12 フランス

 固い牛ヒレ肉を食べている途中、鋭く硬い感触に顔を歪める。骨だろうかと思いながら口の中から取り出した破片はアマルガムで、肉にこんな異物混入なんてどういうことかと憤りかけた瞬間、自分の奥歯にいつもと違う感触が走るのを察知して、なんだと意気消沈する。出張が始まった直後にこんな災難に見舞われるなんて。そう思いながらも、特に沁みたり痛んだりする気配がないことにほっとする。機内食を食べている途中で寝落ち、四時間後トイレのために起きた瞬間嫌な予感がする。私の体は途轍もない消失への希求に蝕まれていた。これまで自分が普通に生きていたことがどう考えても信じられないという気持ちだった。こんなに愚かな人間でありながら、のうのうと外を歩き世間に顔を晒してこの世に存在し続けてきたという事実が信じられない。自分は愚かであるという理由だけで自然の摂理として放射線状に飛び散り自然消失しているべき存在に感じられ、今普通にここに存在しているということがあまりに荒唐無稽な現実に感じられた。
 これはよく飲みすぎた翌早朝に感じる感覚だ。二日酔いの朝、フラフラになりながらトイレに行く時や、トイレの後再度寝付けなくなって布団に潜っている時に感じる、自分が存在することへの疑問と存在自体が罪深く感じられ消失衝動に苛まれる症状だ。飛行機に乗り込んでから、シャンパンを二杯と白ワインを一杯しか飲んでいないのに、何故こんな気持ちになるのだろう。気圧の変化のせいか、終わりかけていた生理がまた勢いをつけ始めたことにうんざりしながら席に戻ると、私はまた目を閉じた。飛行機のたてる大きな音に眠りへの帰路を邪魔されながら、この原罪のようなものに幼少期から悩まされていたことを思い出す。ここ数年あまりにこの症状が酷かったため、アルコールを摂取するとセロトニンの機能が低下するからだと自分の中で無理やり片付けていたこの消失衝動は、十歳くらいの頃から恒常的に、時に断続的に、私を苦しめ続けていた。何故ここに存在しているのだろう、消えているはずなのに。消えていた方が自然なのに。子供の私も今と全く同じ不思議さを抱えたままそう思っていた。
 二度目に起きた時、すでに機内の電気は点いていた。スマホの時間を確認して、到着まであと二時間と知る。つまり私は飛行機が動き始めてからの一時間半と二時間を差っ引いて、八時間半も熟睡していたということになる。離陸してすぐに食べた夕飯が、眠っていた胃の中でほとんど消化されていなかったようで、朝ごはんはほとんど食べられなかった。料理が下げられてしばらくすると、フォークを動かしながら刺激しないように、穏便にやり過ごせますようにと願っていたさっきの衝動が輪をかけて強大なものとなって迫ってきたのを感じる。このままではまずいかもしれない。そう思った時には泣いていた。とめどなく涙が溢れ、バッグの中のポケットティッシュを引っ張り出す。涙は止まらず、あらゆる気を逸らそうとする行為が無駄であると知った私は感情に任せて思う存分泣こうと決意する。滲む視界の中でスマホを手に取りとにかく誰彼構わず謝罪したいという衝動に突き動かされ自分の愚かさを嘆き謝罪する文章をメモに入力していく。目覚めてからアルコールは一切飲んでいない。シラフのはずだった。それでもあらゆる人に、あらゆる罪を謝罪したかった。これまでの自分の生き方や考え方、言動の浅はかさ、存在していること、生きていることを謝罪する文章をボロボロになったクリネックスで目元を拭いながら打ち続けた。高度を下げ始めたことを告げるアナウンスが流れ、このままでは同行している仕事相手たちに泣いていたことがバレると危機感を抱いたけれど、化粧を直せば大丈夫だろうという気持ちと、もう自分がボロボロであることなんて誰にバレたって構わないという気持ちの狭間で、メモを読み直し修正を続けた。飛行機がシャルル・ド・ゴール空港に着陸した瞬間、レンタルWi-Fiの電源を入れるとパスワードを入力してスマホを繋ぎ、メモがクラウド保存されたことを確認した。こんなことさえ小説に使えるなと頭のどこかで考えている私は愚かさの塊、本来であれば存在しないはずなのに何かの間違いで存在してしまった存在として生き続ける他ないのだ。打ちひしがれたままタラップを降りたところで同行者たちと落ち合ったけれど、私が泣いていたことに気づいた人はいなかったようだった。

 

