07 主婦の亡命

 婚家での二十年に思いを()せる――大学時代に交際していた年上の響一と卒業とともに結婚し、地元で就職するという彼について北秋田に移り住んだ。出版や翻訳関係に進みたい気持ちはあったけど、家庭に入ることを選び、二十三歳で橙也を産んだ。
 濃い地縁、親戚のしがらみ、車なしでは成立しない暮らし。地方に嫁いだ立場としてひとなみに苦労はさせられた。自治会だろうと夫の飲み会だろうとかならず夫婦同伴じゃなくちゃいけない謎の慣習に「私、いま要るか?」と思わされることもしばしばだった。私大入学とともに息子が上京して独り暮らしを始めて、「これまでにできなかったこと、してみたかったことをしてみたら」と周囲に言われて、海外文学の読書会に参加してみたり、日本酒の美味(おい)しい店にお独りさまで飲みに行ったり、わけもなく徹夜をして朝まで起きていてみたり、ヒヨコの雄雌の鑑別師の資格を取得してみたり、紆余(うよ)曲折があったすえに私が望んだのは、他でもないこの土地を離れることだった。
 今日の空港で、あらためてはっきりとわかった。
 これまでにできなかったことで、私がしたかったのは〝亡命〟だ。
 だけど失敗して、自宅に連れ戻される。同居の義父も、夫も帰宅していた。私はリビングには入らずにそのまま自分の部屋に直行した。鍵を閉めたドアが(たた)かれて「話さねえか」と響一の声が聞こえたけど、
「ごめん、今日は許して」と私は返事をした。
「せば、いつ話せる?」
「わからない、もうちょっと落ち着いたら」
「だどもお()、仮病ぐらいならまだしも、無断で東京さ行こうとするなんてよ。信用しあえなぐなったら(しま)いだべさ」
「どうして息子に会いにいくのが、信用できないってことになるの」
「心配なんだよ、多恵子ちゃん、こっだらこと家出と何がちがうよ」
「とにかく今日は話したくない」
 あのこと(・・・・)で怒ってるのか、と言ってくる響一を部屋に入れない。私たちのあいだにあるのは抜き差しならない夫婦の確執で、それは昨日今日に始まったことじゃない。それこそ新婚旅行の一幕から、あの日のスタジアムから始まっていることだ――もしも扉を開ければ、響一はこっちが根負けするまでねばりにねばり、謝ってすむならいくらでも謝って、それからあわよくば妻の体にふれようとするだろう。
 そんな気力はなかった。亡命はしそびれたけど、それでも――持ち帰れたものはあるじゃない。私は夫を顧みずにマック・ブックプロを開く。画面の左に配したアイコンをクリックしてワードを()ちあげる。脳裏の奥に、()の内側に熱があった。
 ターミナルビルで得られた構想を、まだその感触が新鮮であるうちに、ひといきに書きだす。悔しまぎれというのはなきにしもあらずだけど、それでも自分のなかにそうした集中力が、言葉をともなうイメージの奔流があることには驚かされた。私はモニターの文字列だけに没頭する。扉を閉めて、遠い記憶を吟味しながら、キーボードを叩きに叩いてトイレにも立たない。壁の時計を見るたびに三時間、五時間と経っていることに高ぶって、集中しきっているその瞬間だけは、私の内側からは()きものが落ちたように疲弊が消えている。
 眠らずに、ひと晩じゅう書きつづける。
 ファイル名は、小説の題はまだつけない。
 仮に『キスカム』と題したそれを書きつづける。

 

 


