24 パンを投げる

 食べものはいろいろなかたちをしている。
 椅子も本も車もだいたい似たり寄ったりの形状なのに、食べものはやけに様々な形状に加工されている気がする。特に主食や菓子はバラエティに富んでいる。

 意識してしまうと気になりだす。これだけいろいろなかたちがあるのはなぜなのか。なにか理由があるのではないか。小さい頃からそうだった。
「なんで食パンは四角いの?」「運びやすいからじゃないの」「じゃあメロンパンはなんでメロンのかたちをしているの? なんでパンなのにメロンなの?」「……」なんでなんでを連発する私に親は困惑し「自分で調べるのが勉強」と逃げた。

 食べものの形状のなり立ちは調べても正直よくわからない。ヨーロッパの食べものは形状に由来する名前が多い。例えば、ガレットは「薄くて丸い」ものを意味するし、フィナンシェは「金融」「金持ち」の意味で金塊のかたちに作られる。形状へのこだわりの強さを実感するのがパンで、我々がフランスパンとざっくり呼んでいる棒状のパンはパリジャン、バゲット、フリュート、バタール、フィセルなど、細さと長さによって名前が違う。それぞれに入れるクープ(切り込み)の数も決まっているそうだ。

 けれど、「なんでパンを棒状にしたの?」と聞いて正解を言える人がいるだろうか。「ふわふわの中より、皮のパリパリを好む人が多いからじゃない」と殿は言うが、パン焼き釜が共同だった頃に場所を取らずに作れたから、乾燥するので日持ちする、など諸説ある。私は「なんとなく」なんじゃないかと思う。いま「なんで焼きそばをコッペパンに挟んだの?」と日本中のパン屋に聞いてもきっと誰も正解がだせないように、なんとなくやってみたらおいしかったから、というゆるい理由で新しい食べものはできていく気がする。

 パンといえば、映画『グラディエーター』だ。リドリー・スコット監督の最盛期ローマ帝国を舞台にした大作で、冒頭の戦場シーンから人や馬が波のようにでてくるし、衣装も(きら)びやかだし、CGもばんばん使われているしで、莫大な製作費をひりひりと感じる作品だ。ラッセル・クロウ演じる主人公のマキシマスはローマ帝国将軍から奴隷へと転落し、コロッセウム(円形競技場)剣闘士(グラデイエーター)として見せ物の殺し合いをさせられることになる。帝国の英雄と称えられ皆に慕われながらも、故郷大好きで早く家に帰りたいマキシマス。そんな彼に嫉妬する、やたら肉親愛に飢えているダメ皇帝コモドゥス。二人の確執からはじまり二人の一騎打ちで終わるという、スケールが大きいのだか小さいのだかわからないストーリーだ。

 観たいと思ったきっかけは武器と戦術だった。銃が開発される以前の戦いは生々しい。人体を一撃で破壊することを考えて作られる武器は禍々(まがまが)しく凶暴そうだ。カタパルト(投石器)の攻撃力に興奮し、統率力の秀でたマキシマスが指揮する隊列の美しさに惚れぼれし、いや、でも人を殺して大喝采の世界は滅入るなあ、と眺めていた。

 コロッセウムは巨大で丸い。すり鉢状になっている。映画では五万近くの観客がいるという設定だった。売店とかあるのかな、と思う。いくら楽しくても長丁場だと腹が減るだろう。奴隷のいる時代なので、各々自分の所有する奴隷に弁当を持ってきてもらうのだろうか。考えていると、草花で飾られた荷馬車が競技場へ入ってきた。乗っている人たちは花輪なんか頭に載せていて、それまでの殺伐とした雰囲気が一変する。荷台にはたくさんの籠。その中からパンを掴み、競技場の中を走りながら周囲の観客たちに投げはじめた。

 パンを投げている! 運動会の玉入れのようにパンが空に放物線を描いて飛んでいく。もちろんパッキングなんかされていない、むきだしのパン。手を伸ばし、身を乗りだしてパンをキャッチしようとする観客たち。歓喜のどよめきが場内を包み、そのタイミングでテラス席にダメ皇帝がでてくる。パンを投げてもらってご機嫌の観客はダメ皇帝に声援を送る。まさに「パンとサーカス」。観客たちは奴隷が猛獣に襲われたり、剣闘士たちが殺し合いをしたりするのを眺めながら、投げてもらったパンをちぎり食べる。

 ちょっと焼きの強い、噛みしめがいがありそうなパンだった。クープも入っていない、丸めて焼いただけといった感じの素朴なパン。田舎パンと呼ばれるパン・ド・カンパーニュに似ている気がした。私はクロワッサンやブリオッシュといったヴィエノワズリー系のふわふわさくさくしたパンを好まない。どっしり重い無骨なパンの塊を切って食べるのが好きだ。なので、画面の中で投げられているパンはかなり好みの類だった。

 けれど、その時、強く思ったのは「食べたい」ではなく「投げたい」だった。塊パンの、なんと投げるのに適したかたちをしていることか。楕円形もしくはラグビーボール状のパンの多さよ。フランスパンだって槍のようにして投げることは可能ではないか。パンは投げるためのものだったのかもしれない。そうだ、そうに違いない。だって、パンを投げられて憤慨している観客は一人もいなかったし、パンを投げている人はすごく生き生きとしていた。

 投げたい、という気持ちをふつふつとたぎらせたまま映画を観終えた。『グラディエーター』は私の中では「パンを投げる映画」になった。今も塊パンを見ると、「投げたい」と思う。料理人の殿に絶対に怒られるからできないが、形状を意識するとどうしても投げるために作ったとしか思えなくなる。パンの語源が「投げる」や「投石」だったとしても驚かない。それくらい説得力のあるシーンだった。

 食べものに関する夢はたくさんあるが、パンに限っては「投げたい」が上位にくる。夢が叶う時がきたら、グラディエーターサンダルを履いて臨みたいと思う。

著者 千早茜プロフィール

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年「魚神いおがみ」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補、吉川英治文学新人賞候補となる。近著に『人形たちの白昼夢』『クローゼット』『正しい女たち』など、クリープハイプ・尾崎世界観との共著に『犬も食わない』がある。本書が初のエッセイ集。