01 蒲生の賞金稼ぎ

「ヴンダーカマー文学賞」原稿募集!

◆賞の概要◆
ヴンダーカマー(Wunderkammer)とは十八世紀の半ばまでヨーロッパで流行した文化で、あらゆる珍品奇品(動物のミイラや骨格標本、金の編み細工、ダ・ヴィンチの素描やアルチンボルドの奇想画、天球儀、オウムガイの殻でつくったランプシェード、錬金術の稀覯書(きこうしよ)、オートマタや聖遺物などなど……)を集めた学者や王侯貴族によるコレクション展示室のこと。〝驚異の部屋〟と訳される名を冠した公募文学賞をこのたび創設する運びとなりました。読み手に驚きと歓喜をもたらす才能、類例のない面白さに満ちた作品を募集します。


◆募集要項◆
広義のエンタテインメント小説。原稿用紙換算で一〇〇枚~四〇〇枚。日本語で書かれた未発表作品であればプロアマは問いません。


◆応募方法◆
テキスト形式で保存した原稿に八〇〇字程度の梗概(こうがい)をつけて、応募フォームから送信してください。住所、氏名、年齢、職業、電話番号、略歴を明記のこと。


◆選考委員◆
日本文藝作家連盟に属する現役作家が、二次選考~最終選考に至るまで随時、ランダムに選考に加わります。驚異の部屋(ヴンダーカマー)をふらりと訪れた招待客(ゲスト)が思い思いに展示物の評価を残していくように。現段階で確定している選考委員(真藤順丈(しんどうじゆんじよう)藤代勇介(ふじしろゆうすけ)那須千賀子(なすちかこ))の他にも、数十人の作家があなたの作品を読んで、採点・講評を発表する予定です。


◆応募期間◆
二〇一九年六月二十日~二〇二〇年二月末日。二次選考後、最終候補に残った五~六作品を当ホームページで発表。受賞者の発表は三月十五日。


◆賞金◆
五〇〇万円。受賞作には出版時に規定の単行本印税が支払われます。


◆主催◆
日本文藝作家連盟(協賛/ホーム社)

 

一人目
眩暈(めまい)がするまでここにいる』

 

