04 猫のいない人生なんて、窓の1つもない家みたいなもの

 なんでも、子どもの頃に飼っていた鳩を野良猫に獲られたことがあるという。それがトラウマとなって、猫という生きもの全般を心の底から憎んでいた。

 気持ちはわからなくもないけれど、いくら何でも偏見が過ぎるのではないか。茫然とすると同時に、そういうことなら早く言ってよ、と思った。

 つき合っている間、我が家に来るたび、膝に乗っかる猫たちを撫でながら、うちの親たちに向かって

〈わあ、かわいいですねー〉

 とか言っていた、あれはいったい何だったのだ。だがそうやって後から思い返してみれば、そんなとき彼の顔は若干こわばり、撫でる手つきは機械のようで、言葉は棒読みだったようにも思えてくるのだった。


「犬だったらいいよ」

 いかにも妥当な交換条件のように彼が言う。

「犬は忠実だしさ、裏表とかないし、まっすぐ甘えてくるし。な、飼うなら犬にしようよ」

 いやいやいや、それは問題がぜんぜん違うだろう。

 私だって、犬は好きだ。子どもの頃から、うちには猫とともに犬も必ずいた。

 でも、私を含むある種の人々──すなわち、猫という生きものがそばにいないと息もできないような人種にとっては、「犬がいるなら猫は要らないでしょ」といった理屈は、言語道断、笑止千万、とうてい受け容れられるものではないんである。

 私は言葉を尽くして、旦那さん1号に猫の魅力を伝えようとした。


 健康な猫の背中は、お日さまに干したお布団のような幸せな香りがする。世に言う〈猫の額〉なんか、あんなに狭い面積しかない部位からすばらしい効き目の睡眠誘導物質を放出して、いま寝たら絶対にアウトな人間を深いふかい眠りへと誘ってくれるし、また音を立てずに歩く足の裏、ぷにぷにの肉球の手触りとかすかな湿り気、ちょっとマニアックな香りといったらもう、何度でも鼻をくっつけて嗅いでは遠い目をしてしまうほどの中毒性を帯びている。

 それから、湯たんぽのようなあの重みと体温。それから、それから──。

 猫という生きものが、どれほど賢く、美しく、茶目っ気があり、機知に富んでいて、家につくと言われながら人になつくか。そして何より、どんなに情愛の深い生きものであるかを、私は懸命に語った。

 猫のいない人生なんて、窓の1つもない家のようだとも言った。

 わかっては、もらえなかった。

「どれだけ言われようが、無理なものは無理だから。俺といる限り、猫はあきらめな」

 その言葉は私にとって、死刑宣告と同じに響いた。

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著者 村山由佳プロフィール

村山由佳(むらやま・ゆか)
1964年東京都生まれ、軽井沢在住。立教大学卒業。1993年『天使の卵―エンジェルス・エッグ―』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。2009年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。エッセイに『晴れ ときどき猫背』など、近著に『嘘 Love Lies』『風は西から』『ミルク・アンド・ハニー』『燃える波』などがある。

猫プロフィール

  • もみじ(♀17歳 三毛)

    男を見る目のない作家のかーちゃんに付き添ってあちこちを転々とし、終のすみかは長野県軽井沢町。半世紀も猫を飼ってきた飼い主をして「こんなに猫らしい猫を見たことがない」と言わしめる、村山家のお局様。なぜか関西弁。

  • 銀次(♂10歳 メインクーン)

    体重8キロ、大柄だが気は優しく、犬にも人間にも動じない、村山家のお客様おもてなし担当。中身はたぶん、おばさん。鳴き声は「んるる?」。

  • サスケ(♂3歳 黒のハチワレ)

    妹の〈楓〉とともに村山家の一員となった。極度のビビリの半面、とんでもない甘えん坊。鳴き声は常にひらがなで、「わあ」。

  • 楓(♀3歳 サビ色の三毛)

    サスケ兄ちゃんの鈍くささを嘲笑うかのように、わざと危ないところへ上ってみせるおてんば娘。銀次おぢさまのことが大っ好き。短い尻尾がコンプレックス。鳴き声「いやあん」。

  • 青磁(♂9歳 ラグドール)

    真っ青な瞳の美しい貴公子だが、性格はやや屈折している。飼い主が亡くなったため、暖かな南房総から軽井沢へと連れてこられた。ただ今、他の猫たちとの共存方法を模索中。怪鳥のように「めけぇっ」と鳴く。

本文写真・猫近影
村山由佳
著者近影 山口真由子