10 母

「ひさ!15に締め切り明けるっつってたよね?明日か明後日空いてる?」
 アカリから届いたLINEに、「ごめん20日まで締め切り延ばしてもらったからまだ明けてない」と返信する。
「じゃ明けたら!」という好感度百%の返信に癒されると、私はスマホで時間を確認し次のステージに向かって歩き始めた。朝の十一時に始まったフェスで二つのステージを移動し続けて六時間、すでに足は棒のようだった。締め切り延ばして何やってるんだろう。会場に向かいながら抱いていたその疑問は最初のステージを見た瞬間に吹き飛んだ。
 ずっとチケットに落選し続け、生で見る機会を逃し続けていたバンドの演奏を見てから、ずっと夢の中にいるような心地だった。こんな風に人を夢見心地にさせる音楽がこの世に存在するだけで、やっぱり生きていけると実感する。もう駄目かもしれない辛すぎてこの世界には生きていられないかもしれない、普段そんな風に自暴自棄になりそうな自分を何とか抑えつけることがライフワークになっているけれど、ライブやフェスに来ると途端にこうして痛みや苦しみが麻痺していく。今日も音楽に救われた。明日も明後日も救われるのだろう。その確信が、目の前の暗さに慄き生きることに逃げ腰になりそうな自分の足元に光を当ててくれる。

 

 延ばした締め切りが明けて落ち合った居酒屋で、アカリは最近の私の混迷した生活ぶりを聞いて鼻で笑った。
「まずそのゲーム? そのクラッシュなんとかは消去。フェスは年二、三回にする。仕事は無理して受けない、一週間遊んで一週間仕事漬けとかは止めて、毎日決まった時間に仕事をする。これ以上の対策はないね」
 家事と育児を完璧にこなし、時短勤務とはいえばりばり働き、仕事の付き合いも友達付き合いもご近所付き合いすらもそつなくこなし、さらには不倫相手と月一か二程度デートして全ての要素に満たされ全てのカテゴリにおいて好成績を残し周囲の多くの人々から愛されているアカリの言葉には、社会人ひいては大人の余裕が透けて見える。
 彼女の生活に不倫という要素がなければ、母として妻として社会人として過大な役割を押し付けられている悲惨な現代の女性像を体現した人という感想を持ったかもしれないが、そこに不倫という要素が加わると途端に「自由奔放かつ器用な女性」という印象に変わるのが不思議だ。
 彼女はなぜこんなにも人としてバランスが取れているのだろう。羨みや憧れこそ抱かないものの、アカリを見ているとこんなバランスの取れた母親のもとに生まれたかったという思いになる。なぜ私はこんなにもバランスが悪く、人付き合いが苦手で、計画的に行動することができず、あらゆる秩序や全体性を乱してしまうのだろう。
「そんなんじゃいつか破綻するよ」
 ささがきのごぼう揚げが歯茎に刺さった痛みに戸惑っていると、アカリが日本酒の枡を持ち上げながらそう言って、そのダブルの痛みに顔を顰める。いつか全てが駄目になる、いつか全てから見捨てられる、私は幼い頃からそういう漠然とした無根拠な不安とともに生きてきたけれど、そのいつかはとっくに訪れていると思うこともあれば、そのいつかは永遠にやってこないのかもしれないと思うこともある。