 最初は突っぱねた。おれはその募集要項を一蹴(いつしゆう)した。数ある公募の賞のなかでも目を引いたし、賞金額もしみったれちゃいない。おれのような書き手にとっては、割られるのを待っている豚の貯金箱のようなものだった。
 だけど選考委員がいただけない。一、二作が話題になっただけで大した経歴もない泡沫(ほうまつ)作家に小説の良し悪しを判断されたかない。だいたい選考委員がランダムに増えるってなんじゃそりゃ? 目先の変わったことをやろうとしているらしいが、おれの経験からするとこういう奇をてらった新設の賞は、数年後にはカス札になるのがオチだ。賞金額に目の(くら)んだユリが発注書(リスト)に加えるのはまちがいないが、選考委員がいかにクソか、場末の秘宝館の呼びこみチラシのような募集にかかずらうのがいかに時間の浪費か、そのあたりはあいつに縷々(るる)説いてやらなきゃならなかった。
 退屈しのぎにネットをうろついていて見つけた募集ページを閉じると、おれはさっさと終業の仕度をする。朝っぱらの営業所に戻って制服を着替え、帰りしなに蒲生(がもう)駅で下りて徒歩十五分のアパートに向かった。自宅でひと眠りしてから日没ごろに来るんでもよかったが、夜勤明けにユリのところに寄るのはすっかり習い性になっていた。
 そもそもおれをこんな生活に引っぱりこんだのは田中ユリだ。西新井(にしあらい)のガールズバーで働いていたユリは読書嫌いで、おれの筆名も知らなかったが、カウンター越しにしゃべっている男がアルコール依存症で道徳心のないゴリラ人間とわかっても敬遠しなかった。文壇の不良在庫だったおれをあげつらって「太宰(だざい)的な〝人間失格〟自己演出が涙ぐましい」「破天荒の仮面をかぶった普通の人」と吐いた毒舌編集者もいたが、その伝でいけば、例えばいきなり道で小説の神様に声をかけられて「ユー、入水(じゆすい)自殺しちゃいなよ」と命じられたら、おれなら心中の相手にはユリを誘う。ロマンティックな文学的殉死に乗ってくるタマかどうかはさておいてもね。
「おつかれー」
 アパートの部屋に上がりこんだおれは、冷蔵庫から冷えたスーパードライを出して開栓する。急いで無駄な物を捨てないとそのうち窒息死しそうな1DKには、手狭さにもかかわらず冷蔵庫が二つもあった。一方は未使用のままでネットオークションにかけられているが、希望にかなった買い手がつかないらしい。
 ユリはお仕事中だった。もこもこのルームウェアをまとった背中を丸めて、煙草を吸いながらラップトップと向きあっている。おれは未開封のダンボールやコスメの試供品をよけて座って、ビールを飲みながら、ホットパンツから伸びる若鶏(わかどり)腿肉(ももにく)のような脚を吟味した。サイドテーブルでは化粧品のボトルやスプレー缶が彼女の軍隊のように整列している。おれは片尻を上げて、音なしの()()りだした。ユリはこっちを向かなかったが、ちゃんと察して臭いを()ぐまいとしていることは、鼻や(くち)から螺旋(らせん)状に(のぼ)っていた副流煙が止まっていることからしてもお見通しだった。
 扉がノックされたのでおれは立ち上がり、玄関で宅配業者から小包を受け取った。懸賞だけで暮らすユリの家では、ちょっと過ごすだけでもそのあいだに配達物が届く。荷物のテープを雑に()がしながら戻ってくると、
「勝手に出ないでよ、同居人でもないのに」
 ユリが椅子(いす)ごとこっちを向いていた。おれは答えずに開封した。人気アニメのフィギュアセットだ。おれがキャッチフレーズを書いて応募した懸賞企画の戦利品だった。
「じゃあおれは、この青い髪のやつをもらっておこうかな」
「だめ。それは全員でチームのやつだから。一人欠けると売値が下がっちゃう」
「そんなの知ったことか」
 もちろんユリは換金が目当てだったが、おれの信条として自分の関わった戦利品はその分け前をかならず取る。ディップソースの詰めあわせが当たったときはバーニャカウダー味を選んだし、使いもしない食器や装飾品や脂とり紙も何割かをいただいた。手っ取り早いのはこの場で現金に換えることだ。吝嗇(りんしよく)と笑いたくば笑え、それが自分のアイディアや文章を切り売りする〝賞金稼ぎ〟の矜持(きようじ)というものだ。
「ほれ、今週の払いに上乗せすりゃいい」
 催促するとユリは舌打ちしながら銭函(ぜにばこ)を出してきて、慣れた手つきで紙幣の束から数枚を抜き、そこに四千円の色をつけた。
