13 フリーダ・カーロ 小鳥と象の結婚(あるいは、つながった眉毛の謎)


フリーダ・カーロ(1907-1954)の名前「フリーダ」とは、ドイツ語 で「平和(Friede/フリーデ)」を意味している。ドイツ生まれのハンガリー系ユダヤ人である父ギリェルモ・カーロが、どうしてもドイツ風の名前にしたいと、こだわって名付けた。しかし、皮肉なことに「平和なカーロ」の人生は、最後まで闘いの連続だった。
 
フリーダは、ファッションアイコン、フェミニストのアイコン、強い女性の象徴として全世界で愛されている。2018年には、イギリスのヴィクトリア&アルバート博物館でフリーダ・カーロのワードローブ展(!)が開催された。いくら人気が高くても、「画家が着た洋服」展という斬新な企画は、これまで一度も開催されたことはない。アメリカの歌姫、ビヨンセはフリーダ・カーロに影響を受けたと公言し、コスプレまで披露しているし、デザイナーのジャン・ポール・ゴルチエ、ドルチェ&ガッバーナの2人もフリーダのファン。日本のファッションブランド「ZUCCa(ズッカ)」もフリーダにインスパイアされたコレクションを発表している。
フリーダの描く世界観は、独自性、多様性の時代において、世界のクリエイターを刺激してやまないのだろう。映画もたびたび製作され、1984年にはメキシコ映画「フリーダ・カーロ」、2002年にはアメリカ映画の「フリーダ」、 2015年には日本でもドキュメンタリー映画「フリーダ・カーロの遺品 石内都、織るように」が公開された。また2017年公開されて全世界で大ヒットしたディズニー映画「リメンバー・ミー」では、メキシコの「死者の祭り」が舞台となっており、主人公のミゲル少年が出会う情熱的な芸術家としてフリーダ・カーロが登場している。
アメリカでは、国際女性デーに合わせてフリーダ・カーロをモデルにしたバービー人形が発売されるほど人気が高い。


フリーダ・カーロは人生で2回、大きな事故に巻き込まれた。最初は、交通事故。
 
1925年9月、通学のために乗っていたバスが路面電車と衝突し、バラバラになって大破した。18歳のフリーダは、この時、ブルジョアで美男子の恋人であるアレハンドロと一緒にバスに乗っていた。彼は偶然にも無傷。フリーダは、バスの手すりの鉄パイプが身体に突き刺さった。右足12ヶ所、脊椎(せきつい)と骨盤をそれぞれ3ヶ所骨折する大ケガを負う。
血まみれになったフリーダの身体には、他の乗客が持っていた金粉がかかってキラキラ光っていたという。幸いなことに美しい顔だけは、傷がつかなかった。生死の境をさまよう重傷で、3ヶ月間入院。その後も30回以上手術を繰り返し、事故の後遺症によって、背中や右足の痛みに一生悩まされることとなったのだ。
活発でいつも走り回っていた彼女の生活は、この日を境に一変してしまった。恋人のアレハンドロとも疎遠になっていき、絶望しか残されていなかった。
 
だが、この事故がフリーダ・カーロを偉大な画家にした。病院のベッドでの退屈さを紛らわせるためにと、写真家だった父親が持ってきた絵の具で絵を描きはじめた。誰も描き方を教えなかったが、フリーダは「自分の中に住むもうひとりのフリーダ」を観察し、自画像を描いた。自分で自分の心の内面をリアルに受け止め、感ずるがままに描くようになったのだ。


次の事故は、夫で画家ディエゴ・リベラとの出会いだ。
フリーダが夫となる画家ディエゴ・リベラと最初に出会ったのは15歳の頃。フリーダが通っていた国立予科高等学校の壁画を描くことになった、画家として国民的なスターだったリベラに興味を示し、大教室で壁画を制作しているところを何時間も見つめていたという。当時の妻、ルペ・マリンに嫉妬(しつと)されて(ののし)られたこともあるというから、リベラを妻から略奪して結婚してみせる、という野望がすでにあったのかもしれない。そして、友人に、いつかディエゴの子どもを産んでみせる! と宣言した。
 
事故の数年後、身体も奇跡的に回復したため、フリーダは再びリベラに会いにいく。壁画を描いている足場の下から「絵を見てください」とお願いした。そして、自宅に招いたのだ。フリーダの父は、言った。「用心して下さい。フリーダは賢い娘ですが、隠れたる悪魔ですぞ」「わかっています」とリベラは答えたという (『フリーダ・カーロ 悲劇と情熱に生きた芸術家の生涯』より)。
 