 千に一つの歓喜、天にも昇るような心地。
 選ばれた恋人たちは、そろってそんな感覚に打ち震えています。
 スタジアムの気まぐれな神の息吹(いぶき)がもたらされ、これから自分たちにはすばらしいことだけが起こるのです。
 この日のために着飾って来ました。もしくはあえて普段着で来ました。二、三十秒ごとに区切られたラブシーン、コマーシャルのようなハッピーエンド。ふたりしてずっと待ち望んだその瞬間が、頭上の大きな画面のなかで、たくさんの立会い人のまなざしのなかで現実のものとなります。
 夢のモニターに映るひとびとは、ハンサムも美人も、おじさんもおばさんもティーンエイジャーも、白人も黒人もだれもが面映(おもは)ゆそうにして、だけどその顔をそれぞれにほころばせ、険のある強面(こわもて)もやさしげに、お金がない者も豊かそうに、倦怠期(けんたいき)の二人ですらういういしく頬を(あか)らめます。
 幸運と歓喜にあずかった恋人たちは、けしてそのことを忘れません。ふたりで寝ているときにも、ビュッフェの芋をトングでつまんでいるときにも、キャンプでテントを張っているときにも思い出します。周りのひとたちだって忘れさせてくれません。口から口にうわさは運ばれて、しばらくは電話やメールでことほがれます。おめでとうおふたりさん、すばらしい勲章をもらったってね!
 あるいは感じ入ったような声で告げられます。あなたたちは愛の試練にパスしたのよ、あなたたちはそれにふさわしいと思ってたわ。べつの恋人たちは、友人や家族を集めてパーティーを開きます。祝福の輪のなかに迎え入れられながら、自分たちが世界の愛の中心にいるような喜びをこころに刻みつけます。感動がぶりかえすたびに夢じゃないかと思うけれど、そうじゃないのはパートナーのうっとりしたまなざしが教えてくれます。あるいは人生の晴れの舞台から歳月をまたいで、ものすごい喧嘩や夫婦の戦争をなんべんもやらかして、ふたりで共有するどの思い出もろくでもないものに落ちぶれてしまっても、その勲章だけは勲章のままで残るのかもしれません。
 それをもらう条件はただひとつ、唇をあわせることだけ。それぞれにそれぞれのキスをすればいい。一方がひざまずいて許しを乞うような儀式めいたキスでも、お辞儀やウィンクと変わらない手軽なキスでも、贈りものを飾るちょうちょ結びのリボンのようなキスでも、みなしごになっていた唇と唇とが数十年ぶりに再会するようなキスでも。それぞれがそれぞれらしいキスを交わせば、数百万という泡がふくらんで(はじ)けるような拍手や口笛、歓声や羨望のこもったため息を浴びて、会場の全員から愛されているような錯覚も味わえます。だれもがそのときばかりは衆人環視のステージに上がって、なにかしら足りていない人生の隙間をキスで埋めるのです。


