09 タエコと多恵子、亡命ふたたび

 現実の皆代多恵子と、小説のなかのタエコ。
 それまで像を重ねていた二人が、ついに離れる。分岐を別々の方向へ進みはじめる。
 物語のなかではタエコが彼のもとを去った。この先はどうなるのか――
 かろうじて書き継いではいたけれど、私は悩みつづけている。この物語をどこに向かわせたらいいのか、終着点はおろかその道筋すらも見えていない。たとえばヴンダーカマー文学賞に応募する他の小説家志望者たちは、そういうのをすべて見通したうえで執筆を進めることができているんだろうか。そしてまた、多恵子とタエコをこれ以上、同期させっぱなしにしておいていいんだろうか。賞の主催者たちが、選考委員が待っている小説から遠ざかるんじゃないのか。
 私、ものすごく意識してますね、賞。
 だけどそこは、目標や締切があったほうが書けるから。
 ここまでのところ『キスカム(仮)』は、それほど間違った文章を継いできてはいないはずだ。それでも書きだしのブーストは失われ、執筆はあきらかに迷走期に入っていた。そんなときに一本の電話が、私にとっては確実な助けになってくれたのだ。

 

 あなたは変わらないわね、とその人は言った。私たちは鷹ノ巣の甘味処でひさしぶりに再会した。窓ぎわの座席からは、店の中庭のきれいな藤棚が見渡せた。剪定(せんてい)することで花期を長引かせているらしい。薄紅がかかった(だいだい)色の太陽が沈みかけて、雲ひとつない西の空が(あかね)色に染まり、垂れさがる紫色の花と溶けあうようなコントラストをなしていた。
 通っていた小説講座で、ゲスト講師がこんなことを言っていた。原則としてストーリーの進行には因果関係がなくちゃいけません。できるかぎり〝偶然〟のなりゆきは避けなくちゃいけません。たまたま問題の解決方法に思いあたるとか、探していた人物とばったり出くわすとか、そういうことがつづくと小説はたちまち作り物めいてしまう。だからうまく必然の鎖をつなげましょう。小説のなかでの偶然は二度も三度も起こらないと心得ましょう――だけど私たちの現実ではしばしばそういうことが起こる。いくつかの偶然が重なって、天の配剤と呼びたくなるようなことが起こる。
 私にとって野島さんとの再会はそういう出来事のひとつだった。このところしきりに思い返していたその人から、ずっと会っていなかった旧友から数年ぶりに連絡が来るなんて。しかも彼女は外見の印象がけっこう変わっていて、
「アゴタ・クリストフ? そんなこと言うのは多恵子さんぐらいよ。普通はハンガリーの作家に似てるなんて言われないわよ」
「だけどコンタクトじゃなくなってるし、寄せていってるのかと」
「寄せない寄せない。読書や書きもので根をつめすぎちゃったのか、結膜の血管が黒目のほうに入ってきちゃってさ、困ったことになったからコンタクトはやめたのよ。だけど変なことを気にするのね、作家の容姿なんてあたしはそんなに意識しないけどね」
 私にとっては特別な作家なもので。向かいの席で抹茶ババロアを食べている野島さんは眼鏡派になっていただけでなく、髪を切って顔もこころもちふっくらして、ほとんどアゴタ・クリストフのそっくりさんだった。亡命づいていたところでこの奇遇はどうだろう、高みから小説の神様でも見てるんじゃないかと思えてしまう。
現在(いま)はね、奄美(あまみ)大島にいるのよ」
