08 私が書かなければ彼女は死ぬ

 おっと、第一陣がやってきた。親類縁者に分家の(なにがし)さん。皆代家は農地を切り売りしてひさしい地主で、(しゆうと)はスーパーマーケットチェーンの元社長、響一はそのコネを使わずに地方自治体に就職して地域振興課の課長になっていた。とはいえ土地に根差しているので親類縁者はたくさんいるのだ。静岡の実父母はすでに亡く、銀行勤めの実兄は赴任したインドに根を生やしてすっかり疎遠になっている、そんな私にとっていまはこっちの親戚だけが身内ではあった。
 お義父(とう)さんの古希(こき)の祝いにぞくぞくとやってくる親族を迎え入れる。あらどうもーお元気そうで、まあ、大きくなったね! 大叔父(おおおじ)から孫子の代までひっくるめて総勢五十人強、そのあらゆる関係性を私なりに整理して、あたかも数人しか集まっていない会であるかのようにさばく。出くわす顔、顔、顔にそのつど適切な言葉をかけて、上座下座のそれとない序列をつかんで相応の席に(すわ)るようにさりげなく導き、学校の先生や郷土資料館の職員、農家さんや精機工場の社長とさまざまな親戚のおしゃべりの橋渡し役をつとめる。食事が始まってからは台所のご本尊となって、突きだしから主菜まで料理を運んでもらい、お酒を足して、空いた皿を下げて、そのあいだの奥さま同士のよもやま話にも花を咲かせる。あちらでおでこをぶつけた子供の手当をして、こちらでおじさんの駄洒落(だじやれ)にほどよく笑う。数年前に旦那さんと死に別れてから()けてしまって、親族のだれがだれやらわからなくなり、床暖房つきの回廊を歩きまわって疲れればその場にへたりこんで寝てしまう大叔母をそっと寝室に連れていく。バツがついちゃった従妹(いとこ)には助言をして、一世一代の独擅場(どくせんじよう)とばかりに気炎を吐く老人たちの長広舌が順繰りにまわるように司会の役割もこなす。こういうさばきに関しては私は人後に落ちない。際限なく体を動かせるように重心を落としてあごを引く。格闘家のように、あるいはスーフィーの旋回舞踏を舞うように立ちまわり、回転することで体に力をみなぎらせる。私にはこの二十年を通じて〝本家の嫁〟のマルチ・タスクを発揮するソフトウェアがインストールされていた。
 ときには響一の隣に坐って、夫婦ぐるみのおしゃべりにも付き合わなきゃならない。夫とじかに話さず、目線も交わさず、それでいて遺漏なく不和を嗅ぎとらせないでいるのはけっこう難度が高いのだ。幸いにして私の亡命未遂については、親戚一同にはまだ知れわたってはいなかったけれど、
義姉(ねえ)さん、家出しようとしたんだって。なしてなして、()んだくなったの? 離婚だの別居だのも考えてんの? 勘弁だよう、多恵子さんさ行っでまったらたまんね。こっだら会をしきるのはあたしじゃ無理だよう」
 盛二の奥さんの亜里沙(ありさ)さんはさすがに知っていた。それからもちろん舅の宗一郎(そういちろう)も。縁側で煙草(たばこ)を吹かしている義父にお茶を運んでいくと「今日はご苦労さん」と一日の労をねぎらってくれた。「まんずよくやっでくれたっけな、多恵子さんには()いようにしてもらいてえが。こっだら田舎だもんでなぁ……」
「ごめんなさい、心配をかけてしまって」
 地元においては一廉(ひとかど)の人物で、スーパーみなしろの社長だったころはそれなりに厳格だったけど、数年前に甲状腺(がん)を患ってからはすっかり好々爺(こうこうや)になって、以前にもまして私に感謝を向けてくれる。それでもまっさきに世間体を気にするのは、お義父さんのように地方で生まれ育った人間にはごく自然なことだった。
「橙也んどこさ行っで、そのまま戻らねえつもりだったんでねえか」
「……先のことは決めてませんでした」
「多恵子さん、やりてえことあんのかい」