 タエコたちはそこにいました。家族も親戚もいない外国にやってきて、ふたりだけのホテルのベッド、ふたりだけのバスタブ、ふたりだけのじゅうたん、そういうものにいちいち感激します。歩道の線の一本一本も、カーテンの隙間から差しこむ光の揺らめきも、これから始まるふたりの人生を豊かに暗示しています。わたしたちだけの朝食、わたしたちだけのクルージング、わたしたちだけのスタジアム、そこで目の当たりにするキス、キス、キス。
「おれたちも映されたらどうしよう?」
 すごく心配そうに彼が言うので、タエコはおかしくなってくすくすと笑います。
「結婚式のときにもすんなりできなかったもんね。こんな大観衆の前でしろっていうのはハードル高すぎる?」
「若いカップルがけっこう選ばれてるみたいだぞ」
「顔を傾けて、ハグでごまかして、キスしてるみたいに見せかけるのは? 映画のキスシーンNGの俳優同士みたいに」
 観戦そっちのけで策を講じながらも、自分たちが映されることがないのはなんとなく察しています。なぜかって、自分たちは旅人で、アジア人だから。この場のレギュレーションにはきっと添わないはずだから。
 と、そのとき画面に映ったカップルに、会場がざわつきます。
 ブルネットの女の人が、頭上のモニターをちらちらと見やる視線を挟みながら、ハイ、とカメラに向かって手をふっています。三十代ぐらいでサングラスをかけていて、頭の両がわを短く刈りこんだ人。それだけならおかしいことはありません。他とちがっていたのは、彼女が情熱に満ちた手つきで抱きすくめているパートナーも、おなじぐらいの年代のブロンドの女の人だったということです。
 わたしたち見てのとおりだけど、それでもオーケー?
 彼女たちの目が、語らずとも語っていました。
 ざわついています。会場全体がたしかに動揺しています。レズビアンのカップルが映されるのは、あるいはよそ者よりもありえないことだったのかもしれません。その日のオペレーターの気まぐれか、いつもとちがうアクセントが欲しくなったか。もしくはふたりの奥の席にいる中年カップルを抜こうとして、カメラの向きや焦点がずれたのかもしれません。なんらかのハプニングの結果なのかもしれません。わからないながらにタエコの目もモニターにくぎづけになりました。
 彼女たちは、しました。
 堂々と、キスの儀式にその身を供しました。
 望まれれば何時間でもそうしていることをためらわないような、七千回もくりかえしてさらにもっと気持ちいい仕方を探しているようなキスでした。
 ところが観衆は、喜びませんでした。大半のひとびとが歓声を送らずに、うってかわってブーイングしました。えっ、そんなにあからさまなわけ、とタエコが面食らうほどに批難ごうごうになったのです。
「しわくちゃのババアになるまでしてろ、人目につかない便所の裏で!」
 すぐそばの席からはそんな野次が飛びます。ブーイングを浴びて唇をはなしたカップルは、さすがにばつが悪そうな、とつぜん地面に空いた穴のふちで戸惑うような表情を見せたのを最後に、モニターは会場全体を俯瞰(ふかん)する映像に切り替わりました。
 後味の悪さをおぼえて、タエコは彼女たちがどのあたりに座っていたかを探ろうとしました。すくなくとも自分たちの近くにはいません。向かいがわか、アリーナ席か、周りの観客にじかに罵声を浴びてやしないか、と視線をめぐらせます。ちょっとあんまりだと思いました。だってモニターに映されたから、BGMにあおられたからキスしたのに、会場から要求しておいて、会場が(おとし)めるなんて。
 そんな思いを同行者に伝えようとしたところで、彼のほうから口を開きました。
「客からすれば、注文と違うジャンクフードが出てきたようなもんだよな。おおやけに見せるものでもない。悪ノリしたあの女たちにも非はあるよな」
 彼はそうつぶやいて憫笑(びんしよう)し、満足げにちいさくうなずきました。
 他の客たちの野次につられて、本音がこぼれたようでした。
 男と女のキスはよくて、女と女のキスはおおやけに見せるものじゃない? そもそもこのお遊びそのものが悪ノリを前提としているんじゃないの? タエコはびっくりしてしまいました。旅行先でだしぬけに出くわしたとげとげしいブーイングに、彼がまったくすんなりと同化していることに。ちょっと驚きすぎてしまって、そのあとの試合も頭に入りません。ホテルに戻ってもタエコはしばらく口をききません。
 好きあって一緒になって、これまでおなじような趣味でおなじ感情を共有してこられたのに。ホテルの部屋のなかでは、何かノサリノサリと音がしていました。かすかだけれど途切れなく神経に障る音は、安宿の天井をネズミが()っている音かもしれませんでしたが、音の出所がなんなのかはチェックアウトまでわからずじまいでした。
 ささやかだけれど無視できないその日のできごとは、帰国してからもタエコの記憶にとどまります。仕舞った場所からことあるごとに出してきて、ためつすがめつしないではいられないもの。その日から数十年がすぎたのち、タエコは彼のもとを離れて、違う土地に移ることを決めます。
 じつは自分の足元にもうがたれていた穴に落ちこまないために、そうすることが必要でした。

 

 