 親しかった知人の葬儀で、ひさしぶりに飛行機に乗ってやってきたという。故人が大館(おおだて)在住だったので、私のことを思い出して北秋田にも立ち寄ってくれたのね。
 おしゃべりをしながら、小説講座で()ったころのことを思いかえす。ひとまわり年長の野島さんは受講歴もずっと長くて、そのころはひっつめた白髪まじりの長髪を年齢にしては高めの位置でシニヨンに結っていて、まっすぐな背中や首筋がとてもきれいに見えた。ご主人は広い農地を持つ米農家で、民宿の経営もやっていて、そこの女将(おかみ)の仕事を娘さんに譲った野島さんは、読書好きが高じて作家を目指し、習作を書いては講座で評を仰いで、よく書けたものは公募の賞に送っていた。
 私は正反対の、熱心で真面目(まじめ)な受講者だった。私たちはなぜかウマがあって、野島さんは私とのおしゃべりやメールの文章、話していてもふいに自分の妄想に入りこんでしまう傾向もひっくるめて小説家の資質たっぷりと評した。「あなたも書いてごらんなさい」と私に執筆を(すす)めたのは、後にも先にも彼女だけだった。「あなたなら自分のことを掘り下げるだけでも、たくさんの人が(たの)しめるものを書けるよ」
 あれからもう十年近くが経つ。私はなんだかんだで書かず、野島さんも入賞することなく、それでも講座の外でも五年ほど親しく付き合っていた。その後、野島さんは農地を売ってご主人と南に移住することになり、幾度かの転居によって年賀状のやりとりもうやむやになっていた。だけどたとえ連絡をとらなくなっても記憶から消えない人、相手が(おぼ)えていてくれなくても自分の心からは追いだすことのできない人。そういう相手は人生に何人もいるものじゃない。私にとって野島さんはそういう人だった。
「あたしはいつか書きだすと思ってたよ」と野島さんは言ってくれた。「あたしも書いてる、いまは奄美が舞台の恋愛小説ね。最終候補まではなかなか残れないけどね。あたしもそのヴンダーカマー賞に応募してみようかしら」
「だけどやっぱり、簡単ではないですね。これって私小説なのかエッセイなのか、エンターテイメント小説の定義に含まれないような気もするし」
「気にしないで書いたらいいのよ、純文学かエンタメか、みたいなことって最近はあんまり重要視されなくなってるんだから」
「だけど、話の進めかたが違ってくるような気がするんですよね」
「ちゃんと読者に読まれることを考えてるわけね、えらいえらい。あたしなんてそこまで気を配れないというか、趣味や自己満足に走っちゃうからいつまでもだめなのよね」
「それでいったら、私のも自己満足ではあるかも。どこでどんなふうに書くか、って重要だと思いません?」
「ほほう、詳しく聞きましょう」
 こころおきなく小説談義ができることで、野島さんはあきらかに浮かれ、高揚していた。この人は昔からぶれない。とにかく小説を書くのが好きで、小説の執筆の話になると少女コミックのように瞳を(きら)めかせられる人だった。
 私のほうでも、小説を書きはじめたからこそ野島さんにまた会えたような気がしていたので、彼女につられるかたちで、自分がいかにして〝亡命〟を望むにいたったか、書いている『キスカム(仮)』がどんな小説なのか、他人(ひと)さまに初めて聞いてもらうことになった。私小説か半自伝のようにタエコを描いていくことで、自分がどうするべきかを模索するような執筆であることを明かした。