「ノートルダムの修復の話題になるとさ、元の形に近いものを望む人と、全く新しい、例えばガラス張りの植物園的なものを作っちゃおうみたいな人と極端に分かれるよね。まあこの場合折衷案みたいなのをとると一番ダサくなるから極端になるっていうとこもあるだろうけど」
「何の話?」
「例えばだけど、アカリは不倫相手と結婚しようとは思わないの?」
「だから、私は今の生活に満足してるんだってば」
 アカリは半ば呆れ気味に言った。バリバリ働いている女性ほど、同じ話を繰り返す女や、頭の回転が遅い女を本気で嫌悪する。面白いことに男は別枠案件なのか、同じことを言っても嫌悪まではされず冷笑で流される。
 確かに、結婚も仕事も子供も不倫相手も手に入れている彼女が、それ以上の充足を求める意味はないのかもしれない。旦那さんとの関係は冷え切っているが、安定した子供との生活、高級住宅地のタワマン生活、ここまで夫婦で築いてきたものを考えた時、同じく既婚者である不倫相手と危ない橋を渡って互いに慰謝料を払ってまで一緒になることを求めないのは当たり前かもしれない。彼女はきっと今の状況で持ち得る欲望を完全に満たせる状況にあって、離婚して不倫相手と一緒になったら、むしろ喪失感を抱くようになるのかもしれない。不倫相手に本気にならず、それでも最大限不倫の楽しさを味わっている彼女はどこまでもバランスが良く余裕があって、その余裕っぷりに、私はたまにこうしてもやつく。
 そういえばこの間ほとんど一年ぶりに旦那とセックスしたよという報告に、どうだった? と脊髄反射で聞くと、セックスは変わってないけど彼と比べちゃうから満足度が低くなったと切り捨てるアカリに苦笑しながら、私はやっぱり余裕がない人が好きだ、と思う。何かに焦がれ執着し、周りからどう思われるかという客観性を完全に喪失した人間に、今も昔も惹かれる。バタイユの『眼球譚』やモラヴィアの『倦怠』やオルハン・パムクの『無垢の博物館』といった小説に惹かれて止まないのも、この何かに執着する登場人物らに対する留めようのないフェティシズムに似たざわめきを感じるからに違いない。こんな小説があってね、と薦めたとしても、アカリは「え、それストーカーじゃん、変態じゃん」と一刀両断するだろう。
「最近彼が口に出したがるんだよね」
 アカリの下ネタに笑ってワインを飲み干しながら、少し前に旦那に浮気されたと相談してきた友達が、「私精液飲めないから浮気されたのかな」と憂鬱そうに漏らしていたのを思い出す。リポスフェリックっていうジェル状のビタミンCは精液の十倍は不味いとか、メニエールになった時処方されたメニレットって薬は百倍不味かったとか、ピータンの方が味の方向性としては無理かもとか、くだらない話をしている内に、微かに沸き上がり始めていたアカリへの違和感は綺麗に忘れ去られていた。

