06 お前が名前を持つまえに

「ヴンダーカマー文学賞」原稿募集!

◆賞の概要◆
ヴンダーカマー(Wunderkammer)とは十八世紀の半ばまでヨーロッパで流行した文化で、あらゆる珍品奇品(動物のミイラや骨格標本、金の編み細工、ダ・ヴィンチの素描やアルチンボルドの奇想画、天球儀、オウムガイの殻でつくったランプシェード、錬金術の稀覯書(きこうしよ)、オートマタや聖遺物etc……)を集めた学者や王侯貴族によるコレクション展示室のこと。〝驚異の部屋〟と訳される名を冠した公募文学賞をこのたび創設する運びとなりました。読み手に驚きと歓喜をもたらす才能、類例のない面白さに満ちた作品を募集します。


◆募集要項◆
広義のエンタテインメント小説。原稿用紙換算で一〇〇枚~四〇〇枚。
日本語で書かれた未発表作品であればプロアマは問いません。


◆応募方法◆
テキスト形式で保存した原稿に八〇〇字程度の梗概をつけて、エントリー用のメールに添付して送信してください。住所、氏名、年齢、職業、電話番号、公募賞への応募歴を明記のこと。


◆選考委員◆
日本文藝作家連盟に属する現役作家が、二次選考~最終選考に至るまで随時、ランダムに選考にたずさわります。すでに発表されている真藤(しんどう)順丈(じゆんじよう)、藤代(ふじしろ)勇介(ゆうすけ)那須(なす)千賀子(ちかこ)の三氏に加えて、あらたに小説家・フランス文学研究者の窪田(くぼた)陽一郎(よういちろう)氏が選考委員に決定しました。驚異の部屋(ヴンダーカマー)はその目玉展示物となるあなたの小説を、盤石の布陣でお待ちしております。


◆応募期間◆
二〇一九年六月二十日~二〇二〇年二月末日。二次選考後、最終候補に残った五~六作品を当ホームページで発表。受賞者の発表は三月十五日。


◆賞金◆
五〇〇万円。受賞作には出版時に規定の単行本印税が支払われます。


◆主催◆
日本文藝作家連盟(協賛/ホーム社)

 

二人目
『お前が名前を持つまえに』

 


 森のはずれでジョゼフが足を止める。わたしたちに言う。
「ここはもうオーストリアだ。あんたがた、あとはこのまま()()ぐ歩き続けるだけのことだ。村は遠くない」
 わたしはジョゼフを抱き締め、接吻(せつぷん)する。グループの全員が、持っている現金のすべてを彼に与える。どのみち、オーストリアでは何の値打ちもない貨幣なのだ――

 

 ちょっぴり読書に疲れて、読んでいた本を閉じて、テーブルに置く。
 選ばずに数冊を持ってきた、そのなかの一冊。それほど分厚くはない。
 だれも見送りに来ていない七月の空港で、アゴタ・クリストフ『文盲』のシンプルな装幀を眺める。
 亡命、か。
 読書の余韻として、浮かんできたのはその二文字だった。
 なんとなく奇縁を感じてしまう。アゴタ・クリストフの自伝だった。一九五六年にハンガリーで動乱が起こり、生後四ケ月の娘を連れてスイスに逃れたアゴタさんは、工場や歯科で働き、子育てをしながら、流暢(りゆうちよう)とはいえないフランス語で小説を書いた。無名の書き手の処女作『悪童日記』はのちに三部作となり、二十世紀の世界文学史に残る傑作として広く知られるにいたった。その執筆や出版のいきさつを含めた彼女の半生が、淡々とした筆致で、自伝にありがちな自己陶酔のない文章でつづられている。
 私がこれからしようとしていることも〝亡命〟なのでは? 読書からある種の啓示を得られるのは本読みだけの特権でありロマンチシズムだ。東京行きの便を待つあいだに、たまたま持ってきた数冊からこれを読むなんて、数奇なめぐりあわせを感じずにいられない。すると私は新たにたどりついた土地で、何かを書くべきなのか。あ、そういえば。もしやあれも啓示なのかも。私はスマホを()って、気になってブックマークしてあった公募新人賞の募集要項をあらためて閲覧した。
 ヴンダーカマー文学賞――募集されているのは広義のエンタテインメント小説。原稿用紙一〇〇枚から四〇〇枚。締切まではおよそ半年。ただの主婦にまあそんなに書けるわけないよね。私はアゴタさんじゃないしね。
 家事や育児の一段落した主婦が、遅咲きの作家としてデビュー、というのはよく聞く話ではあるけれど、そもそも書くことなんてあるの? 飛行機の搭乗まではあと三十分、試しにそれまで小説の題材を考えてみようか。
 あたりをきょろきょろと見回した。ターミナルビルの窓の外には、濃紅(こきべに)色に染まった白神(しらかみ)山脈(やまなみ)を望むことができた。地元の祭日ではあるけど、夕刻の空港はそれなりに混雑している。国内便だから必要ないんだけど、出発を待つレストランの机の上にはパスポートも載っていた。
 刷られた証明写真の私は、三、四年分だけ若かった。この写真に更新する前の写真はもっと若かった。そのときはどんな表情(かお)で写ってたっけ、もう思い出せない。最後に海外旅行をしたのは二十年前のこと、結婚してからはその一度きりだった。
 アゴタさんとか、空港とか、パスポートとか、そういう諸々(もろもろ)が呼び水になったのか、脳裏にもぞもぞとうごめくものがあった。
 あ、いかん。古い記憶をファイルしていた大脳皮質から、稼働しはじめた妄想工場に運ばれてくるものがある。忘却の彼方(かなた)にあったはずの思い出がよみがえり、(ひづめ)を鳴らす馬の群れのように意識の前面まで駆けあがってくる。