「亡命作家ね、そういう分類があるとは知らなかった」野島さんはますます前のめりになって、「なるほどね、アゴタ・クリストフを始めとするそういう作家たちは、お国の出版事情からも母国語からも離れてそれでも書かずにはいられない。そのぶん作品も腰が据わるわけね。人はなぜ書くのか、みたいな話にもつながる問題だわね」
「そうなんですよ。私の場合は〝亡命〟じゃなくて〝家出〟あつかいされちゃうんだけど」
「どうして今ここから離れたいのかっていう深刻度が重要なんじゃない。多恵子さんは? 旦那さんとのあいだに何があったの」
 あのこと(・・・・)についてだけは、臆面もなくあらいざらいを話すのはためらわれたので、オブラートに包んで、遠まわしに、生々しいディテールは端折(はしよ)らせてもらった。
 お察しください。けっこう重たい人生相談まがいになったにもかかわらず、野島さんはうとまずに話を聞いてくれた。私がぼかした細部をそれ以上は追及せず、抹茶ババロアの(さじ)()めながら鷹揚(おうよう)にうなずいて、
「だったら、奄美にいらっしゃいよ」
 いまなんて? 奄美にいらっしゃい、と野島さんは二度も言った。
 私に向けられた眼差(まなざ)しに、冗談や社交辞令のあやふやさはなかった。
「そこまで自分の気持ちがわかってるなら、亡命、けっこうじゃない。あたしのところはペンションをやってるから、働き口なら紹介できるし」
「だけどさすがに、そこまでご迷惑はかけられません」
(よど)みに浮かぶうたかたは、って言うじゃない」
「はい?」
「知ってるでしょう。――淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし」
 方丈記でしたっけ。野島さんはその一節をすらすらと(そら)んじた。あらためて文字列として思い浮かべると、とても美しい文章だ。こんな文章を一文でも書けたらと思うと(まぶた)が熱くなり、ちょっと泣きそうになった。
「迷惑でもなんでもない。そういう人はけっこういるわよ。うちでも結婚がたちゆかなくなって奄美に来た女性が二人ほど働いてる。駆けこみ寺っていうんじゃないけどね、多恵子さんならあたしは大歓迎だよ」
 眼鏡の奥に星屑(ほしくず)をちりばめて、野島さんが手向(たむ)けてくれたひとつの選択肢は、具体性すらともなって蠱惑(こわく)の響きを帯びた。
「あたしとちがってあなたは、新人賞が欲しいとか、小説家になりたいとかいうんじゃなくて、過去を見つめて生きかたを(ひら)くみたいに、新しい自分を探すみたいに書いているのよね。迷いながら書くのは苦しいときもあるでしょう。そういうことなら居場所を変えてみるのは有効よ。思いたったことは行動に移すのがいい」
 野島さんは野島さんだ、どんなに常識外れなことでも検討する価値があれば真剣に検討してくれる。だからこそ私はこの人に打ち明けたのだ。ここというどこかを見さだめられずにいた私に、数年ぶりに会った物書きの友人が〝亡命〟の目処(めど)をつけてくれるなんて、現実は小説よりも奇なりというしかなかった。
「迷走してるって言ってたよね。ひょっとしたらあなたが動かなくちゃ、小説のなかのタエコさんも動かないのかもしれないわよ」
 そうかもしれない、野島さんの言葉には(うなず)けるものがあった。
 私の現実は、小説と分かちがたく結びついている。