 経由便の出発までの四時間を空港内のラウンジや喫煙所、待合所で過ごしながら、懐かしかった。言葉よりも物よりも何よりも、緩い感覚が懐かしかった。ゲート近くの待合席の充電差込口は軒並み壊れていて、ラウンジの食べ物はハム、チーズ、パン、ヨーグルトと質素なもので、掃除のおばさんは愛想がないけれど話しかけると表情を和ませ、皆がそれなりに自分勝手で、皆がそれなりに自由だった。東京に戻って得たものは圧倒的な便利さと自分であらゆるものをコントロールできる語学的手軽さで、パリを離れたことで喪失したのはこの緩さによる生きやすさと自分が人からどう思われるかを考えなくて済む気楽さだと改めて実感する。最初の一年鬱になり、最後の二年はあらゆることに煩悶しながら過ごしていたフランスだったけれど、あの時確かに私は日本にいると感じられない、ある種の生に対する気楽さを享受していた。
 日本にいる時のある種の物ものに縛られている感覚は、物心ついた頃からあった。常にあらゆる人の目が気になり、気になるから学校に行くのを止めた。じっと貝のように何か固い物の中で誰の目にも触れずに生きていたかった。私を貝の中から引っ張り出してくれたのは恋愛で、私は男性たちと付き合い「愛されている」自信を持つことで誰になんと思われようが構わないだって私は「愛されている」んだから、という開き直りの下に外の世界を生きることができるようになった。そしてそれ以降ずっと恋愛をし続けている。
 縛りと、縛りからの解放、日本にいる間その次元でしか生きられなかった私は、フランスで何からも縛られることなく、それゆえ解放される必要もない生活を送っていた。誰の視線も気にならなかった。自分が気になったことには遠慮なく視線を送り、遠慮なく視線を送られることにも何とも思わなかった。その違いは、フランスにいる間あらゆる外見的なことにずぼらだった長女が日本に帰った途端クラスメイトの目を気にして身なりに気をつけるようになったことからも、フランスにいる間ぼろぼろの服や靴や鞄を身につけていた夫が日本に帰ってすぐ全てを新調した変化にも顕著に現れている。

 

 コート・ダジュール空港からホテルまでの車の中、次女からの「まま」という悲愴感漂う一言のメールに「さっきフランスのみなみにあるくうこうについたよ」と返信する。フランスで子供を置いて一時帰国する時はあまり別れを惜しまれた記憶はなかったけれど、今回は長女次女共にひどく落ち込み悲しまれているのを感じた。この子供の感じ方の違いも、フランスに住むことと日本に住むことの違いの一つなのかもしれない。それでも今日行く昼と夜のレストランの情報、その間にどの美術館に行こうかと女性ばかりの同行者たちと話している内、気持ちは遊びと仕事の方に向いていった。明日は朝早くから夕方までぎっしり仕事が詰まっていて、私たちがゆっくりと羽を伸ばせるのは到着日である今日一日だけだった。四者四様にそれぞれ別種の仕事を持ち、それぞれ急ぎのメールが来るたびせかせかと返信を打ち、化粧直しや日焼け止めの塗り直しを隙なく繰り返す女性たちのやる気が漲る車内は案外居心地が良かった。
 まだ部屋の準備に時間がかかると言われ広大な中庭のテラスでシャンパンを飲み始めた瞬間、生きてて良かったという身も蓋もない気分になる。それでも、家族で住んでいたフランスに一人で戻ってきた私は、どこか動揺していた。激しい喪失感と現在に対する満足感、渡仏と帰国、そしてその間にあった全て、その後にあった全てにそうせざるを得ない必然性があったという自信、それでも自分が下してきた決断がどこかで間違っていたのではないかという不安、ごちゃ混ぜになったあれこれがグラスの中に飛び交う泡の様子に重なっていく気がして思わず空を見上げる。
 パリから合流した通訳の女性が、フランスに住んだ経緯や帰国した経緯について質問してきて、話している内本当に帰国するべきだったのだろうかと疑問が芽生えて動揺が加速しそうになった時、彼女はすっかりフランス人化した態度で「いい選択だったわね」と言った。
「一、二年じゃ短いけど、六年ってちょうどいいじゃない。私なんて帰るきっかけ逃して四半世紀だもの」
 そうだった。私は帰るきっかけを逃し気がついたら十年、二十年と目的もなくずるずるフランスに住むことが怖かった。駐在なら言い逃れのできない「そこに住む理由」があるし、フランスで仕事をしていればそれもまた「そこに住む理由」になる。でもフリーの仕事をしている私は、明日帰ることも十年後に帰ることも二十年後に帰ることもできて、その選択の余地の途方もなさに恐れ戦いていたのだ。ビザの更新の時、在仏の理由をまとめた計画書を提出したけれど、それらしいことを誇張して書いたその文章に自分でも苦笑したのを覚えている。
 フランスに住んで良かった。そして帰国して良かった。異国に訪れたとき、帰ってきたと思える場所ができて良かった。自責の念と存在することへの疑いが薄れ始めた私は、自分の中でそう結論づけた。十二時間と二時間のフライトを経て、ほとんど空っぽになっていた胃にシャンパンが弾けながら染み込んでいくのを、ようやく解禁された煙草を吸いながら慈しむような気分で甘受していた。

