05 またまた炊飯器

 今年の夏も暑かった。
 連日、気温が体温を超え、盆地ゆえ風もない、蒸し風呂のような京都の夏。幼少期を過ごしたアフリカよりも、一時期住んでいた鹿児島や宮崎よりも、京都の夏は暑い。夏らしいことをしようという気にもならない。なにをしたって暑いのだ。人としての尊厳を捨てて、昼も夜もただぐったりと溶けたまま、夏が過ぎるのを待った。
 
 人として機能しなくなっても本能は衰えない。私の場合、夏バテと食欲は別のところにあって、暑いという理由で好物に食指が動かなくなることはまずない。どんなに京都が暑かろうと、茶欲も菓子欲も肉欲も衰えない。毎日欠かせない赤ガーナを冷蔵庫保存しなくてはいけないのが忌々(いまいま)しいが(チョコを冷蔵庫保存で美味しく食べるには少々手間がかかる)。
 
 もちろん、米欲も通常通り。餅ですらオールシーズンオッケーなのだ。いわんや主食である米をや。
 夏にしか食べられない好物ご飯もある。単行本化されている『わるい食べもの』に書いたが、去年の夏は「すだちご飯」に夢中だった。「とうもろこしご飯」もいい。生のとうもろこしの粒をばらばらにして芯と一緒に米と炊く。芯からダシがでるので、私はシンプルに塩だけで味つけするのが好きだ。とうもろこしがびっくりするくらい甘くなる。バターを溶かして黒胡椒(くろこしよう)をひいたり、醤油(しようゆ)とバターにしたり、塩昆布をのせたりして、わしわしといくらでも食べられる。残った分は焼きおにぎりにして仕上げに醤油をたらす。
 
 こんな私でも、子供の頃は食が細かった。おかかご飯が好物ではあったが、お代わりをすることはまれだった。今は毎食するというのに。なので両親や妹とご飯を食べると「ずいぶんよく食べるようになったね」と驚かれる。
 
 なぜか。いろいろな理由があるが、ご飯に関しては「保温」が嫌いだったというのが一番だ。どの炊飯器にもついている保温機能。あれが小さい頃からどうしても信じられない。
 また炊飯器の話かよ、と思われるだろうが、米はもう私が私たるゆえんのような、遺伝子レベルでの愛着がある食材なのでどうかご勘弁願いたい。
 
 母は毎回、米を大量に炊いた。どう考えても一回の食事では食べきれない量だった。育ち盛りの子に足りない思いをさせたくないという親心だったのかもしれない。しかし、残ったご飯はそのまま保温された。家族の誰かの帰宅が遅くなったときでも温かいご飯が食べられるようにとの配慮だったのかもしれない。
 
 どうやら母は保温とは炊きたてのご飯がそのまま維持されることだと思っていた気がする。けれど、私は保温のオレンジの光を見るたび、不安だった。保温は本当に「維持」なのか?
 維持されているのは、温度だけじゃないのか? シチューだって火にかけ続ければ焦げるし、水は蒸発する。鳥は卵を温めて(かえ)す。同じ温度を維持し続けても物質は変化するだろう。小学校高学年くらいの頃、ついに不安が限界を超え、母に()いた。「炊飯器の中は密閉されているから大丈夫。もう、すぐ気にするんだから」と笑われた。
 
 でも、保温状態が続いたご飯は明らかに黄ばんでいた。炊きたてより張りも輝きも失われている。ちょっと匂う気もする。変化しているじゃないか!と怖くなった。知らずになにか培養しちゃってはいまいか。
 なにより嫌だったのは、炊飯器を開け閉めする度に、内蓋にたまった水蒸気が水滴となって釜の中に落ちることだ。ちょうど蓋と本体のつなぎ目の真下が水滴集中スポットで、その辺りのご飯はいつもふやけていた。ぶよぶよのご飯はあまりに悲しく、私は砂場のようにご飯を掘って水滴が落ちる部分を空洞にした。「なにしているの」と母が怪訝(けげん)な顔をした。「お米ふやけるし、保温、嫌」と言うと、「もう神経質なんだから! それなら自分で作りなさい!」と怒られた。
 
 自分が神経質なのは、小学校に入った辺りから薄々感じてはいたが、はっきり言われるとそこそこショックではあった。神経質だと断罪されるということは「普通の人はそんなこと気にしないよ」という意であり、「お前は普通ではないのだ」というネガティブな否定も含まれる。言う方はそこまで考えていないとしても、言われた方はそう感じる。けれど、家庭内での神経質行動は、無言で他の人間を無神経だとみなしているんだ、と言われればこちらも返す言葉がない。気になる人と気にならない人で折り合いをつけるのは非常に難しい。
 母の言う通り、自分で米を炊けばいいのだが、家には炊飯器はひとつしかない。そして、実家の台所は母のテリトリーであった。
 
 一人暮らしをはじめ、自分の台所と自分専用の炊飯器を持てたときは本当に嬉しかった。しゅうしゅうと噴きでる炊飯アロマを嗅ぎ、自由の喜びに震えた。米は食べるときに食べる分だけ炊く。炊きあがれば電源を切り、保温はしない。余れば一食分ずつラップして冷凍する。
 幸運なことに、殿こと夫も同じやり方だった。最近ようやく「どうしてご飯を保温しないの?」と訊いた。料理人の殿は「え」と意外そうな顔をして「だって、それ以上おいしくなることはないでしょ」と答えた。
 そうか、とやっと()に落ちた。私は「保温ご飯」が嫌いなのではなく、瞬間、瞬間の美味がなにより好きなだけだった。

第2・4水曜日更新

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著者 千早茜プロフィール

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年「魚神いおがみ」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補となる。著書に『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『神様の暇つぶし』やクリープハイプ・尾崎世界観との共作小説『犬も食わない』、宇野亞喜良との絵本『鳥籠の小娘』、エッセイ集『わるい食べもの』などがある。


北澤平祐プロフィール

北澤平祐(きたざわ・へいすけ)
イラストレーター。東京都在住。アメリカに16年間在住後、帰国しイラストレーターとしての活動を開始。
多数の書籍装画や、花王、東京ソラマチ、渋谷ヒカリエなどのキャンペーンビジュアル、ファミリーレストランCOCO'Sのメニューイラストや、洋菓子のフランセ、キャラメルゴーストハウス、KENZO Parfumsの商品パッケージ等、国内外の幅広い分野でイラストを提供。
オフィシャルサイトwww.hypehopewonderland.com