 

 響一とは、冷戦がつづいていた。
 おたがいに話さなくちゃならないことしか話さない。
 もちろんベッドは別々。こんな(とし)なんだからそれも普通なんじゃないかと思うけど。
 響一もいろいろと考えているようではあった。息子とは電話を通じて、私のことばかり話しているらしくて、
「もうさぁ、いいかげんにお父さんとちゃんと話してよ」
 私にかけてきた電話でも開口一番、批難するような調子で叫んだ。
「お母さんのほうが避けてるって。部屋に籠って何か書いてばっかりいるって」
「ホットラインがつながってるのね。全部、筒抜けなのね」
「否定しないんだ。もうなんなんだよ、何が気に入らねえわけ」
 橙也は橙也でやっぱりプレッシャーを感じているみたい。それはそうだよね、自分が実家を出たとたんに両親の関係がぎくしゃくして、もしかしたら帰る実家がなくなっちゃうかもと危惧すればたまらなくもなるだろう。
 もちろん息子を大学に入れるまで育てあげたことは、私の人生でいちばんの達成だ。響一も家庭を顧みない父親ではなかったし、橙也がいるころは家族が、助けあい反目しながらも進んでいく親子や夫婦がちゃんと機能していた。三位一体のバランスが崩れた、というのではないけど、橙也が実家を出たことはたしかに変化のきっかけではあった。
「ラジオの人生相談にお便りでも書いてんの」
「なにそれ、そういうんじゃないから」
「でなかったら〝私の人生〟をふりかえる手記とか」
 ぎく。橙也のあてずっぽうがそんなに的を外していなくて、いやいや、と(かぶり)をふった。私が書いているのは小説だ、自伝や手記とは違うものだ。
「図星なわけ? そんな地方のおばさんの退屈な手記なんてだれが読むんだよ」
「なぁにそれ、失礼なこと言わないで。手記なんか書いてないし」
「なんでもいいんだよ、おれは。父さんと仲良くやってくれたら」
「母さんには、母さんのやりたいことがあるの」
「だからそれもやりながらさ。仲良かったでねえの、おれが高校になっても父さんと母さん、出かけにもよくキスとかしちゃってさ。恥ずかしくはあったけど、おれはまあ険悪なよりはいいかと思ってたんだから」
 そんな時代もありました。息子は勘がいいのかなんなのか、いちいち私にとっての核心をかすめてくる。気を()んでいる橙也にも、響一にも、他の親戚や義弟夫婦にも私は何も嗅ぎとらせないようにふるまいつづける。
 盛二や亜里沙さんは、私が別居を望んでいると思っているみたい。離婚するまでの覚悟はないがその手前まで来ていると。それは間違いというわけでもない。たしかに協議離婚における調停や手続きを思うと気が遠くなるし。だけど県内でもどこでもとにかく別居できればいいというわけではなかった。できることなら未知の土地で、真新しい環境で自活がしたい。それでいくと奄美大島なんて申し分なかった。
 考えに考えぬいても結論は変わらなかった。再会してから一週間がすぎたころに野島さんにメールを送った。期限なしでぜひ行きたいと伝えると、すぐに野島さんは、住所や雇用条件など最小限の伝達事項を添えたうえで「待っている」という旨の返信をくれた。私の(はら)はいよいよ決まっていた。
「なんもなんも、ちょっくら様子見にさあ。まんず元気ねえ、って亜里沙も心配してるしよ。おれんとこの親方のかみさんがおなじだったって。イソフラボンってのが効くってよ。多恵子さんも大豆どうよ大豆、大豆イソフラボン」
 盛二はあいかわらず更年期障害でひとくくりだ。なにかと用事を見つけて顔を出すのは監視の一種なのか、暗に警戒網ができているんじゃないかと(うたぐ)りたくなる。事前に荷物をまとめたり、航空券を手配するだけでも勘づかれてしまいそうだった。
 だけど今度こそしくじりたくない。やっぱりここは、財布だけ持って買い物に出るような日常の延長線で、蒸発のよくあるステレオタイプで行くしかない。その日がめぐってきたら、ターミナルに行って当日の航空券を買って、なんならつっかけサンダルで奄美大島行きの飛行機に乗るのだ。 
 大館能代空港から奄美行きの直行便はないので、鷹ノ巣駅からJR奥羽(おうう)本線とバスを乗り継いで盛岡まで行き、花巻(はなまき)空港から伊丹(いたみ)で乗り継いで奄美を目指すことにした。私のその年の夏は、あくまでも普段通りにすごして、もう大丈夫、突発的な行動におよんだりしないと家族を安堵(あんど)させることに費やされる。(しゆうと)の用事には同伴し、響一の友人たちとの集まりも欠席しなかった。そのあいだも蝸牛(かたつむり)なみの速度ながら一行ずつ書き進めた。干からびた唇を舐めながら『キスカム(仮)』の、次のシークエンス、次の展開にはいっきに視界が(ひら)けるような一文が書けるんじゃないかと期待して、こんなふうに明日の奇蹟(きせき)を信じつづけなきゃならないのが小説家なのね、ふてぶてしさと真摯な祈りに裏打ちされてなくちゃならないのねと得心させられた。

 