「うーん、どうですかね」
「親の口から言うのもなんだども、響一は話せばわがる男だべ。夫婦の仲がこじれればしょうがねども、話しあって決められねえもんかね。この家や(じえ)んこのことは気にしねえでもええがら、多恵子さんの()いようにするのがええ。だどもそれは、あれと一緒の歩みではなんねえもんかね」
 婚家を飛びだそうとした嫁をなじったりしない。寛容なお義父さんばかりじゃない、みんな気が置けない人たちだ。県外から嫁いできて現在(いま)でもよそ者あつかいされるときはあるし、こうした集まりでは女たちはかならず別席、といった(ふる)い弊風もきついときはきついけど、ひとりひとりを見れば悪い人間はそうはいない。むしろ私を家族と認めたうえで、浅からぬ愛着を向けてくれていた。
 夜のとばりが下りて、宴もたけなわのうちに親類縁者は三々五々帰路についた。後片付けがすんだらすぐにでも部屋に籠って小説のつづきが書きたかった。
 ただ自分のことを書いて、過去の体験や日常の所感を掘り下げて、それが他人をエンターテインさせる読み物になるとは思わない。二行三行と先のこともわからずに書き進めていって結末までたどりつけるのかどうかもわからない。というかそもそも、ちゃんと仕上げてヴンダーカマー文学賞に送るつもりなのかも判然としない。だけど私は、作家のような〝物語る力〟が自分にそなわっているのかを見極めてみたいのだ。どうして『キスカム(仮)』なのか、どうしてこの題材に()かれるのかはわからなかったけど、ひとつはっきりしたのは、私が書かなければタエコは死ぬ。書かれているときにしか彼女はこの世界に存在していない。
 極端なことを言うなら、書かれている一文、書いて読みなおす一文の、その他のものはいっさい存在できない。小説はその連続でできていて、書き手が書くのを()めたとき、物語の流れはよどみ、作中の人物もあえなく呼吸を止める。それはまるで神さまが世界の創生のさなかに仕事をうっちゃるように不実で無責任なことだ。実際にこの現実でも私たちは、断片でしか目の前のことを(つか)みとれないし、記憶も描写もできないのだから、つまりは現実が小説であり、小説が現実だ。そのふたつは等号で結ばれる。私はタエコを生かしたかったし、私自身が死にたくなかった。
 そんなふうに形容しがたい意識の動きと向きあって、マック・ブックプロのなかのもうひとつの世界に早く戻りたかったけど、その前にお義父さんの言うとおり、まずは夫と向き合わなくちゃならなかった。いまはそれが何よりもしんどかった。強い風が家鳴りを呼んでいて、近くの林の木末(こぬれ)が騒いでいた。
「熟年離婚とかよく言うでねえか、そっだらことはお断りだからね。こっちは外でうつつを抜かすようなこたぁしてねえべさ」
 差しむかいでリビングのソファに坐った。響一が言わんとしてることはわかる。「ずっと多恵子ひとすじで来たから、今さら生き方は変えられねえべ」というのも本音で言っているんだろう。身びいきかもしれないが響一はモテるはずだった。四十代の半ばになっても贅肉(ぜいにく)とは無縁で、顔立ちも引き締まり、眉目にも(ひげ)を生やしたあごまわりにも、若いころにはなかった色気が乗っている。たとえばよく接待で使うというクラブのホステスさんがパパ活に励んでいたら響一は放っておかれないんじゃないだろうか。だけど疑わしい気配はまるでなかった。響一はこの二十年変わることなく家族を大事にしていて、息子が巣立ったあとも、私のことをかわいい女の子のようにあつかってくれていた。
「黙って東京さ行ぐなんてこと、今までなかったでねえか」
「それはごめん。だけどやることなすこと逐一報告しなきゃいけないわけじゃないよね」
「そらぁそうだけども。おれは多恵子を押さえつけたりしねえよ。息子が巣立ったんだから好きなことすりゃいいと思ってるさ」
