03 決死のダイブ

 あいつらには悪いが、〝協定〟は反故(ほご)にさせてもらった。
 夏のあいだは書きつづけ、秋になってある賞の最終に残ったとの一報があった。
〝協定〟を無視したのは、御毛文雄の名前ではどうしても筆が止まるからだ。ヴンダーカマー文学賞への応募にしても(はら)が決まらないままだった。
 地方文学賞に絞りこんで書いたひと夏、警備のバイト以外では他人に会わなかった。ユリのところにも行かなかった。他の付き合いはもとから絶っている。デビュー同期の集まりにも行かない。地元の連れや親族とも連絡は取ってない。家族や友の(きずな)にすがっても創作の助けにはならない。(せき)をしても一人、というのが作家の宿命なのだ。
 酒量はさらに増えた。降ってくるインスピレーションに期待しても、叡智(えいち)の手はおいそれと脳髄にタッチしてくれなかった。御毛文雄として机に向かうと公募用の小説はおろか世界終末小説まで書けなくなってしまい、時間ばかりがただ過ぎていく。手がかりを探して本から本へと渡りつぎ、眼球に鉛筆を突き立てたくなるほど起きていても遅々として執筆は進まない。一日の大半を酔い()れてすごすおれは便器の前にひざまずいては嘔吐(おうと)し、わめきながら歩道に転がって天に向かってパンチを繰りだしていることもあった。別のときには気づかずに駅の女子トイレを使っていてOLに悲鳴を上げられ、ロズウェルの宇宙人のように駅員室に連れていかれた。
 その間、森田からたびたび連絡があった。考えは変わりませんか、と()かれておれは変わらないと答える。というかあの男に連絡先を教えたっけ、教えなかったはずだが酔った頭では数週間前の記憶もあやふやだった。着信拒否をしたらちがう番号からかけてくるようになったので迷惑していると、二瓶からも連絡があって〝協定〟を守っていますかと訊かれて、おれは守っていると答えた。
「引き合わせた責任があるんで言いますけど、彼には深入りしないほうがいいです。森田も埼玉だけど、そっちの(ゾク)とかともつるんでるみたいで。別の仲間にいやがらせして集まりに来られなくするどころか、引っ越しまでさせたって(うわさ)があるぐらいで」
 こっちはあいかわらず端正で上品な声だ。作家を目指すのは高等遊民の手遊(てすさ)びなのか。坊ちゃんマジであんたのせいだろうどうにかしろよと訴えるがどうにもならない。おれは執筆中にスマホの電源を落とすようになり、使い古しの歯磨き粉をひねるように文章を書いて、酒を飲み、起きてまた文章を書いた。その間ずっと、青臭すぎると一蹴(いつしゆう)した問いがこだまのように反響していた。
 おれはどうして、小説を書くことにしがみつくのか。
 おれはどうして、文章を、物語を生まずにいられないのか。
 富や名声のためか、イエス。人生のリノベーションのためか、それもイエス。心の(うみ)を出したいのもあるし、他にできることがないというのも理由のひとつだ。だけどもっともっと根源のところではどうなのか――
 あ、よせよせ、おれまで控え選手の初心(うぶ)葛藤(かつとう)にあてられちゃったのか。(がけ)にぶらさがる人間がどうして自分は崖にしがみつくのかなんて考えるもんか。とにかく苦心惨憺(さんたん)して数作の短編を書きあげて、どんなものを書いたのか、どの地方の賞に出したかもあいまいになっていた秋口に最終選考に残ったことを(しら)された。電話口に田中ユリでも御毛文雄でもない名前で呼びかけられ、適当なペンネームをでっちあげて応募したことを思い出す。〝協定〟のことは脳裏をよぎったが、これならもしも落選しても御毛文雄の名に瑕疵(きず)はつかないとすぐさま居直った。
 受賞が決まったわけじゃないが、おれはすっかりそのつもりになって、あくる日からラーメンにはかならず叉焼(チヤーシユー)を載せるようになり、疲れた日にはタクシーに乗るなどの贅沢(ぜいたく)をするようになって、だけど待てよ、賞金は耳をそろえてユリの前に置いてやったほうがうきゃーオゲちゃん(すご)いかっこいい、好・き、ってことになりそうだと散財を控え目にしたが、酒代だけは惜しまずに飲みつづけていた秋のなかば、福が転じて(わざわい)となり、おれの作家生命がいきなり(とざ)される。

 

