13 冬と羊

 大晦日(おおみそか)は友人を呼んで、元旦まで飲んで食べて過ごす。例年ひっきりなしに食べ続け、まるで食の耐久マラソンのようになるのだが、いくつかメイン的な料理はあって、そのうちのひとつが今年は羊肉のしゃぶしゃぶだった。思えば、前年は羊肉の水餃子(すいぎようざ)を作った。どうも年越しは羊を食べがちだ。
 
 年越しというか、冬になるとよく羊を食べている気がする。冬の衣服に使われる羊毛の匂いが羊肉を彷彿(ほうふつ)とさせるからかもしれない。純度の高いウールはちょっと重ための(あぶら)の匂いがし、私の体臭に寄りそってくれなさそうな感じがするのであまり着ないが、会った人が着ていたりすると「む、冬だな。羊が食べたいな」と思う。
 
 小さいころ、家に羊の敷物があった。白くてふわふわと心地好かったが、毛の根元に皮がついていた分、ウール製品よりずっと獣臭くて存在感があった。獣医師の父は当時、酪農大学に勤めていて、帰宅してくると羊の敷物の匂いがすることが多かった。家畜と触れ合ったり、解剖をしたりしていたせいだろう。
 家にはなぜかカンガルーの敷物もあった。ぺったりと平たくなった長い尾がついていて、どこからどう見てもカンガルーというかたちをしていた。カンガルーの敷物は毛がかたく、ちくちくした。そして、帰宅した父からはカンガルーの敷物の匂いはしなかった。なので、小さな私はカンガルーは身近にはおらず、羊は身近にいる生き物だとぼんやりと理解した。
 
 私が生まれたのは北海道だったので、確かに身近に羊はいた。北海道といえばジンギスカンだと思う人も多いだろう。スーパーでは普通に羊肉が売られていたし、父はときどきラムステーキの店に連れていってくれた。父のお気に入りのその店は古いログハウスで薄暗かった。店への道も暗く、初めて行ったときは幽霊屋敷のようで怖いと思った。店内の壁もテーブルもどことなくベタベタして、重ったるい匂いがした。しかし、すぐにその匂いは羊の敷物と同じだと気がついた。皿にどんとのったラムステーキは食べごたえがあり、羊は食べる生き物なのだと鼻と舌で知った。カンガルーはきっと食べない生き物なのだろうなと思った。
 
 それから、アフリカへ引っ越し、帰国してからは九州を転々とした。中学の終わりにまた北海道に戻り、大学からはずっと京都にいる。北海道を離れている間は羊肉に出会うことはなかった。京都で一人暮らしをはじめた二十年前は「羊が食べたい」と言うと、「ひつじい!?」という反応が多かった気がする。ジンギスカンを食べたことがない友人ばかりだったので、実家から送ってもらってジンギスカン会をした。マンションの狭い部屋からしばらく羊の匂いが取れず閉口した。けれど、ここ数年、人々の羊肉に対する抵抗はなくなり、羊肉を提供する店もめずらしくなくなった。好物だと言う友人も少なくない。それが嬉しくもあり、奇妙な感じもする。
 
 きっと大人になってから羊肉を食べた、という人もいるだろう。けれど、大人になるまでウール製品の匂いを嗅いだことがないという人はあまりいないはずだ。となると、羊肉を初めて食べたとき、「あ、セーターの匂い」と思わなかったのだろうか。ちなみに私は初めて産みたての卵の匂いを嗅いだとき、「あ、父のダウンの匂いがする」と思った。人々の羊肉初体験話を聞いてみたいなとよく考える。そして、ウール製品を必要としない暖かい地域に住む人は羊肉の匂いをどんな風に感じるのか気になる。私がカンガルーの敷物に感じたように「これは食べない生き物だな」と思うのだろうか。
 
 寒くなり、羊肉を求めだすと毎年考えるのが、イヌイットのことだ。なにかの本でイヌイットはアザラシの油を日常の様々なことに使うと読んだ。灯りにしたり、体に塗ったり、なめした革を柔らかくするのに使ったり、そして、アザラシの肉は食料になる。極寒の地で彼らを守ってくれるのがアザラシだ。アザラシの油や皮や肉はどんな匂いなのだろう。その匂いに彼らは安心感を得るのかもしれないと想像する。
 私が冬に羊を食べたくなるのも安心を求めてのことなのかもしれない。あの独特の匂いの肉を胃におさめると、なんとなく身体の表面に寒さを跳ね返すバリアが薄く張られたような気分になり「冬を乗り切れるぞ!」と思う。表面ではなく内側にしっかり脂を溜め込んでいるのだろうけど。
 
 去年、両親が新しい土地に居を移した。北海道の家はいま売りにだされていて、たまに不動産会社のホームページを眺めている。私自身は四年しか住まなかった家だ。引っ越しの多い半生だったので、住んでいる場所への愛着も執着も薄い。だから寂しいということもないし、北海道にはもうこれといった用事がない限り行かないだろうなと思う。
 ただ、京都に人生の半分以上住み、河豚(ふぐ)やすっぽんや土瓶蒸しといった冬の美味を知っても、寒さが本番になると「羊、食べたい!」と思うのは道産子(どさんこ)の血のせいなのかもしれない。父のお気に入りだった薄暗いラムステーキの店をときどき思いだす。

第2・4水曜日更新

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著者 千早茜プロフィール

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年「魚神いおがみ」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補となる。著書に『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『神様の暇つぶし』やクリープハイプ・尾崎世界観との共作小説『犬も食わない』、宇野亞喜良との絵本『鳥籠の小娘』、エッセイ集『わるい食べもの』などがある。


北澤平祐プロフィール

北澤平祐(きたざわ・へいすけ)
イラストレーター。東京都在住。アメリカに16年間在住後、帰国しイラストレーターとしての活動を開始。
多数の書籍装画や、花王、東京ソラマチ、渋谷ヒカリエなどのキャンペーンビジュアル、ファミリーレストランCOCO'Sのメニューイラストや、洋菓子のフランセ、キャラメルゴーストハウス、KENZO Parfumsの商品パッケージ等、国内外の幅広い分野でイラストを提供。
オフィシャルサイトwww.hypehopewonderland.com