 数日後、早起きした私は、腕をふるって料理をする。
 この日ばかりは、部屋に閉じこもっていられない。
 体力はもとより知力や経験則も問われる、とびきりハードな一日を迎えていた。
 豚肉を下茹(したゆ)でするあいだに大根の皮を()いて、竹串がスッと通るぐらいにお肉が柔らかくなったら、大きめの鍋に移して煮立てる。
 クッキングシートで落とし蓋をして、フツフツするぐらいの火加減で煮込めば、大根と豚肉のべっこう煮のできあがり。あとは(たい)(めし)と、山芋と牡蠣(かき)のクリームシチューを作る。数十人ぶんなのでいっぺんにたくさん作れるものが望ましい。
 ホワイトソースを作らずに山芋のすりおろしだけでとろみをつける。牡蠣をていねいに水洗いしてから白ワインを足して、櫛形(くしがた)に切ったカブを加えて、蓋をして、牛乳と生クリームを加える。振り塩した数尾の鯛を両面に焼き色がつくまでグリルして、土鍋のご飯の上に載っけてふっくら炊き上げる。最後の数分間を逃さずに強火にすると、適度にお焦げができて香ばしさが増す。
 うーん、いい匂い。台所には作っている料理の芳香が満ちはじめる。それからこういう親戚の集まりでは、子供たちが喜ぶメニューを押さえておくのが(きも)だった。大きめに切った鶏肉(とりにく)を、()りおろしたにんにくや生姜(しようが)粗挽(あらび)胡椒(こしよう)、コリアンダーやナツメグの(パウダー)を混ぜこんだ秘密のパックに入れてモミモミ、それから揚げ油に投じて、ほどよいところで網にとって余熱で火を通してから、さらに火力を上げて二分間揚げる。何を作っているのか、これはフライドチキンね。このぐらい皿数があれば充分でしょう。あとは集まってくる奥さま各位もいつものように、お漬物(がつこ)や煮物、きりたんぽや地鶏(じどり)やハタハタ寿司を持ち寄ってくれることでしょう。
「つづきはどうなるのかな、キスカム……」
 料理をあつらえながら、私の脳はその識閾下(しきいきか)ではっきりと創作にスイッチをあわせている。
 あの夜、明け方まで二十枚超の原稿を書きに書いた。ドーピングして五感が覚醒しきったような感覚は、私自身にも衝撃をもたらした。あれは(すご)かったよね、幻の雷鳴(とどろ)いちゃってたね、私は火加減を見ながらも余韻に浸ってしまう。
 途切れることなく言葉がぶつかりあいながら、ひとつの流れになっていく実感があった。よみがえる風景と時間。失われる境界線。私小説めいたものとはいっても書くことで得られる高揚感は、私にとっては天地開闢(かいびやく)にも等しい稀有(けう)な体験だった。
 書いたところまでは事実にほぼ即している。とはいえ日記や紀行文のたぐいではなくて小説の文章になっているはずだ。ヴンダーカマー文学賞、それからアゴタ・クリストフのひそみにならった〝亡命〟の願いが、私をうっかり覚醒させてくれちゃったのか。
 あらためて気がついたこともあって、何もアゴタ・クリストフにかぎらない、どちらかといったら海外文学が好みというのはあるけど、私をなかんずく夢中にさせるのは〝亡命〟を経験したことのある作家の小説に多かった。『存在の耐えられない軽さ』や『不滅』のミラン・クンデラしかり、『魔の山』のトーマス・マンしかり、ウラジーミル・ナボコフだったらチェス小説の『ディフェンス』がいちばん好きだ。革命や動乱によって別天地に移り、母国語とは違う言語で書く小説家は少なくない。作家自身の流転する生に、数奇な星のめぐりあわせに、ゴシップ趣味のような興味を抱いているんだろうか。それよりも何よりも、やむにやまれず故郷を捨てて、それでも異邦の異言語でみずからの小説を書かずにいられない作家の営みに、その(ごう)のようなものに、きわめつきの苦境にあっても尽きない人間の生命力を――(はる)かな(ひろ)がりのある尊厳や力強さを感じてしまうからじゃないかと思っていて。
 私にとって〝亡命〟はキーワードなのだ。もちろんハンガリーに戻るまでに十数年もかかったアゴタさんのように政治的背景や生命の危険をともなう〝亡命〟と、私のドメスティックな事情とを比べられるはずもないけどね。それでもいまは書きたかったし、書くための環境を整えていきたかった。
 そういえば、亡命作家の作品群をオススメしてくれたのも、野島さんじゃなかったか。
 私のここ何年かの読書傾向は、野島さんに多くを()っている。
 彼女は元気にしているだろうか。
「書くことがないんじゃないのよ、あなたは書かないだけなのよ」
 よくそんなふうに言っていた。いまになって書きはじめたと知ったら野島さんはなんて言うだろう。ひさしぶりに電話かメールをしてみようか――

 
 
 
(08につづく)
 

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著者
真藤順丈プロフィール

真藤順丈(しんどう・じゅんじょう)
1977年東京都生まれ。2008年『地図男』でダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。同年『庵堂三兄弟の聖職』で日本ホラー小説大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で電撃小説大賞銀賞、『RANK』でポプラ社小説大賞特別賞をそれぞれ受賞。2018年刊行の『宝島』で山田風太郎賞と直木賞を受賞。他の著書に『バイブルDX』『畦と銃』『墓頭』『七日じゃ映画は撮れません』などがある。