 

 私の新婚旅行はアメリカの東海岸で、ジャクソンビルからアトランタ、シャーロット、ワシントンD.C.までを二週間ほどでめぐった。
 現在(いま)だったらふつうにハワイやタヒチに連れていけと思うけれど、当時はそれでよかった。他人(ひと)さまと違うコースがむしろ、特別なハネムーンの彩りを濃くしてくれた。旅程の半ばには響一(きよういち)の趣味でアイスホッケーの試合を観戦しにいって、そこで私たちは、大画面に映されるたくさんのキスを見物させられた。
 俗に〝キスカム〟っていうのね。アメリカやカナダの大きなスタジアムで、タイムアウトなどの幕間(まくあい)におこなわれる客いじり、ドッキリカメラみたいなものだ。
 客席のカップルが一組ずつ選ばれて、会場のスクリーンに映しだされる。カップルは他の客に(はや)されたり、ラブソングであおられたりしながら、公衆の面前での口づけを求められる。応じてキスをすれば喝采(かつさい)や口笛を浴びるし、決まりが悪くなって拒否すればブーイングを浴びちゃう。なんだよもったいぶるな、熱いのをやれ熱いのを!
 欧米ではスポーツ観戦という祝祭空間において、会場の客が一体化することにポジティヴな価値が見出(みいだ)されるんだよね。キスカムの画面に映るカップルはそのとき人身御供(ひとみごくう)となって、パートナーのみならず会場そのものとキスすることが望まれている。たとえばウィー・ウィル・ロック・ユー風の拍手や足踏み、ウェーブ、コール&レスポンスにもうまく乗れたことのない私は、次々と画面に映っては熱烈なキス、絶対に舌がインしているキス、ディープキスの略式のようなフレンチキス――略式であることが態度でわかるのでかえって親密さと生々しさが深まっている――それらを惜しまないカップルに「わーアメリカ……」と旅行でもいちばんのカルチャーギャップを味わっていた。
 隣の席では「映されたらどうすっかね、こっだら空気ではしねえわけにいかねえぞ」と響一が身構えていて、選ばれたら選ばれたでお金じゃ買えないハネムーンの思い出になると期待しているふしもあって、それはそれで微笑(ほほえ)ましくはあった。
 結局のところ、私たちは選ばれなかったわけだけど、ただそれだけならこうして特別な思い出としてよみがえってきたりしない。終盤のタイムアウトのさなかだった。そこで映されたあるカップルが、それまでの会場の熱っぽいムードを一変させてしまった。
 九〇年代の末ごろの、当時の社会情勢とかも影響していたはずだけど、細かいことは(おぼ)えてない。とにかくそのカップルだけは、大画面に映しだされるままにキスをしたにもかかわらず、他の客たちから雪崩(なだれ)のようなブーイングを浴びたのだ――

 