 おかしいと思ったんだよ。最終選考の段階で主催の側から呼びだしがかかるなんて。地方文学賞の事務局でも出版社がからんでいることはあるだろうから、顔バレしたくないおれは面会を断わろうとしたが、すると応募規定に反している可能性があるので最終候補が取り消しになるかもしれないと脅された。
 今回、ご応募いただいたあなたはすでに著書のある作家なのではないかと疑惑が持ちあがりまして、とこう言うわけだ。同様の事例がしばしばあるので最終選考の前に事務局では候補者のことを調べます。そっちの専門の下読みの方もいますし、あなたの場合は匿名の連絡もあったものですから。あなたは御毛文雄さんじゃありませんか?
 そのままバックレたらよかったんだが、受賞も一〇〇万もパアになるというのに焦ったおれは、麹町(こうじまち)にあるという賞の事務局に出かけていった。電話でも話した担当の男と向き合って、おれは裁判官の前に突きだされたような心地になった。そいつが言うには事務局になんべんも連絡があったらしい。御毛文雄が名前を偽って応募している可能性があるから調べてほしいって。
 森田だ、と思った。あいつがあの粘着質な電話攻勢をしかけたにちがいない。誘いに乗らず電話も無視したことを逆恨みして。業界筋になにか情報網でもあるのか、それとも募集の〆切がせまった公募賞に片っ端から電話したのかもしれない。そうやっておれの手配状を回しているのだとしたら、それこそおれは賞金稼ぎどころか賞金首のほうだ。
「それからもうひとつ、別の方向からも待ったがかかりましてね。最終選考からはやはり下りてもらうことになりそうです」
「そんな殺生な、こうして出頭もしたんだから」
「あなたの応募作に、既存の漫画作品との類似点が見つかったようで。小説と漫画の違いはありますが、ストーリーの展開において重要な事実の隠し方や、そもそもの題材(モチーフ)、一言一句(たが)わない台詞(せりふ)もいくつかあったようで」
 は?
 パクリだっていうのか、おれの小説が?
 おれが猫ならフレーメン反応のような顔をしていたにちがいない。
 だってさ、そんなことを詮議されるなんて思ってもみなかったんだよ。
 頭のなかは混乱をきわめていた。記憶はあやふやだった。たしかに〆切まで時間がなかったり、先の展開が思いつかなかったりしたときに危険水域に傾くことはある。そんなときに手を伸ばした本に示唆(ヒント)を求めたことがないとはいえない。だけどそれを、剽窃(ひようせつ)を問題にされるレベルでやらかしていたのか? 酩酊(めいてい)してほとんど無意識に他人のアイディアや台詞回しを拝借したとしたら、自分に対する信用までも地に()ちてしまう。 
 おれのなかの謝罪会見。ストロボの土砂崩れ。
 激しいライトの明滅にご注意ください。
 会見の席についたおれは質問の集中砲火を浴びる。本当はわかってやったんじゃないですかと追及してくる記者もみんなおれ。マイクやカメラを向けられたおれは半泣きで、あとひと押しで罪を認めて平謝りしてしまいそうな瀬戸際で持ちこたえ、譫言(うわごと)のようにおなじ言葉をくりかえす。記憶ニゴザイマセン。
「オゲさん、ローカルの文学賞だからって見くびられたんじゃないですか。そういう話はすぐに全国津々浦々の事務局に、もちろん出版社にだって回りますよ。最終まで残してしまった我々にも非はあるので、こうしてお越しいただいて釈明の場を、ということになったわけです。ちょっと事務局長を呼んできますので、あと、あなたもご存じの涌井編集長ともお付き合いがあるのでこちらにお越しいただいていて……」
 全身から血の気が引いていた。規定破りに盗作疑惑、認めようが認めまいがこれは文芸の世界から出禁を食らうことになるんじゃないか、おれは作家として致命傷を負ってしまったんじゃないか。
 動悸(どうき)が激しくなり、口のなかが干潟(ひがた)のように渇いた。おれはこれ以上の公判の継続を望まなかった。窓から飛び降りる寸前にふりかえると、ちょうど現われた事務局長や編集長が啞然(あぜん)として、たぶんこう言おうとしていた。
 窓から逃げるのか、いい大人が?
 釈明もしないで逃げれば疑惑を認めるのとおなじだ。すべてが終わる――それでもおれは二階から決死のダイブを敢行した。
「ぐあっ」
 着地した足をひねって腰を強打した。そのまま建物を離れたが、途中で腰が痛くて痛くてたまらなくなる。身動きがとれないほどになって電柱の陰にしゃがみこみ、片方脱げた靴を探すのも億劫(おつくう)になって自販機で買ったカップ酒を飲んでいたところで、見覚えのある顔が話しかけてきた。「……オゲさんじゃないですか?」