 座右にあるのは『公募ガイド』の今月号、ユリのような懸賞生活者にとってはバイブルだ。多彩なジャンルごとに公募情報が載っているが、〝キャッチフレーズ〟〝標語〟〝川柳〟〝短歌〟、そして〝文芸〟となにかしら文章を書かせる公募が大半を占めているのは周知のとおり。で、あっぱれな潔さでみずからの文才に見切りをつけたユリに白羽の矢を立てられたのがこのおれだった。
 調子よくビールの缶を二本三本とつぶしていくおれに、「酔いつぶれてまた寝てかないでよ」とユリは言った。「オゲちゃん、帰ってやることないわけ」
「お前ねえ、おれの本業がなんだと思ってるんだ」
「警備員」
「小説家だ。ぼちぼち自分の小説を仕上げないと」
「書いてるじゃん、小説なら」
御毛(おげ)(ふみ)()の小説、ってことだろうが」
「はい、今週のぶん」
 こっちの話を聞かず、横罫のレポート用紙を破ったものを渡してくる。新たに募集が始まったものと〆切が近いものが列記されている。そのなかには〝ヴンダーカマー文学賞〟も挙げられていた。ほら来た、おれはその募集がいかにクソかを縷々説いたが、煙越しに目を細めるユリはやっぱり聞いちゃいなかった。
「オゲちゃんって、小説となると当たらないよね」
 そう言われて、眉尻(まゆじり)がひきつるのを感じながらおれはビールの残りを一息にあおり、げっぷとともにユリを()めつけた。
「あのな、これまで出してきたのは短い時間で書き殴ったやつだから。お前の名義で出すものに本腰は入れられない」
「別にそっちの名前で出してもらっていいんだけど」
「御毛文雄の作品はいま書いている長編小説、それだけだ。あちこちに書き散らかすようなのは違う。ましてや公募の新人賞なんぞに」
「あのね、あたしは懸賞品の転売でちまちま稼ぐんじゃなくて、賞金をざあーっと総ざらいしたいの。おれに任せておけとか言ってたくせに」
 業突(ごうつ)()りめ。こいつが脳裏に描いているのは、女ギャンブラーとしてめかしこんだ自分がカジノの(テーブル)に山積みのチップをいっぺんに引き寄せる絵面(えづら)だった。地方の自治体や新聞社などが主催する文学賞はけっこうあって、たいていはどこも賞金一〇〇万は出している。メインストリームの新人賞と比べれば応募総数も多くない。ユリはようするにそっちの〝金脈〟によだれを垂らしていて、あっちで一〇〇万、こっちで一〇〇万といきたいわけだが、赫々(かくかく)たる戦績が上がらないことにへそを曲げていた。
「本気で書いてないとか言い訳するなら、御毛文雄の作品としてがっつり賞を()れるのを書いたらいいじゃん」
「そうなると、いろいろと規定があってだな」
「つべこべ言うあなたに朗報、ジャジャーン」おれの手から発注書(リスト)を取りあげるとユリは新設の賞の要項を指で(はじ)いた。「これだったらプロアマ問わず。オゲちゃんでも問題ないっしょ、しかも賞金五〇〇万円!」
「興味がない。賞金稼ぎをやっているのは、お前の片棒を担いでやっているだけで……」
「はいはい、わかったから。とにかく書いてね」
「絶対に出さんぞ、この賞には」
 おたがいに譲らず、言いあっているうちに面倒臭くなった。しばらくは言葉を交わさずにPCを見たりスマホを見たり、おれの長っ(ちり)をユリは煙たがって、「ねえ、いつまでいるの? 取り分は払ったんだからさっさと帰りなよ」
「帰るは帰るが、この金でスーパー銭湯でも行かないか、風呂は好きか?」
「一人で行ってきて」
「お前もこんな息苦しい部屋に閉じこもってないで……」
「行かない」
 すげないね、田中ユリ。あいかわらず誘いには応じない。偏屈な()り手ばばあのように発注と支払いをすませてさようなら、というのではあまりに情が薄すぎるじゃないか。
「さっきの賞の話も考えないでもない。お前がその態度を改めるなら。おれたちはいいコンビじゃないか、ボニーとクライドみたいに。あっちは賞金首のほうだけどな。おれたちなら一発ドカンと世間に風穴を開けられる」
「酔っぱらい、ひとん()でクダ巻かないで」
「いいかげん、おれと付き合え」
「ヤダ」
 懸賞品に埋めつくされた驚異の部屋(ヴンダーカマー)で、おれたちは二〇〇回はくりかえしたやりとりを飽きずに反復する。こいつといるとおれはドラフトで一位指名されるのを待つ草野球選手のような気分になってくる。どうせ聞いちゃいないとわかっていながら、酔いにまかせて独り言をつらねた。おれたちは似合いのカップルじゃないか、このままなんの進展もなかったら、地球の温度が冷めちまう。
 お前のような女を理解できるのはおれだけだ。他のなにをおいても田中ユリ、お前はそれに気がつくべきなんだ。

