安だ」「気をつけなきゃ」みたいなことしか考えられなくなる。ちなみに「ウイルス」という単語は、「テロ」でも「地震」でも「戦争」でも「宇宙人」でも置き換え可能だ。
 こんなふうに非常時というものには、人々の日常を平均化させる効果があるから、だれも「自分の個人的生活に追い詰められる」ことはなくなるし、「自分の個人的生活に追い詰められる」ことがなくなるのであれば、そこを動機とした犯罪……自分vs.世界みたいな、シリアルキラーが好むタイプの劇場型犯罪……もまた、発生しにくくなる。
 そういえば、あともう少しで、小学生の列に包丁を振り回して20人を殺傷した事件や、関西のアニメーションスタジオが放火されて36人もの犠牲者が出た事件から1年が経つが、もし今回の新型ウイルスが、去年のこのタイミングで世界に蔓延(まんえん)していたら、ひょっとしたら小学生たちは襲われなかったし、アニメーションスタジオは放火されなかったかもしれない。

 

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 5月某日
 緊急事態宣言が全面解除された。
 こうしてウイルス騒動はひとまず終わったわけだが、結局、僕はなにも変わらなかった。
 いや、それは嘘だ。
 正直に云えば、僕は少しだけ、元気になった。

 
(つづく)

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佐藤友哉(さとうゆうや)プロフィール

佐藤友哉(さとうゆうや)1980年北海道生まれ。2001年『フリッカー式 鏡公彦にうってつけの殺人』でメフィスト賞受賞。2007年『1000の小説とバックベアード』で三島由紀夫賞を最年少で受賞。他の著書に『クリスマス・テロル invisible×inventor』『世界の終わりの終わり』『デンデラ』『ナイン・ストーリーズ』『転生! 太宰治 転生して、すみません』等がある。