 

 違いますよ、と得意の他人のふりを決めこもうとした。
 だけど失敗した。相手が相手だけにごまかしきれなかった。
「那須さん、ご活躍ですなあ」
 那須千賀子はおれと同賞の同期デビューだった。どうしてこの女が? ああ文春か、麹町には文藝春秋があるから、打ち合わせかなにかで来ていたんじゃないか。つくづく最悪の運気だった、もっとも醜態を見られたくない相手に出くわすなんてさ。
「オゲさん、こんなになるまで飲んだら駄目ですよ」
「はあ、すんません」
「立ってください、タクシーを呼びましょうか」
「おれは埼玉だけどね。直木賞候補さまがタク代を出してくれんですか。あれ、芥川賞だったっけ」
「あいかわらずのからみ酒ですね」
 那須千賀子はおれより七つも年下ながら、デビュー作で芥川賞候補になった。その後はよくは知らないが、純文学のジャンルにとどまらずに掲載誌によって作風を変え、三島賞や山本周五郎賞にノミネートされ、直近でもアントワープ王立美術学院のファッション留学生たちの青春と殺人事件を描いたミステリで二度目の直木賞候補に挙げられていた。よくは知らないが、結婚や出産を経ながらも着実に新刊を出し、そのいずれも版を重ね、いくつかは映画化やドラマ化もされて、技巧と情熱を兼ねそなえた将来の国民作家と目されているらしい。本当によくは知らないんだが、那須千賀子の現在地はおれがデビュー時に夢想した地平からも離れていないようだった。
「ナスチカ、飲み直さないか」
「わたしは帰り道です。オゲさんを見つけてなかったらいまごろ電車の中です」
「つれないな、家族のお惚気(のろけ)でも聞かせてくれよ」
「もうそろそろ終電ですから」
 デビュー直後の記念対談で、おれはかなり那須千賀子にマウンティングをしかけたからね。向こうはこっちを敬遠しているだろうし、おれだって誘いつつも本音はさっさといなくなってほしかった。次の候補入りのために枕営業に励んでたのか、文春砲には用心しろよとでも悪態を吐いておっぱいでもさわれば怒って立ち去るだろうが、この女と会うとおれはなぜか背筋が伸びて、破れかぶれな自分ではいられなくなる。だからこそ苦手意識が強いんだ。おそらくそれは那須千賀子が書くものと作家としての膂力(りよりよく)に、おれが少なからず畏敬(いけい)を抱いているからだった。
「そういや、新人賞の選考委員にも就任なさったって」
「あれは、断わりきれなくて」
「異例の出世だね。おれも応募して同期のコネで受賞させてもらおうかな」
「……自分の原稿を書いてください。生駒さんが亡くなってもオゲさんの原稿なら、持ってまわればいくらでも読んでくれる編集者はいますよ」
 ユリにはわかるまい。おれがあの賞に出すのを拒んだ理由がたったいま目の前にいる。那須千賀子はおれに好意を抱いてないし、同期作家に選考をゆだねるのは筋が違うというか不健全じゃないか。だからこそあの賞だけは拒否して、地方文学賞に絞ってやってきたのに、今日のこのざまだもんな――
「おれと生駒のことで、あんたになにがわかるんだよ」
 頭に血が昇って、座ったままでがばっと那須千賀子の首を抱えこんだ。
 那須千賀子がその身を震わせた。至近距離で()がされる酒臭さに表情をゆがめる。眼球のふちが潤み、下唇がわななく。(おび)えてるじゃないか、だめだ、ナスチカにこんな野放図(のほうず)真似(まね)をしちゃだめだと思うが、頭ではわかっていても引っこみがつかなかった。
「おれの次の長編はあいつが待ってたんだよ、あいつに読ませるはずだったんだよ」
「知ってますよ。あの人が自分だけの担当編集者だとでも思ってるんですか」涙ぐむほど動揺しながら、ナスチカは奥歯を()んで言葉を吐きだした。「わたしは告別式にも出ましたよ。生駒さんはしょっちゅうあなたの話をしてました。オゲちゃんは自己愛が強すぎて八方破れだけど、ナマのまんまだから面白いって。その作品も文学賞の評価におさまりきらないからこそ面白いんだって」
「あの野郎、あんたにまでおれの悪口を……」と言いながらもあばら骨のあたりに、ゴンゴンと硬い渇望のようなものが()きあがってくる。くそ、くそ。顔の裏に熱っぽさが()きかえってたまったものじゃなかった。
「わたしは正直、あなたと接しているとゾッとします。ひさびさに会って言うことじゃないけど、どうしてそんなに自分のコントロールを手放せるのかなって。破天荒な文士型なんて逃げ道ですよ。着実に仕事をこなしてこそのプロじゃないですか。執筆だって体力なのに、そんなになるまで酒に去勢されちゃうなんてありえない。自己管理もろくにできないのに作品を客観視なんてできるんですか」