リベラは、その時まだ既婚者だったが、2人は交際をはじめ、彼の離婚を経て、結婚した。リベラは、43歳。フリーダは22歳。フリーダの母親は、象と鳩の結婚のようだ、と言った。その後、3度妊娠したが交通事故の影響もあり、子どもには恵まれなかった。さらにリベラがフリーダの妹と不倫していることも発覚し、家庭内暴力も繰り返された。フリーダは、リベラへのあてつけのように彫刻家イサム・ノグチと関係を持った。1年ほど付き合うとリベラが拳銃を持って、家にのりこんで来たので関係が終わった。また、フリーダは、バイセクシャルだったといわれており、画家ジョージア・オキーフとも恋愛関係があったらしい。さらに革命家トロツキー夫妻を自宅に迎え入れた時も、トロツキーと恋愛関係を持ってしまう。


フリーダは、問題が起きれば起きるほど、それを自分のモチーフとして取り込み、絵画はどんどん魅力を増していった。生涯に残した200点ほどの作品ほとんどが自画像というのも珍しい。描いたのは、リベラとの関係性、花と美しいドレスをまとった姿、子どもを産めない血まみれの自分。胎児、巻き付かれた赤いヒモや血管。太陽と月。死を暗示するドクロ。これまでの美術史の中では、このように女性の性や身体を赤裸々に描いた作品がなかったので、次第に「自画像のフリーダ」として世界的に有名になっていく。アンドレ・ブルトンは「フリーダ・カーロの芸術は、爆弾のまわりに巻かれたリボンである」(『フリーダ・カーロ 悲劇と情熱に生きた芸術家の生涯』より)と絶賛した。
 
美術史の中でも特殊な立ち位置にいる。メキシコ壁画運動の巨匠ディエゴ・リベラの妻であり、作風はシュルレアリスムと言える。しかし、素朴派でもあり、アウトサイダーアートのようでもある。そして、ルーヴル美術館にも所蔵され、今となっては、夫リベラよりもはるかに人気が高い。フリーダは、「〈私〉こそが最高のモチーフ」であると気がついた最初の画家なのだ。


自画像は、二つに分けることができる。職業的に写実的に似せた作品と、もうひとつは自己表現として内面を描くものだ。フリーダの自画像は、いつだって私小説的で、演劇的。女性にとっての普遍的なテーマを、率直に冷徹な眼差しで描いている。「自己との対峙」は、現代における芸術の中心的テーマでもある。そういう意味でもフリーダは、先駆的なのだ。そして、世界一有名な女性の画家のひとりとなった。メキシコの旧紙幣にも、リベラとフリーダが両面に描かれている。これからもさらに評価が高まっていくことは間違いない。
 
自分の力で、運命をねじ伏せたフリーダ・カーロは、いつもつながった眉毛のことを「私の額の1羽の小鳥」と呼んだ。大きな象と結婚した小鳥は、自由に空を飛んで世界へ羽ばたいたのだ。そして、最後は眠るように、47歳の若さで亡くなった。死の直前にこんなことを言ったという。「ダンスだって踊り足りないし、恋愛だってし足りないし、絵も描き足りない、ああ、なんてことかしら!」(『フリーダ・カーロ 悲劇と情熱に生きた芸術家の生涯』より)。
 
最後の作品には真っ赤なスイカが描かれ「VIVA LA VIDA」(人生万歳!)と書かれていた。

 
 
 

【参考文献】
堀尾真紀子『フリーダ・カーロ 引き裂かれた自画像』(中央公論新社)
筑摩書房編集部『ちくま評伝シリーズ〈ポルトレ〉フリーダ・カーロ 悲劇と情熱に生きた芸術家の生涯』(筑摩書房)

毎月第2・4木曜日更新

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著者 ナカムラクニオプロフィール

ナカムラクニオ
1971年東京生まれ。東京・荻窪のブックカフェ「6次元」店主、金継ぎ師、映像ディレクター、山形ビエンナーレキュレーター。著書に『人が集まる「つなぎ場」のつくり方――都市型茶室「6次元」の発想とは』『さんぽで感じる村上春樹』『パラレルキャリア』『金継ぎ手帖』『猫思考』『村上春樹語辞典』など。