「弟をやって飛行機に乗せないようにするのも、押さえつけるってことだよ。好きなことをしていいっていうのは、あなたの目の届く範囲でってことなの?」
「そっだらこたねえ。お()は反抗期の娘かっての、家出したがる女子高生じゃねえんだからよ。親戚あしらいさせたらあんなにどっしり安定感あんのに。なして家族単位になると急に生娘(おぼこ)みでになんのよ、〝おらぁ東京さ行ぐ〟になんのよ」
「あはは、なしてかね。家出なんかじゃないし、東京にこだわってるわけでもないけど」
「不安になるさ、おれも橙也も。最近あいつもしょっちゅう電話かけてくる」
「橙也が? すっかりお父さんの味方なのね」
「そうでねえって、母さんが心配だから目を離すなって言うんだべさ」
 家出じゃない、亡命だ、とは響一には言わない。
 私にとっては、生き死ににも関わる問題なのだ。
 たぶんそれは、夫には伝わらない。
「あれだろ、先月のあのこと(・・・・)でねえのか」
 響一がうつむいて濃い眉を睫毛(まつげ)に重ね、自嘲するように笑う。
「あれはその、なんだ、おれが早まった」
「別に、早まったってことはないんじゃない」
「あれからだべ、多恵子の様子さ変わったのは」
「変わったかな、そんなつもりはないけど」
「だどもあれは、考えてみてくれってぐらいのつもりだったわけでさ」
「そうかな」
「悪かったって、もう無理は言わねえから。だもんで無断でどっか行ぐようなことはしねえでくんねえか」
 わかった、と私は答える。そうして言葉は、飽和点に達して消える。
 妻や子への配慮をたやさず、夫婦喧嘩はしても暴力なんてふるったことはない。響一との対話はいつでも、私のほうが非をひきとるかたちで終わる。私がソファから腰を上げると、「寝るのか、多恵子ちゃん」と夫が声の調子を変えた。
「うん、疲れたから」
「おれたち、もういつから一緒に寝てねえよ」
「……もう二、三ケ月ぐらいになるかな」
「前だったら、添い寝でもするタイミングだべ」
「ああ、添い寝ね」
「喧嘩したって、くっついて寝りゃスーッとしたもんでねえか」
「お気持ちだけいただいておきます、ちょっとパソコンしたいし」
「そういや、キーボードさ(たた)く音するけど、なにが書いてんのか」
「うん、ちょっとね」
 部屋の戸を閉めて、私は坐らずに目をつぶり、フーッと呼吸を深める。
 話してどうなるものでもなかった。私はやっぱり亡命したい――
 ここしばらくの私の日々は、響一との関係の修復を――夫に大事にされたい、昔と変わらずに好かれていたいと願う気持ちをふっきることに費やされている。
 連れあいにそっぽを向かずに、なんだかんだあってもやっていこう、話しあって困難を乗り越えようという自助努力をうっちゃりたくなっている。
 響一だけに問題があるわけじゃない。私は自分の価値観を、自分の感覚を、自分が(つく)りだせるかもしれない世界への愛を、現実でも()って立つ足場にしたいと望んでいる。お前は反抗期の娘か、と言われてつい笑っちゃったのは、たしかに第二の思春期を迎えているような自覚があったからだった。いざというときに頼れるものは夫でも息子でもない、私自身が独りで立っていられるという本物の確信こそが欲しかった。
 たかだか原稿用紙二十枚の文章を書けたぐらいで、いっぱしの作家ぶっちゃうわけ? そんなふうに自問自答すれば、たちまち独り相撲のような気もしてくるけど。それでも本当は、私はずっと前からそうするべきだった。折りあいをつけてやっていくことを好しとせず、ひとつひとつのそなえをしていくべきだった。ずっと前から、遠い日の新婚旅行の一幕から――たぶん響一は(おぼ)えてもいない――すべては始まっている。あのときから私は、ずっと自分で自分の首を絞めていた。