 ちくしょう、犬も食わない正論人間め。なんでおれが()たないのを知ってるんだ。ナスチカもナスチカなりに高ぶって、言葉の端々に作家の自負のようなものを(にじ)ませる。ゆきずりの同期の難癖にまっこう応えるのだからその真摯(しんし)さには(おそ)れ入るが、もうちょっとぐうの音ぐらいは出せる加減をしてほしかった。
「だけど生駒さんはあなたをかばって。早く書かせたいは書かせたいけど、思うぞんぶん血を流すことで書く小説が面白くなることもあるって」
「あいつはおれの小説を待ってたんだ……それがころっと変節しやがって、あんたが選考委員の賞に出させようなんて」
「ああ、それは違いますよ」
 涙目で嚙みつくようにナスチカはおれを見据えた。
「ヴンダーカマー文学賞のことはわたしが言いだしたんです。オゲさんの長編に脱稿の見込みがないっていうから。あの賞は話題になりそうだし、プロアマ不問だから(すす)めてみたらどうかって。わかってますよ、上から目線のお節介だってことは。だけどなにがきっかけでつっかえた栓が抜けるかはわからないんだから」
「新人賞からやりなおせってのか、優しい同期もあったもんですね」
「だけど生駒さんに突っぱねられました。そんなことをしたら自分が担当じゃなくなるって。公募の賞を奨めるなんて白旗を上げるようなもんだって。オゲちゃんがそんなことする必要はないって、自分はオゲちゃんを信じてるからって、悔しそうに何度も言ってましたよ。わたしはなにも言えなくなって、資料は渡すだけ渡したけど、あなたに送るつもりはなかったんじゃないかな」
 そのあたりでおれは決壊する。ブッと噴きだした洟水(はなみず)がよだれと合流してあごや首元を()らす。おれはナスチカを突き飛ばすと、熱くてしかたない口元をまさぐり、立ちあがろうとしてよろめいて電柱に側頭部を打ちつけた。
「おれは、おれは……」頭をふるとおのずと上半身も揺れた。「ナスチカ、おれはどうしてこんなところにいるのかな、どうしてこんなところでふらふらになってるのかな、自分でもよくわからないんだよ」
「あなたは家に帰らなくちゃ。なにがあったのかは知りませんけど、わたしたちは原稿に向きあうしかないじゃないですか」
 ナスチカの声が耳の後ろから聞こえた。おれは電柱に話しかけていた。前後不覚のまま向きを変えるとおれは脈絡なく走りだした。
「どこへ行くの、オゲさん」
 通りに人影はなかった。建物の窓はどれも暗くなっていた。ショーはもう終わってしまったのだろうか。しばらくナスチカの声もついてきたが、すぐに聞こえなくなった。腰がぎりぎりと痛んでいた。靴も履かず、洟もよだれも垂れ流れるにまかせて、深夜の路上を走るおれは自分が泣いているのに気がついた。引き離したナスチカに、どこかから覗き見ているような生駒の亡霊に、あられもない醜態をさらしたくなくて走った。
 腰や足の痛みよりも、体のどこかにたちの悪い腫瘍(しゆよう)ができているような気がした。売れなくても賞の候補にならなくてもいい、おれは小説を書きたいだけだったのに。おれはそれをだれよりも上手くできていたのに。かつてはおれも悪くない作家だったことを、ナスチカも生駒も知ってくれていたはずだ。だれとも似ていなくて、読み手を驚かせられるようなものを書けていた。それがいったいなんで――
 どうしてここにいるのかわからないのに、どこへ行くのかなんてわかりっこない。体が壊れかけていても、おれはどうしても立ち止まれなかった。暗い路地でただ一人、わめきながら、どこまでも走りつづける自分しか想像ができなかった。

 
 
 
(04につづく)
 

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著者
真藤順丈プロフィール

真藤順丈(しんどう・じゅんじょう)
1977年東京都生まれ。2008年『地図男』でダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。同年『庵堂三兄弟の聖職』で日本ホラー小説大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で電撃小説大賞銀賞、『RANK』でポプラ社小説大賞特別賞をそれぞれ受賞。2018年刊行の『宝島』で山田風太郎賞と直木賞を受賞。他の著書に『バイブルDX』『畦と銃』『墓頭』『七日じゃ映画は撮れません』などがある。