 

 

 渡される発注書(リスト)にしたがって、おれは懸賞企画に見合った文案をひねり、テキストを作成する。場合によってはひとつの公募につき二つも三つもね。そいつをユリは募集要項に沿ってパッケージして自分の名義で応募する。本音を言うなら、まさしく売文屋のような真似(まね)はしたくないんだが、懸賞に生きる糧を見いだすユリをなおざりにできないじゃないか。つまりは他愛、慈善、惻隠(そくいん)の情、埼玉の片田舎でひたむきに射幸心にすがる女に愛の手を、というのでかれこれ二年ほど自分の小説執筆のあいまを縫って〝賞金稼ぎ〟の相棒(パートナー)をつとめていた。
 おれの小説。御毛文雄の最新長編のことにもふれておかないとな。
 ポスト・アポカリプス系の世界終末小説は、時間をかけてじっくりと進められている。
 おれの書斎。といっても賃貸アパートの六畳間だが、おれとしては書斎に住んでいる感覚だ。部屋を占めるのは万巻の本の連峰。知の山脈のはざまの盆地でおれは寝起きし、本を読み、執筆する。部屋のキャビネットには手書きの原稿、ゲラ刷りのコピー、書評の切り抜きをまとめたファイルを収納している。その上の祭壇にはおれの既刊二冊――中編集『路地裏のバルバロイ』と短編集『かげふみ』が鎮座している。新作に関しては執筆用のデスクの抽斗(ひきだし)に、草稿、訂正草稿、関連記事のスクラップ、章ごとのプリントアウト、(あか)を入れてリライトした原稿を収蔵していた。
 隠さず言えば、脱稿の目途は立っていない。いったん止めてはまた書きだし、書き直しては冷却期間に入って、新しいシークエンスを書き足しては全体のプロットを練り直す。おれは単語ひとつにもこだわらずにいられない性質(たち)だから、執筆が乗っているときは五メートルも机を離れると、後頭部をハンマーで殴られたみたいにあの段落、あの文章、あの文節はうまくないんじゃないかという念慮にとらわれ、ばたばたと戻って文章のリズムや調子を手直しする。そんなふうに丹精をかけた数枚を、あくる週の改稿でばっさり()てたりするのだから、おれを本当に安心させる文章なんてどこにもありはしないんじゃないかという心地にもなってくる。
 こればっかりは読者や編集者とも分かちあえない感覚だろう。時折、ここにあるのはまったく他のだれかの書きかけの小説、無理強いされた見当違いの代物(しろもの)としか思えなくなることがある。おれはもはや血の通っていない創作物を、赤ん坊の亡骸(なきがら)を抱きしめる母親のように持てあましているだけなんじゃないかってさ。
 たまったもんじゃないよな、だれも句読点ひとつ代わりに打っておいてくれない作家の日々は、終わりのない服役か、胡散(うさん)臭いカルトの宗教儀礼もさながらだ。推敲(すいこう)手垢(てあか)がつきすぎたせいで、自分からぼろぼろと剝離(はくり)した無数の組織片が染みつき、それでいて自作とは言いがたいほどに形骸化した、おぞましい未発表の原稿の群れ――足かけ三年の作品がそんなふうに、うっかり触れると(たた)られるご神体のようなものに思えてくる時期は最悪だ。眠っても眠ってもくたびれていて、心と体がうまく拮抗(きつこう)しなくなる。書かなくてはと机に向かっても、体のほうは寝たがっていて、ふたつの衝動のはざまでぐらぐらと局所的な地震が起こる。こんなありさまで良いパフォーマンスは発揮できないと書きたい衝動をひっこめて床につき、昼過ぎまで爆睡したりしていた。

 

