07 菓子争奪戦

 イラストレーターのU氏と食事をご一緒したときに好き嫌いの話になった。
「あまりないのだけど」と前置きをして、「(いも)だけは楽しくないですね」とその人は言った。わけを問うと、戦時中を思いだすから、と返ってきた。U氏は幻想的な絵を描く、お洒落(しやれ)な紳士だ。戦争と彼のイメージがうまく結びつかなかったが、御年はたしか八十半ば。戦争というものをすこしだけ肌で感じた気がした。
 
 私は芋が好きだが、芋ばかり、もしくは芋しかない状況で育ったら好きでいられた自信はない。アフリカにいた小学生時代、果物といえばいわゆるトロピカルフルーツで、グアバやパパイヤ、パッションフルーツ、マンゴーなんかを食べていた。たまにドリアンやライチも食べた。私はフルーツとは認めないがアボカドを食べたのもアフリカが初めてだった。
 敷地内にバナナの木がわさわさしているエリアがあった。バナナ畑と呼ぶには小さく、バナナ並木という感じだったが、とにかくバナナが採れた。庭師が巨大な房を切り取って嬉々として持ってくるたびに、バナナ三昧(ざんまい)の日が続き、おかげで今もバナナに食指が動かない。パパイヤの木も庭にあったが、ある日、雷が落ちて燃えたので印象が悪い。
 
 食べられないことはないが、食べてもなにか楽しくない。U氏の気持ちは少しわかる。一般的に陽のイメージで使われるトロピカルフルーツだが、あのねっとりした甘さや力強い味を想像するだけでテンションが下がってしまう。日本では安くはないマンゴーを「食べすぎて飽きたから」と言えば贅沢者扱いされるが、「それしかない」環境で育てばどんな高級品でもかすんでくる。食料不足の戦時中の切実さとトロピカルフルーツ過多のアフリカ生活では(つら)さの質がまったく違う。けれど、当時、私は子供で、子供なりの切実さがあった。
 
 アフリカにいた頃はいつも菓子に飢えていた。トロピカルフルーツ以外で手に入る甘味がレーズンとファットブルームをおこし白っぽくなった「キットカット」しかなく、通っていたアメリカンスクールのおやつの時間にいつもがっかりしていた。レーズンなんて菓子じゃない、素材だ。母の手作りの菓子はおいしかったが、おやつというよりは食事に近い感じがした。手作り菓子には過剰さが足りない。菓子は優しくなくていい。級友の「M&M」や「ハリボーグミ」が羨ましく、日本の「きのこの山」や「アポロ」や「ポテトチップス」が恋しかった。
 
 アメリカンスクールの敷地内にはキンダーガーデンこと幼稚園があり、私と妹は最初そこに入れられた。キンダーガーデンの先生は週の終わり、帰っていく子供たちと握手をしてくれた。金の巻き毛がきれいな、がっちりした体格の先生だった。「また来週」と微笑(ほほえ)む大きな手の中にはキャンディが隠されていて、握手をするともらえた。毎週、どぎつい色のキャンディを()めながら妹と迎えの車を待っていた。キャンディは暴力的に甘かった。甘すぎて正直なんの味かよくわからないものもあった。一番記憶に残っているのがチェリー味で、日本のさくらんぼとはほど遠い味がしたし、黒っぽい悪魔的な赤色をしていた。親には与えてもらえない、体に悪そうな味がすごく嬉しかった。
 
 アメリカンスクールに進んでからも、私はキャンディの甘さが忘れられなかった。金曜、クラスが終わるやいなや、全速力で校舎を飛びだし、キンダーガーデンへ走った。ジャカランダの木がならぶまっすぐな道を息を切らして通り抜け、先生を見つけると「ハンドシェイク プリーズ!」と右手を差しだした。先生はいつも受け持ちの子以外にもキャンディを残しておいてくれていた。それでも先生は「おやおや」というような顔をして「アカネ、キンダーガーデンに戻ってきたの?」とじらす。二言三言やりとりをして、最後にはキャンディ入りの握手をくれながら「足が速いね」と褒めてくれる。
 そう、運動が大嫌いで高校の体育の授業はほとんど仮病で休み、今もどんなときでも走ることのない私だが、当時は足が速かった。キャンディを狙う他の子に負けなかった。ひとえに食い意地のおかげだと思う。
 
 アメリカンスクールには季節のイベントがあって、ハロウィンもそのひとつだった。ハロウィンの日は仮装して通学しなければいけなかった。クラス内でも学校全体でもちょくちょくパーティーがあって、ドレスアップしてプレゼントを用意したりゲームを考えたりしなくてはいけない。なんてお祭り好きな学校だ、と思ったが、浮かれた感じはなく、まるでゴミの日には分別してゴミをだすといった感じで、たんたんとイベントを日常に組み込んでいた印象がある。パーティーでの振る舞いも勉強のうちという考え方だったのかもしれない。イベントにはしっかりとルールがあったから。
 
 初めてのハロウィンは、黒髪を生かして黒猫の仮装をした。その日はどの教室にも遊びにいくことができて、先生に「トリックオアトリート!」と言えば菓子がもらえるルールになっていた。先生たち大人は菓子を用意し「トリックオアトリート!」待ちをしていた。ふだんは食べられない菓子をたくさん手に入れられる夢のような日だったはずなのに、へそまがりの私は待たれるとなんだか面白くなく、あまり記憶がない。ピエロの仮装をした妹の、頬にペイントされた涙がきらきらしていて、泣いていないのに泣いているみたいな顔ばかりを覚えている。
 
 ハロウィンよりもパーティーよりも、キャンディをもらうために走っていたときの記憶が鮮やかだ。早めに片付けを済ましてバッグを持ち、ドアにじりじりと近づきながらホームルームが終わるのを待って、力いっぱいに駆けだす。心臓がばくばく(はじ)けそうだった。てのひらに残るキャンディは、私が自分の力で獲得したものだった。手を伸ばして得る菓子は、ルールを守ればもらえる菓子よりも刺激的で、美味しい。
 
 もし、ハロウィンが逆「なまはげ」のように、大人たちを怖がらせなくては菓子をもらえないイベントだったら私は本気で励んだと思う。黒猫なんていう生ぬるい仮装なんかせず、大人たちを恐怖に陥れる作戦を練っただろう。そうして獲得した菓子はきっとすごく美味しかったに違いない。

第2・4水曜日更新

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著者 千早茜プロフィール

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年「魚神いおがみ」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補となる。著書に『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『神様の暇つぶし』やクリープハイプ・尾崎世界観との共作小説『犬も食わない』、宇野亞喜良との絵本『鳥籠の小娘』、エッセイ集『わるい食べもの』などがある。


北澤平祐プロフィール

北澤平祐(きたざわ・へいすけ)
イラストレーター。東京都在住。アメリカに16年間在住後、帰国しイラストレーターとしての活動を開始。
多数の書籍装画や、花王、東京ソラマチ、渋谷ヒカリエなどのキャンペーンビジュアル、ファミリーレストランCOCO'Sのメニューイラストや、洋菓子のフランセ、キャラメルゴーストハウス、KENZO Parfumsの商品パッケージ等、国内外の幅広い分野でイラストを提供。
オフィシャルサイトwww.hypehopewonderland.com