 私はどうして、こんなことを思い出しているのか。
 あのカップルはそのあと、どうなったのかな? もちろん知るよしもない。
 あれをきっかけに、二人の関係がぎこちなくなって、別れてしまったかもしれない。
 あるいはかえって(きずな)を深めて、二十年後の現在(いま)でもたがいの時間を分かちあっているかもしれない。
 アゴタ・クリストフから〝キスカム〟に連想がつながるなんて。記憶の回路ってときどき不思議だ。あるころ親しくしていた年長の友人にもよく言われた。野島(のじま)さんは大きな眼鏡こそかけていないが、どこかアゴタ・クリストフに似ていた。私のあごの下に挿しこまれるベルベットのような指先を、その感触をいまでも思い出すことができた。「また、妄想していたでしょう」と野島さんは微笑みながら、みずからの吐息の領域に入ることを許すみたいに私の顔をもたげさせた。「あなたはその妄想のなかで幸福なの、不幸なの?」
 あの日、歓迎されなかったカップル。二人のどこに野次(やじ)や非難で()るしあげられるほどの〝不実〟があったんだろう。あれから今日にいたるまでの私は、幸福だったのか――あれこれと千思万考していると、あっというまに時間がすぎる。東京羽田行きにご搭乗のお客様は……と、ターミナルに響く放送で我に返った。私はレストランの会計をすませていそいそと保安検査場へと向かった。
 急ぎ足で歩きながらも、芽生えたばかりの感情をひきずっている。首尾よく〝亡命〟できたあかつきには書いてみようか。特に小説家になりたいと思ったことはないけど、自分でも持てあますほど妄想が先走りがちで、脳裏に湧きかえる記憶や物語の()ぎれのようなものを文章に起こしてみたくなったことはあった。
 大学の専攻は英文学部だったし、現在(いま)にいたるまで読書はただひとつの趣味だし。ひところは近県で催される小説講座に通っていたこともある私だ。だけどあれもな、好きな作家がつづけてゲスト講師に招かれていたので、聴講目当てで通っただけだしなー。これまでに自分が本当に何かを書けるなんて信じられたことはなかった。
 それがどうして新人賞だなんて? こんなときだからなのかも。ターミナルで搭乗の時刻を待ちわびる、日常のエアポケットのような時間だから。二十年も暮らした東北を離れようとしている節目だから。だからこそ私は、これまで意識しなかった公募の賞に琴線を()かれているのかもしれない。
 衝動に背中を押されたようで、前から計画を温めていたような気もする。数日前には息子にもそれとなく電話で伝えてあった。
「忙しいって言ったって、サークルとかバイトとかでしょ。別にそっちにいるあいだにそういうのを休んでほしいって言ってるんじゃないんだから」
「ちょっと待ってよ、母さん、何日もいるつもりなの」
「そうね、どうせ行くんだし。母さんが連泊するのが問題あるわけ」
「ないけどさー」
 母親とはいえ予告なしに訪ねていって、煙たがられたり、ガールフレンドを連れこんでいるところに出くわしたりしたくなかった。亡命先の身の寄せどころは確保して、あとは本や衣類をリュックにまとめて、カレンダーを確認してここしかないという日を選んだ。七月中旬、八幡宮綴子(つづれこ)神社例大祭が催されるこの日なら、地元の商工会や退職者の会の集まりで夫も(しゆうと)も出払っている。前日の晩から体調不良を訴えて、あとから集まりには顔を出すのでごめんなさいと家に居残って、午後三時を過ぎたころに書き置きも残さずに玄関をあとにした。
 遠巻きには(まつり)囃子(ばやし)。直径四メートルに達する綴子大太鼓が、踊り手や陣旗(じんき)獅子踊(ししおどり)野次払(やじばらい)とともに氏神に奉納されるまでの道中を行進していく。あちこちで交通規制が敷かれていてタクシーは拾えない。この日ばかりは夫名義のプリウスに乗るわけにもいかず、鷹ノ巣(たかのす)から大館能代(おおだてのしろ)空港までの六キロほどを歩いた。できるだけ大通りは避けたけど、それでも数人の知り合いに呼び止められた。息子がらみのママ友や、響一の地元友達たちに「どさ、どさ?」と尋ねられてもちょっと野暮用でね、と切り抜けて、地方都市にありがちな住民同士の相互監視の網をかいくぐって、たどりついたターミナルビルのレストランで搭乗の時刻を待った。
 ここまで来たら、亡命は私のものだ。
 よし、書いてみよう。亡命できたら、私はアゴタさんになろう。
 国外脱出ではないので使うのは日本語だけど、そこはまあご容赦いただいて。
 あとは粛々と保安検査場を通過して、航空券のバーコードをかざして検札ゲートを通過して、エコノミー・シートに(すわ)って離陸を待てばいい。出くわした知人たちが皆代(みなしろ)家の嫁の出奔をふれまわっているころには、私は濃紅色の空に(いだ)かれて、客室乗務員に赤ワインでも注文している。朝からつづいた緊張感はやわらぎ、かすかな胸の高鳴りもこころよいものに変わっていた。雲の上への階段を上がっていくような心地で、検査の列を一歩ずつ進んでいたそのときだった。