「こっちは、生きるか死ぬかなんだよ、響一……」
 ティッシュで(はな)をかんだ。マックのモニターの青っぽい光が目に痛かった。
 一行でもいいから『キスカム(仮)』を進めたかったけど、私はベッドに倒れこんで、そのまま手足を折って猫のように丸くなった。
 恋愛結婚をして、妊娠して、家庭を切り盛りして、そのあいだの私たちはまぎれもなく夫婦だったし家族だった。それなのに――肋骨(あばらぼね)を打つように鼓動が胸の奥で早まり、喉がうわずって呼吸が苦しくなる。ああ、思ったよりもダメージが大きいな。結婚の前の交際期間も含めれば二十年余、そんなにも長い時間を過ごした唯一の男との和解や共存を、きれいさっぱり諦めるのが応えないはずはなかった。
 私は全身を縮こまらせる。くよくよしてもしかたないのに、私の選択がどこまでも私を損ない、起きあがれず、マックの前に坐ることができない。ああ、タエコが窒息しかけていると気持ちばかりが()いて、出どころをなくした言葉やイメージが私の内側でどろどろと渦を巻いて腐っていく。微睡(まどろ)むこともできず、朝までベッドの上で目を開けていた。空が白みはじめ、起きてきた響一が玄関の戸を開けて出勤するのがわかる。朝食も()らず、トイレや風呂にも行かず、さりとて書くこともできない。ただひたすら不毛な時間が過ぎていたそのときに、電話が鳴ったのだ。

 

 


 通っていたセミナーで、あるときディスカッションがあります。
 たくさんの外の光が注ぎこむ、すみずみまで明るい部屋です。
「わたしたちはどうして、キスをするのでしょうか」
 タエコはまぶたを閉じます。カウンセラーの女性の声が染みこんできます。
 そうしているほうが実際よりも明るい感じがするのが不思議でした。あたかも空間を満たしている光が、家具や人ではねかえって乱反射する光が、まぶたで()されて純度を増すかのようです。カウンセラーの声は力強く自信にあふれています。
「あらゆる動物のなかでキスをするのはわたしたちと、ごく一部のサルだけです。愛するもの同士が、たがいに顔の手前のもっともプライベートな空間を明けわたし、唇と唇を重ねあう。それはロマンスの入口にもなり、愛の物語における句読点の役割をはたすかもしれません。ふたりの関係には、さまざまな化学反応が起こります」
 わたしたちはどうしてキスをするのでしょう、とカウンセラーがくりかえします。たしかに考えてみれば、顔の一部を吸いあうことがいつから親愛の情を示すアクションになったのか? ディスカッションのほかの参加者が発言します。
「気持ちがいいから?」
 はい、よいお答えですね、とカウンセラーは褒めそやします。
「唇や舌には末梢神経が集まっていますから、キスをすればその感触は強力な信号となって脳に送られます。神経は高ぶって、胸の鼓動は速くなって、全身をめぐる血の温度が上がります」
 好きなもの同士なら、ということじゃないのかなとタエコは思います。
 まあふつうなら、好きあってなくちゃキスはしませんね。
 カウンセラーはつづけます、ほかにもマーキングのような意味合いであったり、唾液にまざった細菌の交換をすることで生殖活動の免疫を作っているなんて説もあると説きます。マーキングというのはわかるとタエコは思います。そういうニュアンスでキスをしたがる男がほとんどでしょう。これはおれのものだ、と宣言しているのですね。
「本能なんじゃないんですか?」
 という答えに、それもあるでしょう、とカウンセラーは(がえん)じます。
「チンパンジーやボノボも、愛情やきずなの表現としてキスをします」
「それってつまり、遺伝子に組みこまれてるってことですか」