 そしてついに、決行の日がやってきた。
 九月の暮れ、響一は出張で外泊する予定になっていた。私はこの機を逃すまいと、最小限の衣類とマックだけをバッグに入れて、奄美までの経路を念入りに確認した。
 今度こそしくじらない。私は()つ。ここ数日のやりとりがいろいろと思い出されたけど、橙也や亜里沙さんには向こうに着いてから電話で事情を話せばいい。(はや)る気持ちをおさえて玄関に向かいかけたところで、廊下から和室にいる舅の宗一郎の背中が見えた。この人にだけはひと声かけていこうか、二十年も世話になった義理の父に、と思いかけたそのときだった。
「……ああっ」
 私の足音でこちらを向きかけた舅が、膝からくずおれた。片手で畳に両手をついて、もう一方は虚空(こくう)を泳いだ。軽い眩暈(めまい)でもおぼえたのかと思ったが、次の瞬間には、義父の尻が落ちて激しく畳を(たた)いた。
「お義父(とう)さん、どうしたんですか!」
 私はあわてて舅を抱き起こした。瘦せた体が反りかえって、後頭部を押さえていなくては首がぐらぐらと据わらなかった。
「お義父さん、お義父さん!」
「はい」
 薄く目を開けたけど、焦点がさだかじゃなかった。開いた口腔(くち)のなかで(あえ)ぐ舌が巣に戻る(ねずみ)のように喉の奥にひっこんだ。何かを言おうとしていたけど、呂律(ろれつ)が回らず、言葉もつづかない。「……どさ?」どこに行くのか、と私に()いていることぐらいしかわからなかった。眼球の白目に奇妙な血の斑点(はんてん)ができていた。
「お義父さん、救急車、救急車すぐに呼びますからね」
 宗一郎は病院に担ぎこまれ、即入院となった。すぐに響一にも盛二にも、近隣在住の親戚たちにも連絡がまわって、検査の結果を待つ病院のロビーで私と合流した。血栓が脳の血管に詰まっていた。三日ほど意識不明の状態がつづき、四日目に昏睡(こんすい)から覚めたものの数日はうめくばかりで話すことができず、一週間ほどのちに恢復(かいふく)が見られたけど、人の名前や固有名詞が出てこなくなり、病室を見舞う私たちの名前も言えなくなった。脳梗塞は(とし)も齢だった舅の言語野と運動野を損ねて、起立や歩行にも失調がおよんだ。退院するまでは五ケ月ほどかかりそうで、亜里沙さんたちとローテーションを組んで、食事や排泄(はいせつ)やリハビリの介助をしなくてはならなかった。
「発症から早くに病院さ来られたんで助かったって。多恵子さおらんかったら親父(おど)は助がらなかったべさ」
 その日、婚家を去ろうとしていたんだとは言えなかった。
 病室の窓の外が、灰色を濃くしてやがて闇となる。周囲の色を変えていく時間と、義父は命の陣取り合戦をしているようだった。
 粗塩のような(ひげ)をまぶした義父はベッドに横たわり、睫毛(まつげ)にたまった目脂(めやに)の膜の向こうから、私をじいっと見つめていた。
 そのままずるずるとひと月、ふた月がすぎて晩秋となり、私はずっと先延ばしにしていた野島さんへの連絡を決心するにいたった。
「ごめんなさい、奄美、行けそうにありません」
 私の視界は()れていた。形のはっきりしない涙が(にじ)むようにあふれていた。翌朝の味噌汁(みそしる)に使うつもりの浅蜊(あさり)(おけ)のなかで水を吹いていた。これでまたとりとめもない、昨日と変わらない明日がやってくる。私の亡命はこうしてまた失敗した。

 

 


 綿の花のなかには、種があります。
 正しくは、種に生える毛が綿ということになります。
 すなわち綿とは、子孫を保護する覆いなのですね。
 アオイ科なので、ハイビスカスやフヨウにも似ています。ただし花が咲くのは一日だけ。花が実となり、その実がふくらんで(はじ)けると、なかから綿毛が顔を出します。これがコットンボールです。弾けた綿を摘んで、柔らかくつまんで引くときれいに採集できます。そのひとつひとつを、タエコは籠に入れていきます。