 

「彼女みたいに全てを手に入れてる系の人が夫婦関係だけ破綻してるから、不倫相手と結婚したいと思わないのかなって思ったんだけどね」
「家庭壊したくないって気持ちは分かんで。私も子供たちが懐いてるっていうのが離婚しない大きな理由やし」
 一時帰国中のユミはそう言ってビールを飲み干す。約一年ぶりに会ったユミが相変わらず旦那の浮気を許容し何だかんだで共同生活を成り立たせているという事実に半ば呆れ半ば感心しながら頷く。これほど大きな事案を前にしてブレることなく子供が夫に懐いているという理由を口にする彼女には潔さが漲り、自分の中の「何がどうしてそんな状況に?」という疑問が少しずつ萎えていくのを感じる。
「浮気されて普通に一緒に暮らし続けるメンタルを支えるものって何? いつかまたかつてのうまくいってた頃に戻れるっていう確信? それとも向こうの思い通りになりたくないっていう意地? 子供子供って言うけど、普通に愛し合ってる夫婦のもとで育った方が子供にとっても幸せじゃない?」
「あんたも浮気されてみ? そんなはいはい分かりました離婚しますよなんてことにはできへんよ。まあそもそも今離婚したら私じゃ子供たち食わせてやれんしな」
「慰謝料と養育費もらって、ユミも働けば何とかなるんじゃない?」
「ちゃんと職業訓練しようと思ってん。今はまだ子供たちも手が掛かるし、旦那のことは利用できるだけ利用し尽くしたるわ。まあ五十くらいで離婚かな」
「五十から恋愛始められる?」
「あんたは何でも恋愛中心に考えるな。恋愛は楽しいけど、私の人生の中心やないからな」
 恋愛至上主義が過ぎると、夫にも言われたことがある。そんなものは古いイデオロギーでしかないのだと。それでもユミから出てきた言葉は意外で、「へえー」と間の抜けた声で微かな反論をする。
「あんたやって仕事とか子供とか大事やろ? 恋愛だけが人生やないやろ?」
「もちろん仕事も子供も大事だよ。でも恋愛っていう要素は全てのベースになってると思わない? 恋愛がうまくいってる時ほど仕事も含めて人生が快調に稼働する感じしない? 夫婦関係悪い時とか彼氏と喧嘩した時とか、色々詰むじゃん?」
「そんなあんた、恋愛してない人たちを丸っと敵に回すようなことよう言えんな。童貞率めっちゃ上がってんの知らんの? 知らんけど最近めっちゃ上がってるらしいで。そんな世の中恋愛恋愛してへんで。そんな生き方してて、いつか恋愛できない年になったらどうするん。生き甲斐なくなんで」
 ユミは勢い込んで喋る時関西弁がきつくなる。確かに、恋愛のない生き方、人生だってあるだろうしそれが悪いとは思わない。でも恋愛のない人生を想像しようとすると頭が真っ白になる。
「私初めて彼氏ができた時から恋愛のない生活を送ったことがないんだよ」
「結婚してからも恋愛し続けてきたってこと?」
「ていうか、結婚も恋愛じゃん。初めて彼氏ができてからずっと恋愛を軸に生きてきたから、もう恋愛がない生活を思い出せないんだよ。改めて、自分は二十二年間小説と恋愛のことだけ考えて生きてきたんだなって思う」
「バランス悪いやっちゃな。まあええやん。それはもうエキスパートやん。あんたはそれ極めていったらいいんよ。ていうかもうそれ以外の生き方できへんやろ?」
 恋愛できなくなったら生き甲斐がなくなるって言ったくせにと思いながら、ユミの差し出したボトルにワイングラスを差し出す。この値段! とフランスワインの値段に文句を言いながらも何故か日本酒や焼酎ではなくやっぱりワインを頼んだユミは、ちょっと前の検査でコレステロールの数値がヤバかったから今回の一時帰国では深酒をしないと宣言していたにも拘らず、まあまあのペースで飲み進めている。
 確かに恋愛を基準に物事を考えがちな人間に対してそうでない人は、海外経験が多い人が海外に出たことのない人に対して感じるものや、無宗教の人がオカルトに傾倒している人に対して感じるものと似たような不自由さを感じてざわつくのかもしれない。確かに不自由だ。もっと様々な文脈でこの世界を捉えることができたなら、もっと理性的にこの世界を捉えることができたなら、もっと生きやすいのかもしれない。動物化した人間。夫が少し前に私のことをそう表現した。彼は感覚的な世界でしか生きられない私にこの十五年間呆れ続けている。

 

