08 「ただいま食事中。」

 出張や旅行はふだん食べられないものに出会えるので楽しいけれど、四日目くらいから心の一部が死んでいくのを感じる。ホテルのモーニングビュッフェで和洋中の料理がならんでいても、深夜のコンビニで加工食品がみっちりつまった棚の前に立っていても、食べたい! 食べよう! という好奇心や意欲がわかず、一瞬ぼうっと立ちつくす。なにか食べたいのに、なにが食べたいのかわからなくなる。まずい、と怖くなり、食べたものを日記に書いたり、スマホで写真を撮ったりする。すると、すこしだけ落ち着く。
 
 自分の住む街に戻り、まず向かうのはスーパーで、買い物籠を持って食材を眺めていると、ばらばらになった脳のピースがはまっていく感じがする。家の台所に立ち、買ってきた食材を包丁で切り、鍋で煮ると、頭と体がすっきりする。もう大丈夫だ、と思う。自分のなにが失われかけて、なにを取り戻したのか、はっきり言語化できたことはないけれど、選ぶのと作るのは大きく違うことがわかる。書いたり撮ったりして記録するのは、すこしだけ「作る」に寄った行為だ。
 
 そんなことを考えたのは、坂口恭平さんの『cook』を読んだからだ。
 (うつ)の治療のためにはじめた料理本である。毎日の食事の写真と手書きのレシピと日記でできている。食欲にかられてではなく、「手首から先運動」のための料理。まずは米をとぐことからはじまり、土鍋で米を炊く。ネットで調べながらおそるおそる。味噌汁(みそしる)と卵焼きを作り、完成した朝ごはんの写真を撮り、感想を書く。昼はサンドイッチ、夜はステーキを焼く。そして、明日の朝昼晩の献立を考える。それを、一ヶ月続けた記録だ。
 
 私は鬱の診断を受けたことはないし、料理で鬱が治るかどうかは定かではない(本の中でも治るとは書いていない)。ただ、『cook』を読んでいると、一人の人間が食べることに向き合い、自分の心や体を探りながら手を動かして食事を作るという単純な記録に、生きることはなにかと考えさせられる。仕事や恋愛や対人関係……人生の悩みは多く複雑に思えるけれど、本当はもっとシンプルなのかもしれない。というか、自分で自分を養って生きていくってそれだけですごいことなんじゃないか、と不思議な肯定感がわいてくる。
 しかし、本を閉じて自分の台所に立つと体が思いだす。言語化していなかっただけで、料理は小さな肯定感や達成感をくれる。生活の中で習慣になっている行為には、自分を保つ要素が隠れていることに気づく。
 
 リニューアルする前の、雑誌『クウネル』に「ただいま食事中。」というコーナーがあった。さまざまな職種の人が自らの食事を写真に撮り、日記形式で載せている。見開きに三十枚の写真。カレーが好きでスリランカ人と結婚したデザイナー、飲兵衛(のんべえ)の雑誌編集者、肉ばかり食べているスタイリスト、デザイン事務所のおやつ、偏食のカメラマン、ミュージシャンの常備菜、舟屋に住む蔵人の魚三昧(ざんまい)の晩酌……毎月一人、登場する。知らない人たちの食卓を眺めるのが大好きだった。カリフラワーのクミン炒めや茄子(なす)揚げびたし麺など、自分の食卓に取り入れたおかずもある。
 でも、ほとんどは眺めて終わる。忙しい買いつけ中の菓子パンだけの昼食や菜食主義の人のたんぱく質の摂り方、飲み過ぎでサプリメントと胃薬だけの朝もあったりする。食を通して、生活がかいま見えるのが面白かった。殿こと夫もこのコーナーが好きで、別々に読んでは「先月号の○○さんだったら、こういう料理はしなさそう」「こないだの○○さん、人参まるかじりだったね。ちょっとやってみたい」とか、まるで共通の知人のことのように食卓の話題にのぼった。『クウネル』のバックナンバーはすべて取ってある。ときどき読み返すけれど、一番よく見るのはこのコーナーだ。
 
「ただいま食事中。」がなくなった喪失感を埋めてくれたのはツイッターだった。食卓の写真をアップする人がいる。自分がつぶやくだけで、あまり人のツイートは身を入れて読まないのに、食事写真をよくのせる人だけは朝昼晩と追ってしまう。パートナーとの朝ごはん、息子に作ったお弁当、初物の秋刀魚(さんま)、ライブ前の甘いもの、お疲れビール、遠くに住む親の介護にいく日の新幹線ごはん、特別な日もそうでない日もアップする人にだんだん親近感がわいてくる。実際に一緒に食べているわけでもなく、連絡をして会ってみようとも思わないのに、この人がこれからもおいしく食べて生きていってくれたらいいな、とうっすら願ってしまう。
 
 前にイベントでの質問に「SNSに食べ物の写真をのせる意味がわかりません」というものがあった。それにうまく答えられなかったことを、たまに思いだす。私は笑いにしてごまかしてしまったのだ。
 本当はこう言いたかった。する人はするし、しない人はしない。見たい人は見ればいいし、見たくない人は見なくていい。どちらが正しいわけでも間違っているわけでもないし、理解し合う必要もない。でも、言葉にすると突き放しているように捉えられるだろうから言わなかった。
 食べることに意味がないように、食の写真をSNSにのせることに意味なんてない。『cook』のように目的からはじまる食の記録もあるだろうけど、こと食に関しては意味という言葉はあまりそぐわない気がする。
 
 みんな、食べている。当たり前のことだけれど、食べなくては死んでしまう。「食べている」を意識するのは、「生きている」を意識することにつながる。そこに意味を求めると、生の意味を考えることになる。そんな重いこと、毎日はできない。しなくてもいいと思う。身体の求めるままに手を動かし、食べる。それだけでいい。
 ただ、SNSを見て、今日も誰かが食べている、と思うとき、今日も誰かが自分とは違う生を営んでいると知る。この世には無数の生活がある。そして、どれも同じではない。すごく嫌なことがあったとき、仕事がうまくいかないとき、自分が世界で一番不幸だとくだらない妄想にとらわれるとき、違う誰かのちょっとした生活を知ることは小さなガス抜きになる。少なくとも、私はそうだ。

第2・4水曜日更新

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著者 千早茜プロフィール

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年「魚神いおがみ」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補となる。著書に『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『神様の暇つぶし』やクリープハイプ・尾崎世界観との共作小説『犬も食わない』、宇野亞喜良との絵本『鳥籠の小娘』、エッセイ集『わるい食べもの』などがある。


北澤平祐プロフィール

北澤平祐(きたざわ・へいすけ)
イラストレーター。東京都在住。アメリカに16年間在住後、帰国しイラストレーターとしての活動を開始。
多数の書籍装画や、花王、東京ソラマチ、渋谷ヒカリエなどのキャンペーンビジュアル、ファミリーレストランCOCO'Sのメニューイラストや、洋菓子のフランセ、キャラメルゴーストハウス、KENZO Parfumsの商品パッケージ等、国内外の幅広い分野でイラストを提供。
オフィシャルサイトwww.hypehopewonderland.com