 予想もつかないことばかりが起きます。明日のことすら何もわかりません。
 恐れや戸惑い、恐怖に満たされた夜をいくつも越えて、タエコは移動をつづけます。
 あてもなく電車に乗り、終点からバスにまた乗って、降りた停留所で身を寄せられるところを探しました。通りすがった農業組合の事務所で貼り紙を見て、オーガニックコットンを栽培する圃場(ほじよう)に身を寄せました。
 栽培されているのは、日本の在来種である茶色い和綿でした。農薬や化学肥料を使わない綿を育てて、収穫されたものを製品化して販売しています。圃場のそばの二階建てのプレハブには、運営主体の組合の事務所が入っていて、代表を務める圃場主がその二階で寝泊まりすることを許してくれました。おなじような境遇の女がほかにもひとりいて、それはアラブ系のマリアという女で、言うなればその綿花圃場が、タエコたちのセーフハウスになったのです。
 わたしはこの圃場というシェルターに救われた難民だ、とタエコは思います。マリアがいたからそんなふうに感じるのでしょうか。それでも毎日の綿摘みが、綿から種を取り除く綿繰りの作業が、寝起きする部屋のところどころ剝げた壁紙や(ふる)い種火式の瞬間湯沸器が、ときおりやってくる綿摘み体験の参加者や、圃場のひとたちとの交わりがタエコの救いになってくれました。
 一年がすぎ、二年がすぎたころです。彼が追ってきます。
 彼のもとを離れてしばらくたって、歳月がすぎたことで油断しました。居所がばれることを警戒して、綿摘み体験のガイドの役はやらないようにしていたのが、体験者のブログに上げられた写真に写りこんでしまっていたのです。
 彼は本職の探偵まで雇って探させていたようです。その日の綿製品の出荷を終え、朝からの忙しさでぐったりして戻ってきたところで、事務所に彼の姿を見てとめて、タエコはそのへんに落ちている棒で背中を殴られたような驚きをおぼえます。
 とっさに建物の外にしゃがみこみます。「どうしたの」とマリアが寄ってきたので、
「彼が来てるのよ」
 建物のなかの男を指差しながら答えます。
(うそ)、それはまずいね。オーライ、タエコは隠れてて。あたしたちで相手するから」
 身を(かが)めたまま移動して、綿花畑に隠れます。ひょっこり顔を出さないように注意して、敷いた茣蓙(ござ)の上にあおむけに寝そべります。
 夜になっても、マリアたちは呼びにきません。タエコは戻りません。ナップサックに入れてあったバナナを食べてしのぎます。星がきれいでした。夜空のまたたきのひとつひとつが綿花の種のようにも、命の営みのようにも感じられました。できるだけ何も考えないようにして、横になっているうちにそのまま寝入ってしまい、タエコは夢を見ました。
 こんな夢でした。
 天もなければ底もない空間を、数えきれない綿毛とともに、ひとりの女が墜落しています。その女の股からは赤ちゃんが出てきて、その赤ちゃんもやっぱり女です。そしてその股からも女の赤ちゃんが出てきて、その股からも女の赤ちゃんが出てきて、そのすべてがへその緒をつなげたままで延々とつづいていくのです。女、女、女、女、ひしめく綿毛のなかで女たちのどろどろと赤らんだ体の色が際立ちます。気がつけば上下に果てがなくなっていて、息むような声と、かん高い泣き声がつらなるなかで、連鎖のどこかにいつしかタエコ自身も含まれています。恐れおののきながらも彼女は、ひとつの発想をよぎらせます。このつらなりをどこまでもさかのぼっていけば、起源のイヴにだって逢えるかもしれないと――


「もういない、追いかえしたよ」マリアが呼びにきたのは明け方でした。「あの男はひどいね。あんな男のところに戻らないほうがいいよ」
「あのひと、マリアにもなにかひどいことを言った?」
「こんなところにいる女は、みたいなことね。外人というより女が敵みたい」
「ごめんなさい、いやな思いをさせちゃったみたいね」
「どこにもいるよ、ああいうマッチョは。気にしない気にしない」
 それはあの日からわかっていたことです。公然とキスをした女と女のカップルに向けられた異物を見る目は、揶揄(やゆ)や中傷は、めぐりめぐってタエコにも、いや、むしろタエコにこそ突きつけられたものでした。
 あの日のことを思いかえして、キスそのものがわからなくなって、迷走し、自分の心の動きを見さだめられませんでした。名づけがたい感情に自分なりの名づけがしたくて、わたしは長い旅をしているのだとタエコは思います。

 

 

 書いている世界を離れれば、私は潜水艦のように現実に浮上しなくちゃならない。
 あるいは現実のほうが、目の前にざばあっと浮かびあがってくる。
 亡命の道が(とざ)されたいまとなっては、私はこの現実で、向きあうべきものに向きあうしかなかった。他でもない響一と、双翼を藻にからめとられた水鳥のような時間と――
 そんなふうに気負いこんで、すこしずつ覚悟を固めていた矢先だった。見るだに(ほど)くのが億劫(おつくう)な、からまりすぎた糸玉のような情のもつれを、すっぱりと断ち切ってくれる事件が出来(しゆつたい)したのだ。

 
 
 
(10につづく)
 

Animated GIF/MOTOCROSS SAITO

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著者
真藤順丈プロフィール

真藤順丈(しんどう・じゅんじょう)
1977年東京都生まれ。2008年『地図男』でダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。同年『庵堂三兄弟の聖職』で日本ホラー小説大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で電撃小説大賞銀賞、『RANK』でポプラ社小説大賞特別賞をそれぞれ受賞。2018年刊行の『宝島』で山田風太郎賞と直木賞を受賞。他の著書に『バイブルDX』『畦と銃』『墓頭』『七日じゃ映画は撮れません』などがある。