 

 南仏での二泊からのパリでの一泊と、慌ただしく時は流れ、到着翌日の夕飯前に激しい頭痛と嘔吐が一時間続いた以外は全て滞りなく進行し、毎晩ごついフランス料理を食べてはホテルに戻って倒れる様に寝た。最終日、ランチを断ってメトロで以前住んでいた街に向かった。一瞬でいいから見ておきたかった。街は全てが相変わらずで、煙草を吸っている人を見ると必ず一本くれとねだる、いつもカルティエを歩き回っているおばあさんや、よく通ったカフェの店員、いつも子供たちに優しくしてくれたスーパーの店員、看板の色は変わったけれどラインナップは変わっていないブランジュリー、あらゆることがいつも通りだった。懐かしさはこみ上げず、ちょっと久しぶりだなくらいの気分だった。
 それでも、何百回何千回と一人で、子供達と、夫と、友達と、ベビーカーを押しながら、買い物袋を提げながら、カートを引きながら、憂鬱な気分で、明るい気分で、悩みながら、怒りながら、笑いながら開け閉めしたアパートのドアの前を通り過ぎる時、あの頃持っていたものを喪失したことに気づいて苦しくなった。変化を恐れる私に、変わらない場所は眩しい。急ぎ足でぐるっと街を回ると、最後の仕事のためマドレーヌ駅に向かった。

 

 ただいま。という声に返事はない。26キロのスーツケースを何とか玄関に上げ、子供部屋を見にいくと次女が二段ベッドの下で寝ていた。ただいま、ママだよ、お土産あるよ。ゆらゆらと揺らしても次女はうめき声さえ上げずぐっすり眠っている。諦めてスーツケースの中のものを取り出し、のろのろと元の場所に戻し、結局行きの経由便を待つラウンジでの一回しか開かなかったノートパソコンを開くと次々迷惑メールを削除していく。しばらくすると鍵が開く音がして、ママおかえりと、僅かずつ反抗期の兆しを見せ始めているように感じられていた長女が、スポーツバッグとリュックを床に投げ捨て両手を広げて抱きついてきた。長女もまた、一昨日から二泊三日の修学旅行に赴いていたのだ。次女はどうしてるかと聞く長女に、ベッドで寝てるよと答える。
「起こしてきてくれる? お土産あるよって言って」
「私もお土産あるんだよ!」
 長女が騒がしく起こすと、さすがに次女も目覚めたようだった。ママー! と声をあげた次女は勢いよく抱きついてきて、私の頬に頬をくっつけ何度もビズをする。お土産に歓声を上げ、嬉しくて死にそう! と宣う次女は、私がフランスに行くと決まった時から絶対に買ってきてねと口を酸っぱくして頼み、渡仏中ちゃんと買ったか電話で確認し、買ったよと答えると帰ってくるまで絶対に食べないでねと釘を刺していた、フランスでしょっちゅう食べていたどこのスーパーにもあるお菓子を取り出すと今すぐ食べたいと主張し、食べた瞬間「死んだ!」と叫んだ。長女と笑い合って「かわいいなあ」と目を細める私は本当に愉快で幸せを感じていたけれど、この文章を書いている今の私は胃が空洞になったような物悲しさを体の中心に感じ涙を浮かべている。普通に日常を生きる自分と書く自分の乖離に身を委ねることは、それによって生き永らえているようでもあり、首を絞められているようでもある。
 思えばずっと泣きそうだった。でもずっと幸せでもあった。この十年で自分から死ぬことを考えなくなった。でも夫に殺されたいと願うことが増えた。もうすぐ長女は十二歳になる。毛足の長いカーペットに染み込んだペンキのように幾重にもわたってぶちまけられ続けた愚かさの染みは消えない。あの時あんなに幸せだったのにと思い起こされる幸せは全て幻想だと知っている。ずっと泣きそうだった。辛かった。寂しかった。幸せだった。この乖離の中にしか自分は存在できなかった。

 

今回で最終回になります。本連載は来年春に『パリの砂漠、東京の蜃気楼』として、ホーム社より刊行予定です。ご愛読ありがとうございました。

毎月第1木曜日更新

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著者 金原ひとみプロフィール

1983年、東京都出身。2003年『蛇にピアス』ですばる文学賞。翌年、同作で芥川賞を受賞。2010年『トリップ・トラップ』で織田作之助賞受賞。2012年『マザーズ』でBunkamuraドゥマゴ文学賞受賞。著書に『アッシュベイビー』『AMEBIC』『オートフィクション』『クラウドガール』等がある。現在『SPUR』にて「ミーツ・ザ・ワールド」を連載中。