 また締め切りというものが存在感を増し始めたスケジュールを頭の中で確認しながら、終電に向かって歩みを進める。それでも来週は会食が二件、友達との飲みが一件、ライブが一つ入っている。アカリが聞いたら計画性のなさを嘆くに違いない。駅から家までの間にあるバーに寄ろうかどうか散々迷って、この酔い方ならまだ仕事ができるかもしれないと真っ直ぐ家に帰った。着替えのため寝室に入ると、夫がベッドの中でスマホを見ていた。ただいまおかえりのやりとりをした後、「そうそう、今日冷凍の惣菜が大量に届いたよ」と夫が言う。
 どうやら、私がフェスやライブで家を空けることが多いと知った母親が、子供たちの食事を心配して送ってきたようだった。帰り道、母親から「あなたも家を空ける時は作り置きくらいしていったらいいのに」という内容のLINEが届いていた。近所にはいくらでも飲食店があるし、コンビニだって徒歩一分だしウーバーイーツだってあるというのに、手作りにこだわるのは彼女が専業主婦だからだろうか。
「そういえばひとみの母親がこの間うちに来た時、ひとみが子供の頃からずっとわがままだったっていう話をしてたよ。人って変わらないんだなって思ったよ」
「そうかな。私は親に全く甘えない子供だったし、物をねだったりもしなかったよ」
「そうじゃなくて。やりたくないことは絶対にやらなかったって。幼稚園に無理やり連れて行こうとすると服を全部脱いで拒否したとか、とにかくわがままを押し通すためには何でもする子だったって」
 服を脱いで登園を拒否した記憶は残っていなかったけれど、小学校低学年の頃、母親に襟首を引っ張られて廊下を引きずられ、クラスに放り込まれた記憶が蘇った。あの時皆に注目されたまま席に着いた後、私は怒りに震えていた。彼女が気分によってそういう暴力的な対処をする人だと知ってから、彼女の機嫌が悪い時はきちんと家を出て下校時間まで公園なんかで時間を潰すようになった。感情や気分で態度が変わる彼女を、私は心から憎んでいた。
 母親との喧嘩中怒りに任せてガラス戸を蹴破って流血したこともあった。その時の傷は今でも残っている。癇癪持ちというのか、とにかく感情のコントロールができない子ではあったのだろう。
 でも幼稚園に行きたくないというのは、別にわがままだったわけではないんじゃないだろうか。今思うと不思議だけれど、私は一度もいじめに遭ったことがなかった。先生から体罰を受けたこともなかった。それでも学校に行くことは死に等しかった。なぜかは分からない。学校に行き席につき授業を受けることは、私にとって身震いするほど絶望的なことだった。あの理由なき絶望を思い出すと今でも胸が苦しくなり涙が出そうになる。私は死を避けただけと考えれば、私に死を強要する母親を私が憎んだとしても不思議はない。
「死ねばいいんだろ? 死んでやるよ!」
 恐らく一番激しかった母とのつかみ合いの喧嘩が脳裏に蘇る。何を責められていたのか叱られていたのかは覚えていない。とにかく母に罵倒された私はそう怒鳴り、怒鳴った瞬間に引っ叩かれた。あまり思い出せないが、小学校四年か五年、今の長女よりも小さかったはずだ。引っ叩き返したのはあの時が初めてだったような気がする。引っ叩いたあと、母の首を掴んで揉み合った。死んでやるよと怒鳴りながら、もう殺してくれればいいのにと思っていた。
 子供時代は、最も生きづらい時代だった。ただ苦しいだけの日々が延々続いていた。楽しかったと思える日は一年の中で七日くらいしかなかった。常に最悪の事態や、嫌なことや、最低の未来を考えていた。きっと私は恋愛によって救われたのだ。個人として、一対一で誰かと向き合い、求めたり求められたりすることで、生きる意味を自分の中に構築していくことができたのだろう。ぼんやりと幼少期の頃を思い出しながら、合点がいった。どうしてか分からないけれど、私はもともと生きづらかった。生きづらさのリハビリをしてくれたのは、母親や家庭ではなく、恋愛であり、小説だった。わがままと捉えられるすべての行動は、生きるためだった。服を脱いだのも死なないためだった。でもそれは多くの人にとってわがままなのだろう。そしてわがままとして捉えてもらった方が、私にとっても楽だったように思う。
 そう思い至るとなぜか晴れ晴れした気持ちになって、ぴったりとウェストマークされたワンピースを脱ぎ、この間フェスで買ったバンTに着替えると、私はストロングのプルトップを開け、死なないために音楽を聴き、死なないために小説を書き始めた。

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著者 金原ひとみプロフィール

1983年、東京都出身。2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞。翌年、同作で芥川賞を受賞。2010年『トリップ・トラップ』で織田作之助賞受賞。2012年『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書に『アッシュベイビー』『AMEBIC』『オートフィクション』『クラウドガール』等がある。現在『SPUR』にて「ミーツ・ザ・ワールド」を連載中。