 ブルーカラーな労働も体験しておかなくては、庶民の実感がともなう佳作は書けない。空き時間を書き仕事に費やせそうでもあったので始めた警備員の仕事中にも、最近ではもっぱらユリの発注をこなしている。
 おれが登録しているミドー警備SSは中堅の警備会社で、南千住(みなみせんじゆ)の営業所で制服に着替えてから、連絡用のケータイや懐中電灯を持たされてその日の職場に出かけていく。オフィスビルやソーホー、産業プラザなど、人手不足のせいであちこちの深夜警備をやらされていた。おれは制帽を阿弥陀(あみだ)かぶりにして、定時巡回などのあいまに水筒(スキツトル)の酒を飲みながら懸賞用の文章を書く。文学賞とは関係ないキャッチフレーズのたぐいであれば、気の利いた文章をひねるのは造作もなかった。
「今日も()ってるね、警備員さん。例の会議室また頼めるかな」
 警備会社のなかでも古株になったので、大きくないオフィスビルの警備には一人で当たることもしばしばだった。顔なじみの社員から袖の下を受け取って、社内不倫のための場を用意してやることなんかもある。他にも無許可の部外者を入れてアート誌の撮影をやらせたりね。おれ自身、警備中に素面(しらふ)でいることはなかったし、グラビア雑誌なんかを持ちこんでトイレで用を済ませることもあった。
「ふざけるな、このブス!」
 便器に片足を乗せたり、座位でのけぞったり、しっくりくる体勢を探して悪戦苦闘したが()ちの悪さは変わらず、不完全燃焼にカッときたおれはグラビアの(ページ)をびりびりに破り裂いて個室の壁に(たた)きつけた。
 精神衛生のために日に二度は抜くのがおれの流儀だったが、このところはムスコのほうが一足先に隠居したがっていた。ユリの顔貼り(アイコラ)を試してみるかなと思いながら警備室に戻ったおれは、懸賞用の文章にもいまひとつ集中できずにスマホをいじりだし、文芸関連のネットマガジンや同世代の作家のツイッターを飛び飛びに閲覧していった。
 愚にもつかないつぶやきばかりだ。おれの憂さは晴れない。ユリの言葉がいまいましくも脳裏にこだまする。オゲちゃんって小説になると当たらないよね――
実際、賞金稼ぎとしてはかなりの勝率を叩きだしている。月日を重ねるごとにのめりこみ、結果がともなえばさらにがつがつと(そう)の状態でペンを走らせることができた。
 書いて、書いて、書きまくれ。
 つまらない世界を彩れ、おれの文章よ、自己増殖しろ。
 産めよ、殖やせよ、地に満ちよ!
 だけどそんな高揚感も、地方文学賞に出した十編ほどの応募作を思うとたちまち(しぼ)んでしまう。なんといってもそれらは小説だったのだ。
 御毛文雄の名義ではないと割りきり、こだわりや文体意識を手放して、ウケがよさそうな展開や台詞(せりふ)まわしを心がけた。それなのに一度か二度、最終選考に残っただけで入賞はなしというのだから星のめぐりが悪すぎる。小説が読めない選考委員に当たった不運を呪わずにいられない。もどかしさを募らせるほどに酒量は増して、大事な世界終末小説のほうまで(おろそ)かになるありさまだった。
「どいつもこいつも、しくじらずに小器用にやりやがって……」
 夜も更けてくると、憂さのよどみも深くなった。便所の落書きなみにくだらないツイートに毒づき、アマゾンで他の作家の新刊に二つ星のレビューを投稿して――星ひとつじゃないのは同業のよしみだ――作家同士のSNSのじゃれあいを舌打ちまじりに眺めていたところで、ある大手出版社の編集者の訃報(ふほう)が目に留まった。
「これって、生駒(いこま)のことか?」
 実名は伏せられていたが、お悔やみツイートをしている顔ぶれや前後の文脈からいってまちがいなかった。御毛文雄のデビュー以来の担当者。口さがない毒舌家で、おれのイタ電のいちばんの被害者でもあったが、文学一筋の有能な編集者なのはたしかだった。 
 おれは文学誌の新人賞を獲ってデビューしたが、一作目の『路地裏のバルバロイ』は売れず、次の『かげふみ』はもっと売れず、芥川賞や三島賞といった純文学の賞レースからもお呼びはかからなかった。おれはなんでもないふりをした。業界の反響や読者の数が小説の良し悪しを決めるわけじゃないからね。だけどこの出版不況では、版も重ねられず話題にもならない新人が座っていられる席はない。すぐに仕事の依頼は途絶え、だれもが御毛文雄なんて初めからいなかったようにふるまった。おれの目は凍った河の魚の目のようになり、自分の首がどこかの本屋の軒先に置かれるところを想像した。さらし首の札にはこう書いてある。〝こうして作家は消えていくのです〟――
 ずっと軽いパニックだった。最悪の〝作家(うつ)〟にやられてしまい、あらかたの交友関係を絶ち、連日飲みすぎて首までドツボにはまった。なんでもないふりをしてみても本当はブリザードのような寒風に凍え、自分の(やわ)なところをすこしずつペンチで引き剝がされるように感じていたんだな。
――オゲちゃんみたいな書き手は、(しん)を食うまでは時間がかかるんだよ。なんだったら()けてもいい。おれの言ったとおりにいずれ大きくハネたら、願い事をなんでもひとつ聞いてもらおうかな。
