09 金針菜、こわい

 夏の終わりの頃だ。水餃子を食べにいったとき、懐かしい再会があった。
 それは豚肉と木耳(きくらげ)と共に煮込まれていた。そう、人ではなく食材である。ひとくち食べて、「あ、これ知ってる!」と思った。声にだしていた。友人が「え、なになに、それってなんなの?」と食べたことがあるはずなのに言った。「わからない。けど、知っている」私はわしわしと食べた。その料理は木耳が主役で、私が知っていると思ったものは茶色く、へろへろしていてあまり存在感がなかった。
 
 メニューを見ると「金針菜」とある。キンシンサイ……? なんとなく聞いたことがあるような、ないような。金針菜を使ったサラダっぽいものもあったので、そちらも頼んでみた。胡麻油で()えられた金針菜は、煮込みよりは歯ごたえがはっきりしていたが、「知ってる!」という衝撃はなかった。ただ、おいしいな、と感じた。舌よりも身体が、これは好きだ、と言っていた。ときどきそういう食べものがある。予想通り、次の日の体調はすこぶる良かった。
 
 食エッセイなのに内臓の話が多くて申し訳ないが、自分にとっての体調とは、ほぼ胃腸のことなのではないかと思う。胃腸の調子が良いと、身体はしゃきしゃきするし、顔色も血流も自然で、睡眠の質すら向上する気がする。反面、胃腸の調子が悪いときは、背中をまっすぐにすることすら難しいのでなにからなにまで駄目になる。チョコレートやケーキやパフェといった甘い嗜好品(しこうひん)たちは舌も喜ぶし、脳は昂奮(こうふん)するが、身体はというとむっつり押し黙っている。拒否はしないが「ええ、ええ、好きになさいませ。どうせお食べになるんでしょう」と倦怠期(けんたいき)の女房みたいな皮肉っぽい諦観を示される。胃腸に良いものを食べると、身体は「そう、これ! ああ、茜、素晴らしいよ!」と陽気な外国人スポーツコーチのようにオープンになる。
 
 偏屈な私だが、身体の声にはわりと素直だ。さっそく金針菜を探しにいった。近所のスーパーにはなく、高級スーパーの野菜と乾物コーナーを探す。ない。デパートに行って()いてみるも「それは……なんですか?」と怪訝(けげん)な顔をされる。二軒目の高級スーパーにもなく、この世に存在するのか不安になって検索すると、ネット販売のものを見つけた。ポチッと購入した瞬間、中華食材コーナーに発見してしまう。すぐに食べてみたかったので見つけた分も買い、結局、大量の金針菜がストックされることになった。
 
 煮物と炒め物とスープを作ってみた。改めて家で食べると、やはり「知っている」感じがびりびりする。特にゴボウと油揚げと一緒に炊いた甘じょっぱい煮物に懐かしさを覚えた。体調(胃腸)もとても良くなる。ただ、下ごしらえにちょっとだけ手間がかかる。金針菜は生もあるようだが、乾燥のものしか手に入らなかった。水で戻して、ぎゅっと絞り、端っこの固い箇所を切り取ってから煮たり炒めたりする。この行程は初めてした感じがあった。ということは、実家で調理されたものを食べていたのだろうか、と思い母親に訊いてみた。
 
「記憶にない」という答えだった。家族も「金針菜なんて知らない」と言う。じゃあ、どこで食べたのか……。両祖父母の家は遠かったので頻繁に食事を共にしてはいなかった。金針菜の煮物は滋味深く、ひたすら茶ばんでいて、家の惣菜(そうざい)として食べていた感じがある。一体どこで? 余所(よそ)のご飯を苦手とする私がどこの食卓で食べていたのか。そもそも記憶があるといっても、映像としてではなく、ただ身体が知っているだけなのだ。記憶は頭と身体、どちらに宿るのか?
 
 もうひとつ気になることがある。金針菜の見た目は太めの(わら)みたいな感じである。金色というか枯れ草色だし、針にしてはふくらみがある。戻したものを噛むとぎゅっと歯が食い込み、袋状になっていることが感触で知れる。菜というから草だろうと思っていたのに、なんとユリ科の植物の(つぼみ)であった。咲くと鮮やかなオレンジ色のユリになるようだ。切り落としていた固い部分はがくに当たるようだった。
 私にとって花食は禁忌だ。ジビエでもフォアグラでも食べるが、花を食べることに罪悪感がある。花は咲いて目の栄養になるものだ。それ以前に、花は生殖器官だ。いつか実をつけるものなのに、結実する前に食べなくてもいいじゃないか、と思ってしまう。じゃあ、実ったものを奪うのは酷じゃないのか、と言われると悩む。こうやって悩ませられるのが嫌なのかもしれない。とにかく、花は避けたいと思ってきたのに、「懐かしい」と蕾をわしわし食べているとは何事か。
 
 金針菜に恐怖を感じた。知らずに禁を破っていたことにも、立証されないあやふやな記憶にも。金針菜に、というより、自分に。こうだと信じていた自分が自分ではなかったかのような不安。中学の卒業アルバムをひらいたら、自分の名の上にまったく知らない人間が載っていたかのような不気味さ、とでもいえばいいのか。
 
 しかし、金針菜は美味しい。食べるたび、身体は喜んでいる。悩んだ結果、私は金針菜を「前世での好物」ということにした。前世などという単語が私の人生に登場するのは、小学生高学年のときに級友と嫌々、こっくりさんをしたとき以来だ。級友たちはやけに前世のことを訊いては一喜一憂した。前世なんて関係ないじゃない、と私はただただ白けていたが、ようやくわかった。説明のつかないことは前世まかせにしておけばいいのだ。
 
 そうやって落ち着きを取り戻し、乾物棚に金針菜が常備されるようになった頃、ふと思いだした。葬り去りたい黒歴史だが、大学生のときに私は絵を描いていた。完成させると、絵の下方に小さなサインを入れていたが、それが蕾のマークだった。まさか……あれ、金針菜だった……? 私、金針菜に寄生されている? 昔の自分は確かに自分であるのに、なんの花の蕾だったかは答えてはくれないのだった。金針菜、こわい。

第2・4水曜日更新

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著者 千早茜プロフィール

千早茜(ちはや・あかね)
1979年北海道生まれ。小学生時代の大半をアフリカで過ごす。立命館大学文学部卒業。2008年「魚神いおがみ」で小説すばる新人賞を受賞しデビュー。同作で泉鏡花文学賞受賞。13年『あとかた』で島清恋愛文学賞受賞、直木賞候補。14年『男ともだち』が直木賞候補となる。著書に『西洋菓子店プティ・フール』『クローゼット』『神様の暇つぶし』やクリープハイプ・尾崎世界観との共作小説『犬も食わない』、宇野亞喜良との絵本『鳥籠の小娘』、エッセイ集『わるい食べもの』などがある。


北澤平祐プロフィール

北澤平祐(きたざわ・へいすけ)
イラストレーター。東京都在住。アメリカに16年間在住後、帰国しイラストレーターとしての活動を開始。
多数の書籍装画や、花王、東京ソラマチ、渋谷ヒカリエなどのキャンペーンビジュアル、ファミリーレストランCOCO'Sのメニューイラストや、洋菓子のフランセ、キャラメルゴーストハウス、KENZO Parfumsの商品パッケージ等、国内外の幅広い分野でイラストを提供。
オフィシャルサイトwww.hypehopewonderland.com