「いっぽうで、学習によって得られたものであるという説もあります。給餌(きゆうじ)行為が進化したものととらえるむきもあって、鳥などもしている親から子への……」
「あ、口移しですか」
「そうです、消化を助ける口移しが愛情を示すキスへと変わった、というのはそれほど拡大解釈でもないでしょう」
 だけどあまり起源について考えすぎてもしかたありません、とカウンセラーはつづけます。わたしたちはキスがとてもドキドキするもの、ということに目を向けたいですね。
 濃密なキスをすれば、心拍数は上がり、血管がひろがり、脳の受容体はドーパミンやセロトニン、アドレナリンといった快楽物質のビックウェーブを起こします。カロリーは消費されるし、ストレスは軽減されるし、いいことずくめ。ある学説によれば朝のキスが習慣になっている夫婦は長寿であるともされています。だからこのセミナーではキスを推奨しています。初めて相手とそれを交わした瞬間の、あの魔法にかかったような感覚を思い出してください。キスをしましょう。それだけでも恋愛や夫婦関係のあらゆる問題は解消されるでしょう。
 魔法か。たしかにそうかもしれません。
 だけどタエコは、ディスカッションの終わりまで発言をしませんでした。
 だってよくわからなくなっていたから。キスとはなにか、自分はなんでそれをするのか。夫とのそれもぎこちなくなってしばらくたっていました。


 わたしはそれを、どうやってしていたっけ? 
 あるときから、あれおかしいな、どうやるんだっけとおたおたするようになって。
 自分のキスとの付き合いかたについて、あれこれと考えているうちにゲシュタルト崩壊を起こします。キスがなんだかわからなくなります。
 だから恋愛や結婚のトラブル解消の相談窓口やセミナーにも顔を出して、作家が書いたエッセイや学術書にまで手を出します。チャールズ・ダーウィンはこう述べています。――愛情の(あかし)としてキスをするのは習慣化していて、それはいたって自然な行為であるかのように思われているが、フエゴ島の住人によれば、このキスという行為を知る者は彼の島にはいない。ニュージーランド、タヒチ、パプア、アフリカのソマリ族やイヌイットにも知られていない。それでも愛する者とのふれあいに喜びを感じるのは、彼らにとっても自然なことであり、ニュージーランド人やラップランド人が鼻をこすりあわせるように、世界のいたるところでキス以外の表現が用いられる。腕や胸、お腹をたがいにくっつけあったり、軽く叩いたりするほか、相手の腕や足に顔を押しつける行為も観察されている。
 なるほど、べつに唇じゃなくてもいいのか。
 さっそく彼とテレビを観ているとき、朝の出かけしなや眠る前に、キスのかわりに腕や肩、腹、尻といった体の各部を押しつけ、すりすりと摩擦しあったりしてみますが「……なにやってんの?」と彼にはいぶかしがられ、自分でも笑っちゃってだめでした。ドキドキしません。性的な刺激があればいいわけでもないけど、これではキスの代わりにはなりません。あいかわらずキスがわかりません。
 そのほか、インターネットで閲覧したので信憑性(しんぴようせい)はたしかじゃないけど、フィレマトロジーというキスについての科学的な研究があるそうで、シェリル・カーシェンバウムというサイエンスライターが最新のキスにまつわる仮説を書いています。
 キスをすることで、嗅覚が相手のDNAや生殖状態についてのヒントを嗅ぎわけるらしい。たとえば女性がもっとも()かれるのは、免疫にかかわる遺伝子配列が自分とかけ離れた男性のにおいであり、配列の異なる相手とペアになれば、健康で生存率の高い、遺伝子の多様性がある子を産むことができる。そのためのリサーチこそがキスなんだ、というのです。
 その文章を読んで、タエコは記憶の底をうずかせます。
 だったらあのキスカムの、彼女たちの場合は?