 最悪の熱病から回復できたのは、文士気取りのナルシストとかエセ太宰とか毒を吐きつつも生駒がつねに電話に出てくれたからだ。あいつの行きつけのビザールな書籍が並んだショットバー、そこで交わした賭けがなんのかんので心のつっかい棒になった。いまは一世一代の大作じゃなくてボトルシップのように小さくても精緻(せいち)な物語を書け、と大長編への情熱にケチをつけられもしたが、どうあれ最初の読み手として生駒が待っていたからこそ、おれは本気で考えていた遍路巡礼にも出かけなかった。ピースボートにも乗らなかった。そうやって持ち直して次作の執筆を進めてこられたんだ。
 ネットで得られる情報がつきたので、おれは出版社に電話をした。進捗(しんちよく)の報告だけではなく声色を変えて「生駒のやつは礼儀がなっちゃいない」「減給して」とイタ電をしかけていたので、編集部の番号は(そら)んじられる。
 夜の十一時をまわっていたが人は残っていて、おれも面識がある(わく)()編集長に取り次いでもらえた。生駒はクモ膜下出血だったらしい。おれの四つ上でしかなかったのに、数日前の朝に奥さんが起こそうとしたときには冷たくなっていた。言葉どおりにハネたあかつきにはどんな〝願い事〟を吹っかけてくるつもりだったのか、おれは永遠に知ることができなくなってしまった。
「あなたを買ってましたからね、生駒は」と編集長は言った。「普段ならマイナーポエットには見向きもしない、こう言っては失礼だが、新作の刊行もたえてひさしい作家をいつまでも気にかけることはありませんでした」
 針のむしろに座らされるようだった。部下の()に服しているからこそこのぐらいの苦言に抑えているのだ、と編集長は言わんばかりだった。
「書かれている小説があるんでしょう」
「おれのこと、話してたんですか」
「ええ、ただその小説は深みにはまっていて、読む機会は来ないかもしれないとね。それでね、あれはどこにいったか……」
 電話の向こうからがさごそと音がして、おれは嫌な予感をおぼえた。
「あったあった、ヴンダーカマー文学賞、これは新設の公募賞なんですけどね」
「へーえ」とおれは言った。その声はなんとも間が抜けていた。だけど他になんて返したらよかったんだ?
 編集長は〝広義のエンタテイメント〟〝プロアマ問わず〟というところを強調しながら生駒のデスクに置かれていた募集要項のプリントアウトを読みあげた。付箋(ふせん)でおれの名前が添えられていたという。生駒はこの賞への応募を(すす)めておれに心機一転を図らせようとしていたんだろうと編集長は言うんだな。
 このミス大賞でも乱歩賞でもプロが応募した例はあるし、受賞して再びスポットライトを浴びた作家も少なくない。出版社にとってそれは、持てあました作家に活路を(ひら)かせるひとつの有効な手立てなのだ。
「考えてみてください、これは言うなれば生駒の遺志ですよ」
 混乱のほうが大きかった。あいつまで? それって本当に担当作家の傾向を考えてのことなのか、厄介払いされたように思えなくもなかった。その日の警備員の仕事がはけてからも、電話での会話が、ヴンダーカマー文学賞のことが頭から離れなかった。どうしたって選考委員や審査過程が気に入らないし、御毛文雄として書くのは進行中の長編だけと決めていたんだけどな――
 千々に心は乱れた。帰路のコンビニで酒を買い、チューハイやビールを大量にあおってアパートまでたどりつけずに街路の植えこみに吐き戻した。疲れのせいか皮膚がちくちくして、視界が狭まって強烈な嘔吐(おうと)感が去らない。そのうち酒で身を滅ぼすぞとわれながら思う。()ちは悪いし、同年代は急死するし、おれは確実に老いている。どうにか家に帰りついてそのまま眠ってしまおうと思ったが、どうしても寝つけずに起きてラップトップの画面を、空白しかないモニターをしばらく凝視していたが、めぼしい物語の断片は浮かんでこなかった。
 長い時間、そこに座っていられない。
 おれはそこに、とどまることができない。
 御毛文雄として新たに書け、再起に賭けろ。そんなふうに突きつけられた途端に、おれはいよいよなにも思いつかなくなっていた。 

 
 
 
(02につづく)
 

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著者
真藤順丈プロフィール

真藤順丈(しんどう・じゅんじょう)
1977年東京都生まれ。2008年『地図男』でダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。同年『庵堂三兄弟の聖職』で日本ホラー小説大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で電撃小説大賞銀賞、『RANK』でポプラ社小説大賞特別賞をそれぞれ受賞。2018年刊行の『宝島』で山田風太郎賞と直木賞を受賞。他の著書に『バイブルDX』『畦と銃』『墓頭』『七日じゃ映画は撮れません』などがある。