「おー、いだいだ、多恵子(たえこ)さーん!」
 聞きおぼえのある鼻濁音。ターミナルに響きわたったのは身内の声だった。
 そんなまさか。私は振り向かずに、何かの間違いであることを祈った。
 義弟が来ていた。一人じゃないみたいだ。どやどやとこっちに向かってくる。
「なんとなんと。黙って飛行機さ乗るなんて、家出でもしようってか」
 こんなに早くどうして、しかもなんだって義弟が? おそろいの法被(はつぴ)を着こんだ仲間をともなって大挙するあたりが盛二(せいじ)らしかった。
「盛ちゃん、太鼓()っぽって見送り?」
 振り切ってやる、盛二ごとき。尻すぼみにならないように私は語尾を強くする。
「どさ、どさ?」盛二と愉快な仲間たちにも、どこに行くのか、としつこく()かれた。
「ちょっとね、橙也(とうや)に会いに東京まで」
「黙っでいぐのは、そらぁうまぐねえべ」
「ごめんしてけれ、もう搭乗の時間だから」
「止めねばなんねのさ、止めれって頼まれてきだもんでよ」
「わざわざ自分が出向くことでもないってわけ」
「なんもかんもねえ、兄貴さ奉納式典でしゃべらねばなんねがら。こっだらとこで話にもなんねえさ、夫婦がこじれてるにしても頑張(けつぱ)って話さねばなんねえべ。おれでは(らち)もねえから、兄貴さ電話してよ」
「飛行機、飛んじゃうから。電話なら着いてからするから」
「多恵子さん、近ごろ更年期が始まってんでねえかって兄貴が。イライラとか不安定になんだべ? だもんで行かせではなんねって。みんな心配しでっから」
 信じられない。そういうことを身内とはいえ私と血のつながりのない義弟に話す神経を疑う。手首を(つか)まれて、私は亡命寸前で修羅場になることを恐れる。無理強いしないで、こんなふうに引き留められるいわれはない。
親父(おど)の祝いもあるでねえが、なんもいま行ぐごたねえさ」
「離して、盛ちゃん。橙也が待ってるんだから」
「橙也もだべ、あいつも母ちゃんさ家が()んだぐなったんでねえがって、それで電話してきたんだべさ」
「橙也が、だれに」
「兄貴に」
 あの子ったら「お父さんに言わないで」とあんなに念を押したのに。息子が独り立ちして環境が変わったことで、私の情緒が不安定になっていると(うたぐ)ったんだろう。両親の不和のとばっちりを警戒して、わざわざ連絡を寄越(よこ)してきたわけね。無条件に息子は味方だと思ったのが馬鹿だった。身内に裏切られたかたちになって、私はよろめき、うなだれる。盛二にも橙也にも悪気がないのはわかっているけれど、良かれと思っての心くばりが〝亡命〟の意志を(から)めとる。検査場の前で悶着(もんちやく)を起こすのもためらわれて、私はなしくずしに義弟からスマホを受け取ってしまった。
 響一だった。いろいろ言っていた。
 要約すればこうだ。――とにかく帰ってこい。
 盛二たちの手を振りほどき、最後の検札ゲートまでダッシュする気力は失われていた。保安検査員にまで乗らないならどいてくださいといった態度で接され、さらに押し問答をするうちに羽田行きは搭乗口に架かる通路を外して、離陸のために滑走路を走りだしていた。大館能代―羽田便は朝と夕の二便しかなく、今日のうちに航空券を繰り越すことはできない。深夜列車やバスの乗り場に向かうには、何よりも私の心が折れてしまっていた。
 そのまま義弟の車に乗せられて、雲の上から見晴らすことのかなわなかった北秋田の街並を戻っていくはめになった。疲れきって口をきくのも億劫(おつくう)で、私は盛二の言葉を聞き流しながらロードサイドにつらなる景観を茫然(ぼうぜん)と見送った。

 
 

【引用文献】
アゴタ・クリストフ『文盲』堀茂樹 訳(白水社)

 
 
(07につづく)
 

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著者
真藤順丈プロフィール

真藤順丈(しんどう・じゅんじょう)
1977年東京都生まれ。2008年『地図男』でダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。同年『庵堂三兄弟の聖職』で日本ホラー小説大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で電撃小説大賞銀賞、『RANK』でポプラ社小説大賞特別賞をそれぞれ受賞。2018年刊行の『宝島』で山田風太郎賞と直木賞を受賞。他の著書に『バイブルDX』『畦と銃』『墓頭』『七日じゃ映画は撮れません』などがある。