07 世の中には、猫がいると息もできない人間だっている

 けれども旦那さん1号は、私が外でどこかの猫を触ることも嫌がるのだった。

 どこかの店の駐車場だったと思う。人なつこい子猫が足もとにすり寄ってきたので、嬉しさ全開で背中を撫でていたら、

 「咬まれたらどうするんだよ!」

 目をつり上げて彼は言った。

 「どこで何してきたかわからない猫なんか、体じゅうバイ菌だらけだぞ」

 大丈夫だよう、と私は笑ってみせた。

 よっぽど猫の嫌がるようなことをしない限り、いきなり咬まれたり引っかかれたりというのは考えにくい。そもそも私など、小さい頃からうちで飼っていた子や外猫を含めて、〈どこで何してきたかわからない猫〉を触り続けてきたわけだけれど、それで病気になったためしは一度もないのだ。

 大丈夫、大丈夫、と言いながら、甘えんぼの子猫にもう一度手を伸ばそうとすると、しかし彼は烈火のごとく怒りだした。

 「ひとの嫌がることをわざわざするっていう、その根性が許せない。さっさと車に乗れ。帰るぞ」

 そうしてほんとうに外出を途中でとりやめ、そのまま家へ引き返してしまったのだった。

 今思い返してみても、ひでえなあ、とは思う。

 その当時だって思った。

 でも、もしかして、猫が大嫌いな人が今この文章を読んでいたら(あまりないことだろうとは思うけれど可能性はゼロではない)、その人は、野良猫を可愛がる私ではなく、それを咎めた旦那さん1号のほうにそうだそうだと味方するかもしれない。どちらが正義かなんて、一概には言えない。 

 当時の私はといえば、旦那さん1号のことがおおむね好きであったので、なんとか結婚生活を続けるためにも一生懸命、自分に言い聞かせた。

 一方的に彼を恨むのはフェアじゃない。たまたま私がこの通り、猫がいなけりゃ息もできない人間であるのと同じように、世の中には、猫がいたのでは息もできない人間だって、いる。信じられないことだが、いるのだ。その点に関しては、一応、公正でなくてはならない、と。

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著者 村山由佳プロフィール

村山由佳(むらやま・ゆか)
1964年東京都生まれ、軽井沢在住。立教大学卒業。1993年『天使の卵―エンジェルス・エッグ―』で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。2003年『星々の舟』で直木賞を受賞。2009年『ダブル・ファンタジー』で中央公論文芸賞、島清恋愛文学賞、柴田錬三郎賞を受賞。エッセイに『晴れ ときどき猫背』など、近著に『嘘 Love Lies』『風は西から』『ミルク・アンド・ハニー』『燃える波』などがある。

猫プロフィール

  • もみじ(♀17歳 三毛)

    男を見る目のない作家のかーちゃんに付き添ってあちこちを転々とし、終のすみかは長野県軽井沢町。半世紀も猫を飼ってきた飼い主をして「こんなに猫らしい猫を見たことがない」と言わしめる、村山家のお局様。なぜか関西弁。

  • 銀次(♂10歳 メインクーン)

    体重8キロ、大柄だが気は優しく、犬にも人間にも動じない、村山家のお客様おもてなし担当。中身はたぶん、おばさん。鳴き声は「んるる?」。

  • サスケ(♂3歳 黒のハチワレ)

    妹の〈楓〉とともに村山家の一員となった。極度のビビリの半面、とんでもない甘えん坊。鳴き声は常にひらがなで、「わあ」。

  • 楓(♀3歳 サビ色の三毛)

    サスケ兄ちゃんの鈍くささを嘲笑うかのように、わざと危ないところへ上ってみせるおてんば娘。銀次おぢさまのことが大っ好き。短い尻尾がコンプレックス。鳴き声「いやあん」。

  • 青磁(♂9歳 ラグドール)

    真っ青な瞳の美しい貴公子だが、性格はやや屈折している。飼い主が亡くなったため、暖かな南房総から軽井沢へと連れてこられた。ただ今、他の猫たちとの共存方法を模索中。怪鳥のように「めけぇっ」と鳴く。

本文写真・猫近影
村山由佳
著者近影 山口真由子