 生殖の本能にそのまま結びつくものじゃないのだから、彼女たちのキスは愛情表現や快楽のためだけに存在している。むしろそっちこそが純粋なキスなんじゃないか、とも思えてきます。あらためて自分のキスへの疑問符、認識のあやふやさには、あの日のスタジアムでの体験が遠い原因になっていると気づかされます。
 学問してもしかたありませんね。ますますわからなくなるだけです。
 タエコはあっちで壁にぶつかり、こっちでけつまずいて転びます。
 そしてそれは、彼にも伝わります。


 他のカップルは、どんなふうにキスをしているんだろう?
 現代アートの企画展を催す美術館があって、タエコの友人が学芸員をしていました。無名の、在野のアーティストの特集をするというので、友人の誘いもあってタエコも作品を手がけてみます。
 身近なご近所さん、熟年夫婦から新婚さん、親子でも兄弟姉妹でもよしとします。
 たくさんのカップルの、キスをしている写真を撮らせてもらいます。
 見ず知らずの他人にも、街頭で声をかけます。そのほとんどに断られてもめげません。
 最初はスライドショーでやろうと思ったけど、友人の高度な美的センスにもあやかって、映像インスタレーションのように展示することになります。
「最近、いつキスしましたか」
「あなたに今でも、キスしてくれるひとはいますか」
 道端で()いてまわると、多くのひとは眉をひそめます。すくなからず動揺して、切なそうな顔つきになります。
 キスしている写真を撮らせてほしいと頼むと、たいていは断られ、趣旨を理解して協力してくれるひとも、なんらかの葛藤を超えなければ人前でキスはできないという興味深い事実もつかめました。他人の前でするキス。自分たちの愛ときずなを誇示するキス。それを左右するのは、国ごとの文化や風土のちがいばかりではなさそうでした。
 素人の、ややもすれば痛々しいだけの表現が、友人との試行錯誤のおかげで鑑賞に()えるものになったようで、インスタレーションは好評を博します。
「……タエコ、なにやってんの」
 だけど彼は喜びません。企画展を見にきて機嫌を損ねてしまいます。
 あらましを相談していなかった、というだけではありません。アートなんて体裁が悪い、と敬遠しているわけでもありません。
「どうしたの、気分でも悪くなった」
「いや、べつに」
「なんだか変だよ」
「ぜんぜん。ただこんな写真を集めてどうなるのかと思ってさ」
「だから、そういう表現なんだってば」
「他人のプライベートを陳列するのが芸術かねえ」
「悪かったね、素人くさくて」
「なんというか、レストランでさぁ」
「レストランがどうしたのよ」
「よそのテーブルで他の客が食べてる料理を、うらやましがって眺めてるみたいな」
「ああ、自分たちのテーブルにそれがないから」
「ないね」
 自分と友人の労作を、いやしいもののように評されて、タエコは腹を立てます。
 彼はこう言いたいようです。どうしておれたちのキスはここに展示されていないんだ?
 めっきりキスしなくなっていました。できなくなっていました。
 そしてそれは、この展示のあとにもいっこうに変わりませんでした。
 むしろますます喧嘩が増えて、激しい言い争いがたえなくなって。
 ある日、タエコは荷物をまとめます。
 彼と話しあうこともなく、共に暮らした家をあとにします。

 
 
 
(09につづく)
 

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著者
真藤順丈プロフィール

真藤順丈(しんどう・じゅんじょう)
1977年東京都生まれ。2008年『地図男』でダ・ヴィンチ文学賞大賞を受賞しデビュー。同年『庵堂三兄弟の聖職』で日本ホラー小説大賞、『東京ヴァンパイア・ファイナンス』で電撃小説大賞銀賞、『RANK』でポプラ社小説大賞特別賞をそれぞれ受賞。2018年刊行の『宝島』で山田風太郎賞と直木賞を受賞。他の著書に『バイブルDX』『畦と銃』『墓頭』『七日じゃ映画は撮れません』などがある。