02 闇カツ

 トンカツ屋に誘われると、非常に緊張する。
 揚げ物は好きだ。誘う方もそれを知っている。笑顔のままはらはらしながら店に入り、メニューをひらくとき、緊張はピークに達する。サイドメニューのない硬派なトンカツ屋ならばヒレカツを選び、洋食よりの店ならばエビフライやクリームコロッケに逃げる。しかし、ときどきトンカツに挑まざるを得ないことがある。ランチの定食がそれしかなかったり、カツカレーやカツ丼が食べたくなったりしたときだ。
 トンカツは覚悟を決めなくては食べられない。ロシアンルーレットのような気分だ。いや、食べ物なので闇鍋か。「トンカツは闇鍋」と言うと、たいてい奇妙な顔をされる。
 
 豚肉は嫌いではない。ただ、どうしても食べられない部分がある。脂身(あぶらみ)だ。物心ついたときから苦手だった。それが衣で隠されてしまっているのが問題だ。ロースはどちらか片方の端に脂身があるが、肩ロースは切り方によっては中央部分が脂身になることがある。頼むから衣をつける前に肉を見せてくれ、と思う。ショーケースのある串カツ屋は揚げる前の具が見えて最高に安心する。家でトンカツをするときは慎重に脂身を取り除いた千早用カツを作る。
 
 トンカツのカットされた断面を注意深く観察してそろそろと口に運ぶ。数ミリ(かじ)りとる。からりとした衣とジューシーな肉。カツの(うま)さに我を忘れてつい大きくかぶりつくと、脂身に到達してしまう。食感がおぞましい。グニュッと歯が食い込み、グジュワーと脂が(あふ)れでる。絶叫しそうになる。毒を盛られたのかと騒ぎになりそうだからできない。えずきながら涙目になって呑み込む。脂身大好きな友人は分厚い豚の脂身を「さくさくする」と嬉しげに語るが、それを聞くだけでぞくぞくする。ぐにぐにもさくさくも嫌だ。なので、トンカツを食べている間は緊張状態が続き、肉に没頭できない。私にとって肉とは脂身以外の部分を指す。真の肉好きじゃない? 知らんがな。
 
「闇鍋」という恐ろしい存在を知ったのは、おそらく漫画だったと思う。小学生か中学生の頃だった。なんの漫画だったかは忘れたが、ギャグ要素の強い話で、闇鍋はおぞましいものとして描かれていた。食材ではないものも入っていたと思う。
 西洋童話の「石のスープ」の話は知っていた。吝嗇(りんしよく)な村を訪れた旅人が「石を煮てスープを作ります」と鍋と水を求める。見物する村人に彼は「少し塩があればもっとおいしくなるのに」「肉があれば」「野菜があれば」と残念がってみせ、あちこちの家から食材を集め、やがて美味しいスープができあがる。旅人の機転と偶然によって作られる素敵なスープは、村人たちを団結させ幸福に(だま)す。しかし、闇鍋にはどうもそれとは違う不穏な気配があった。
 
 なんなんだ、と思い辞書で調べた記憶がある。いま、手元にある広辞苑には闇鍋は闇汁に同じとして、「冬などに、各自思い思いに持ち寄った食物を、灯を消した中で鍋で煮て食べる遊び。また、その煮た物」と明記されている。他の国語辞典もほぼ同じ内容だ。しかし、これがウィキペディアになると、「通常、鍋料理には用いない食材が利用される。食事を目的とした料理というよりは遊び、イベントとしての色彩が濃い」が付け足される。
 ちょっと待ってくれ。なにかわからない食材を暗闇で食べるのでさえ怖いのに、鍋の常識を外れたものが入っているとか遊びではなく拷問(ごうもん)だろう。しかも、煮てあるのだ。運良く常識の範囲内の食材にあたったとしても、非常識な食材と一緒に鍋でぐらぐらされているということは非常識エキスは()み込んでいる。渾然一体感(こんぜんいつたいかん)こそが鍋なのだから。要するに参加者全員地獄行きということだ。そんな食べ物が存在することが驚きだった。食べ物は幸福のためにあるんじゃないのか。
 
 私がウィキペディアを多用する人間を信じないのはここからきている。ウィキペディアの闇鍋規定の方が悪ふざけ感が強い。人が本気で嫌がっていることを「ウェーイ!」とか言って済ましてしまいそうな気配がある。
 人が集まってたこ焼き大会をすると(「タコパ」とは口が裂けても言いたくない)闇たこを作ろうとする(やつ)がいる。でた! ウィキペディア野郎だ、と思う。餃子大会でもいる。ワサビとか明らかにまずくなるとわかっているものを入れて、隠して、なにが楽しいのかまったくわからない。ひとつ闇物体が投入されただけで緊張が走り、その物体にあたらなくともお腹を壊しそうになる。冗談が通じないと思われてもいい。食べ物で遊ぶのも、食べ物でスリルを感じるのも、御免こうむりたい。
 
 しかし、奇跡がおきることもあるのだろうか。誰かの悲鳴を聞く気で持ち寄った食材たちが化学変化をおこし、嗅いだことのない芳香をただよわせ前代未聞の絶品鍋が生まれることがあるのかもしれない。マレンゴの戦いでナポレオンはお抱え料理人デュナンに食事を作るよう命じる。食糧の不足した戦地で彼は農家から野菜を集め、川で捕らえたザリガニとあり合わせ料理を作る。大将にそのへんのザリガニ……と不安になるが、ナポレオンはいたくお気に召し、「マレンゴ風」として歴史に残った。似たようなことが起きる可能性もある。そのとき、闇鍋の忌まわしい歴史にひとすじの光がさすだろう。
 そんなことを考えながらトンカツを食べ、グニュッ、グジュワーにぶつかる度に、ない、と涙目になりながら思う。無理なものは無理だ。食に関しては安心を求めたい。

第2・4水曜日更新

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著者 千早茜プロフィール

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年「魚神いおがみ」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補となる。著書に『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『神様の暇つぶし』やクリープハイプ・尾崎世界観との共作小説『犬も食わない』、宇野亞喜良との絵本『鳥籠の小娘』、エッセイ集『わるい食べもの』などがある。


北澤平祐プロフィール

北澤平祐(きたざわ・へいすけ)
イラストレーター。東京都在住。アメリカに16年間在住後、帰国しイラストレーターとしての活動を開始。
多数の書籍装画や、花王、東京ソラマチ、渋谷ヒカリエなどのキャンペーンビジュアル、ファミリーレストランCOCO'Sのメニューイラストや、洋菓子のフランセ、キャラメルゴーストハウス、KENZO Parfumsの商品パッケージ等、国内外の幅広い分野でイラストを提供。
オフィシャルサイトwww.hypehopewonderland.com